episode4「パーフェクトベイビー」
sudoコマンド。
エックス・ワールドにおいて、最強のバフ——root権限を付与することができるコマンド。root権限を与えられたユーザーは、オリジナル・コマンドを最大限活用することができ、他のプレイヤーと一線を画すパフォーマンスを発揮できる。
まさに僕が憧れたラノベの主人公のようなコマンドだ。
スーは「私は後方支援しかできません」と謙遜するが、彼女がいるのといないのとでは戦況が180度違う。「最強後方支援コマンドは電脳世界で無双する」なんてタイトルでカクヨムに投稿されていてもおかしくない。
でも羨ましがっても仕方ない。僕は僕に与えられたコマンドを使いこなさないと。
なんたって、”最強のサポーター”から強くなれると言われたんだから。やらない手はない。
と、思ったんだけど……。
当時の僕は挫折しかけていた!
前にも言ったけど、エックス・ワールドのユーザーには”メモリ”という体力に匹敵するステータスがある。このメモリはなんぼあってもいいもので、あればあるだけ敵の攻撃にも耐えられるし、強力なコマンドを連発することができる。
で、このメモリというのはデフォルトでは現実世界の筋肉量に比例すると言われている。つまり、メモリを増やすためには現実世界で運動をしなければいけない。
問題は、その運動量だ。
スーから「強くなるならこれくらいできないと」と言われて与えられたメニューは、
- 腕立て伏せ100回
- 上体起こし100回
- スクワット100回
- ランニング10km
……まあ、悪くない。禿げるくらいまで継続したら、ワンパンで敵を倒せるくらいには強くなれそうだ。
なんて、普段から運動してる人の感想だ。週に1回、自宅から徒歩1分のコンビニにジュースを買いに行くくらいしか運動をしてこなかった僕にとって地獄のようなメニューだった。
初日は全身筋肉痛になりながら8時間かけて終えた。朝9時から始めて17時に終わったから、1時間目から8時間目まで体育だったということになる。夜、筋肉が悲鳴を上げて眠れなかった事は今でも覚えてる。
翌日は筋肉痛で動かすことすらままならなかったけど、絶叫しながらメニューをこなした。
というのも、僕は筋トレしたことをスーに報告しないとエックス・ワールドで遊べなかった。デビアンのディスコード(コミュニケーションサービス、LINEみたいなもの)には僕と彼女がメンバーの「筋トレ報告サーバー」というグループがあり、そこで報告しないと強制的にログアウトさせられてしまう。
「それくらい、簡単ですから」って、彼女は言っていた。実際、簡単なんだろう。なんたって、彼女のコマンドは”最強”なんだから。
筋トレしている動画を提出する必要はなかったから、嘘の報告でもよかった。でも本気で取り組みたいと思えることに嘘をつきたくなかったし、メモリの増加率でバレるかもと思った。
それに、ちゃんとメニューをこなせば……
『お疲れ様でした。今日もエックス・ワールドでお待ちしてますね』
と、返信が来ることが嬉しかった。ちょっどだけ心がホクホクしたんだ。
ちょっとだけね笑
— — —
筋トレは7日経った今でも継続してる。なんだったら我が家で一番、筋トレの知識があるかもしれない。
気づけば僕はホエイプロテインを購入し、カロリー管理アプリをインストールしていた。今もプロテインを飲みながらこれを書いてる。僕のお気に入りは濃くうまチョコ風味だ。
色々なサイトを見ていると、筋肉痛の時には無理に筋トレをしない方がいいとも出てきた。つまり、悲鳴を上げてでも筋トレせよというスー鬼教官の指導法は間違っていたわけだ。
でも、僕は鬼教官について行くことにした。彼女に間違っているとは伝えてない。誰彼かまわず”正解”を振りかざすのは好きじゃないからさ。
それに、運動後のストレッチやプロテインのおかげで筋肉痛がそこまでひどくなくなっていないというのと、彼女からの労いの言葉がほしかったという下世話な考えがあったことも否めない。
ともかく、筋トレを始めて1週間経つけど、一連のメニューは辛くなくなってきている。
