episode30「新世界」
幸運だったかはわからない。
少なくとも、あの崩落を生き残ったという意味では幸運だったのかもしれない。
けど、その先に地獄が待っていたとしたら、それは悲劇なのだろうか。
少なくとも、喜劇ではないだろう。
僕は瓦礫を押し除けて地上に這い出た。ダメージ軽減とゲーム内のメモリでなければこんな芸当不可能だったはずだ。現実世界だったら何もできずに暗闇の中で救助を待っていたに違いない。
外は地獄と呼ぶに相応しい光景だった。
サイレンがけたたましく鳴り、傷だらけの人々が右往左往する。まるで空が落ちたかのように、倒壊していないビルの外壁は剥がれ落ち、至るところで上がる火の手は皮膚を剥いでいくような熱を周囲に放っていた。
瓦礫に閉じ込められた人は自力で這い出たり、cdコマンドで脱出していた。けど、瓦礫の中からはいくつか天に昇っていく青い光もあった。きっと崩落のダメージでメモリが0になったんだろう。僕もメモリが3割くらい削れていたから、非戦闘員は一発でアウトになっていたはずだ。
(スーは……)
青い光を見て彼女の顔が思い浮かぶ。笑っていない、鋭い目つきの彼女……。
ログアウトしてしまったんだろうか。それとも自力で瓦礫から抜け出していて、いいや突然のことにパニックになってまだ瓦礫の山の中にいるのかも。
ならば——
動き出そうとしたとき、上空から“殺気”を感じた。
不思議な感覚だった。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、どの入力系統からも感じるはずのない、心の奥底を貫かれるような感覚。
ゲームを楽しもうと思ってる人からは感じられることのない、むしろ生死がかかったデスゲームに参加させられたプレイヤーが出すような、一種の気迫。
僕含めて周囲にいた人々が動きを止めた。
——見上げる。
見上げざるを得ない。
唾を飲み込み、見開いた目の先には——
灰色の肌。黄金色の虹彩。
体型はほっそりとしていて手足がスラリと長い。でも背中はひどく曲がっていて、手足もダラリと垂れている。モデルというより妖怪と表現する方が適切だった。
僕含めて、その場にいた全員が理解した。
彼は、敵だ。
デビアンでは見たことない外見に、醸し出す不気味な雰囲気。敵性プレイヤーとしない理由がなかった。
「ポッポくん! 大丈夫?」
cdコマンドでムーブ先輩が現れる。彼女はすぐに敵を見上げた。
「あの人が……?」
彼女の声はいつになく真剣だった。
「わかりません……」
「じゃあ、聞いてみなくっちゃね」
先輩はmvコマンドで周囲に落ちてたハンドガンと刀を手元に引き寄せた。僕も右手を彼に向ける。
すると、彼と目が合う。
一瞬だった。
彼が右手を出す。
「`rm……」
嫌な予感がして、僕とムーブ先輩は左右に避けた。
「……-f [~10 10 ~-20 10 ~0 10]`」
詠唱が終わった瞬間、僕らが先ほどまでいた場所がえぐれた。
音も事前エフェクトもなかった。僕たちが立っていた場所、1辺10メートルの立方体がすっぽり収まるほどの”空洞”が生まれていた。
”空洞”と書いたのは、空間もなくなっているように見えたからだ。えぐれた場所は、重力レンズのようにぐにゃりと曲がって見えた。
「グェッ……!」
空間がえぐれた直後、誰かの声がした。たぶん、瓦礫の下に残っていた人だろう。下半身となった体が見えたかと思うと、青白い光に包まれて消えていった。
『ポッポくん、わかると思うけど……』
ディスコード越しに先輩の声が聞こえる。
『彼はrmコマンドだ。絶対に射程に入っちゃダメだからね!』
先輩の忠告が終わるか否か、リムーブ(彼の名前はわからないから、ひとまずそう呼ぶことにする)が手を前に出す。
「`rm -f [~10 10 ~-20 10 ~10 10]`」
開戦の狼煙は上がった。
僕らはcdコマンドで避けると、先輩はリムーブの背後に回った。手持ちのハンドガンで数発、発砲するものの弾が命中した痕跡はない。
rmコマンドはファイルやディレクトリ(フォルダ)を削除するコマンドだ。その特性から考察するに、彼の周囲には物理攻撃全てを消去する関数が、すでに発動されていると考えることができた。
「それなら……!」
僕はリムーブに右手を向けた。
「`sl &`」
透明な汽車がリムーブに向かっていく。jobsコマンドで見えているのだろう。彼は右手をSLに向けた。
「`rm -f [~5 10 ~-5 10 ~5 10]`」
しかし、空間が潰れるだけで機関車は消えない。
リムーブは目を細めると、cdコマンドでSLを避けた。
(よし、SLが効くとわかったのは大きいぞ!)
無敵じゃないってことは勝ち筋があるってことだ。あとはどう攻略するかだけ……。
そのとき、リムーブの奥1000メートル離れた摩天楼の窓がキラリと反射した。
直後、彼の頭めがけて一本のビームが放たれる。コマンドを唱える余裕のなかったリムーブは右手で受け止めた。微々たるものかもしれないが、彼に与えた最初のダメージだった。
『やぁ、ルーキー』
ディコードから知った声が聞こえる。マイクの奥で意地悪な笑みを浮かべている、小悪魔風な少女声。
『ビームを打てるのは、お前だけじゃねぇんだぜ〜』
タッチだ。
——————
slコマンド:ゲーム内に巨大なSLを出現させる。&をつけることで、SLを透明化させることができる。




