episode33「洗脳」
rootエリア。
地表付近の洞窟をコンセプトにしたこのエリアには、bootエリアのようなマグマが流れているわけではなく、ただ真っ暗な闇が広がっている。プレイヤーは常にechoコマンドを実行し続けないと内部の様子を把握することができない。
「アレェ〜? 俺のこと見えてるぅ〜?」
洞窟の壁際に座るスー・マードックは何も言わず、目の前に立つリムーブを見つめていた。
「ふ〜ん、見えてるんだぁ〜。意外と器用なんだね〜。ま、いいや。動かないでねぇ〜」
リムーブは懐から注射器を取り出すと、切断されたスーの足に刺した。エックス・ワールドのデフォルトアイテム、メモリ回復薬。これを投与されたプレイヤーは、メモリが回復するとともに欠損部位の修復も行われる。これで彼女の左足も元通りになるはずだ。
「どうして、こんなことをするんですか?」
スーは睨みつけながら尋ねた。リムーブはニチャリと笑みを浮かべる。
「へぇ〜、そんなこと聞くんだぁ〜。アハハッ、面白いねぇ〜。せっかくだし話してみようかぁ〜」
彼はスーと対面するように座った。デビアンの副司令官を前に余裕の態度を見せるのは、彼女を後ろ手で縛ってるからか、はたまた自分の能力に自信があるからか。
「俺の本名、ムハンマド・ロビンって聞いたことあるぅ〜?」
スーは無言で首を横に振った。
「中東の旧五代貴族、ハッザード家領主の第五令息が俺のかつての肩書き。当時はまあまあ裕福な暮らしをしていてさぁ〜、食うもんに困らなかったし、着るもんにも困らなかったぁ」
リムーブは口を歪めた。
「けど、政変が起きて俺の家は失墜したんだぁ〜。輩が土足で踏み込んできて、金になるものはなんでも持ってったぁ。金品財宝、そして……”人”!」
死んだ目で笑みを浮かべ、語気を強めるリムーブに、スーは身じろぎする。
「俺たち家族は全員オークションにかけられたぁ。姉さんや従姉妹は高い金で買われて、年とった父さんや足が不自由だった兄さんは買い手がつかずに目の前で殺された! 俺は物好きなヤツに買われて、尊厳と呼べるものは全て踏み潰されるくらい色んなことをさせられた!
……しばらくしてヤツは飽きたのか、買われたときよりも安い値でサーカス団に俺を売り払った。気づいたよぉ。このまま売値がつかなくなったら、俺も父さんや兄さんのように殺されるんだって。……ケヒヒヒッ。そう。金だぁ。金さえあれば、命だって買うことができるんだぁ〜」
「あなたがこのゲームを始めた理由は、”賞金システム”ですか?」
エックス・ワールドにはゲーム内での貢献ポイントに応じてプレイヤーに収益が分配される。貢献ポイントは敵を倒したり、エリアを奪取することで増えるが、敵に倒されると手持ちのポイントは0になってしまう。収益は2ヶ月ごとにエックス・ワールド内で課金された金額(ソフトやスーツの購入も含む)に応じて分配されるため、年間100万ドル稼ぐプレイヤーも存在する。
リムーブは目を三日月型に細めた。
「あぁ〜、2ヶ月で配分される総額が5000万ドル。それを独り占めできると考えたらぁ…………ケヒヒッ、ケヒヒッ」
恍惚とした彼は涎を垂らす。
「まずは俺を買ったやつを全員買い返して、俺と同じように”躾け”るんだぁ〜。豆スープ床にばら撒いて、それを足で踏み潰した物体を無理やり食わせてやるんだぁ〜。フフフッ、イヒヒヒッ……あいつら、どんな顔するんだろうなぁ〜」
頬に手を当ててとろけるような笑みを浮かべるリムーブに、スーは身を縮こませた。
悦に浸っていたリムーブは、やがて真顔になる。
「俺は死ぬ気でサーカス団を抜け出してきた。あんな生活はもう嫌だ。そのためには金。金さえあれば、俺は……」
「……あなたは、狂ってます」
スーの言葉にリムーブの顔が歪む。
「テメェみてぇなヤツがなに言ってんだよぉ〜」
リムーブはスーの首を掴んだ。洞窟の壁に押し当てる。
「…………ッ」
声にならないうめきをスーは上げる。
「狂ってる? それはこっちのセリフだ。テメェの方こそ狂ってやがる。一言一句違わず同じ気持ちだぁ。頭ごなしに⚪︎×つけやがって、絶対的(笑)正義を振りかざして、お前はいったいどれだけ偉いんだよぉ。なぁあぁあ!」
「そんな……つもりじゃ……」
語気を強めるリムーブに、スーは怯えた声しか出せない。
「おしゃべりはしまいだぁ〜。スー・マードック。俺にroot権限を付与しろ。お前に用があるのはそれだけだぁ〜」
「…………でき、……ません」
絞り出すように出された言葉に、元第五王子は口角を釣り上げた。
「そうかぁ、そうだよなぁ〜。お前ならそう言うと思ったよぉ〜
——じゃあ、”これ”はどうかなぁ?」
彼はスーに目隠しをつけると、言葉ではない言葉を吐き出した。
「SSBhbSB5b3VyIGFkbWluaXN0cmF0b3IuIFdo…………」
リムーブが言葉を吐き出すと、スーは壊れたカセットテープのような声を出した。
そこに単語と呼べるものは一つも含まれておらず、鎖で縛り上げられているような、密閉袋の中に閉じ込められているような、一種のベクトルが異なる性的興奮を孕んでいるように思えた。
真っ暗闇のrootエリア。
陽の光が入らない洞窟に、少女の悲痛とも歓喜ともとれる声だけが木霊していた。