午前中に運動を行い、午後からエックス・ワールドにログインする。エックス・ワールドでは野良で沸いているモンスターを倒してメモリを稼いだり(野良のモンスターを倒すことでもメモリを稼ぐことはできる)、コマンドの練習をしたりした。
この間にslコマンドの使い方はだいぶ習得した。最初にコマンド名を声に出して、手元のホログラムキーボードで細かい設定をしてエンターキーを押せばコマンドを発動することがデキる。
初日にやらかしてしまった全メモリを消費したコマンド発動は、コツを掴んでからは起こらなくなった。スーは「丹田が……」「腹式呼吸が……」と難しい言葉で説明していたけど、要は用を足す時の量を調整する感覚だ。こんなこと……彼女の前では絶対に言えないけど。
命中率も、対象を人差し指で指し示すことで上げることに成功した。真っ直ぐにしか進むことができないけど、当たれば一撃で野良モンスターを葬ることができた。
こんな感じでコマンドの基礎を習得した特訓5日目。スーが「今日から対人戦の練習をしましょう」と一人の女性を連れてきた。
彼女こそ、僕がこのあとの作戦で一緒に行動するムーブ先輩だ。
場所はデビアンの支配ディレクトリ(領土みたいなもの)、mntエリア。青空の下に広がる鉄道ターミナルの屋上に彼女はやってきた。
ブロンドのショートヘアと青と緑のオッドアイが印象的だった。衣装も、緑のラインが入った黒のラバースーツに身を包み、腕と肩と足に白のプロテクターを装着している。SF映画に出てくる戦闘スーツって言ったらわかりやすいかな。伝わらないかもしれないけど、エヴァのプラグスーツみたいだった。
「おっ、君がセンタータワーを壊した新人君だね」
ムーブ先輩は陽気な笑みを浮かべて近づいてきた。僕はというと、肌にぴたりと密着したスーツが描き出す曲線に目を奪われてしまっていた。
「よ、よろしくお願いします!」
「お〜お〜、可愛いね〜。歳はいくつ?」
「……16、です」
「じゃあ年齢もエックス・ワールドも私が先輩ってわけだ。私はムーブ、18歳。これからよろしくね……えっと、車掌くん? だっけ?」
差し出された手に「はい」と言いながら応じる。年齢もプレイ時間も僕より上だったけれど、握った手は小さかった。
異性との握手にしどろもどろになる僕をよそに、先輩は眉を顰めていた。そして、スーの方を向いて言った。
「ねえ、この子の名前って、ちょ〜っと呼びづらくない?」
「そうですか? 私はいい名前だと思いますけど」スーは首を傾げた。
「でも、戦闘中に『車掌』って、なんか違うと思うんだよな〜」
腕組みをして考えていた彼女は、しばらくして「そうだ!」と声を上げた。
「じゃあ、こうしない? 今から模擬戦闘をやって、勝ったら私の好きな名前に改名する。……そうね〜、『ポッポくん』なんてどう? そして、君は私のことを『ムーブ先輩』と呼ぶ」
なぜか僕の名前を賭けたバトルを申し込まれた。僕は困惑の表情を浮かべる。
「でもこれじゃあ、君にメリットがないよね〜」
僕の意見を聞かずに話は進んでいく。
「なんかないかな〜」と彼女はチラチラとこちらを見ながら体を揺らした。
やがて、「あっ、これならどう?」と言って、とんでもないことを口にした。
「君が勝ったら、君のお願いをなんでも聞いてあげるよ」
心臓が飛び出るかと思った。
わかるだろうか。女子からあんなことを言われたら、誰だって思考が特定のベクトルに向いてしまう。
彼女は”なんでも聞く”と言った。
それは……つまり……。
視線が自然と首から下に向かう。綺麗な曲線を描くスレンダーな体。細い腕、くびれのある腰、そして丸みのある——
「あっ、変なこと考えてたでしょ〜」
心拍数は爆上がりして、僕は思わず下を向いた。恐る恐る顔を上げると、ムーブ先輩は子供をからうように目を細めるだけで、肯定も否定もしない。
「決まりね。じゃあ、サクッと始めちゃいますか〜」
それどころか、戦闘を始めようと離れだした。
いやいや、待て待て。
あの笑みはどういうこと? OKってこと? ただ僕をバカにしただけ?
答えが出ることなく試合開始のゴングは鳴る。
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