episode29「揶揄」
事件が起きたのはオフ会の翌日だった。
僕はいつも通りエックス・ワールドにログインしたけど、心ここにあらずだった。頭の中にあったのはキャットさん、キャットさん、キャットさん。昨日の夜の出来事が何度もリフレインして、気づけば僕は彼女のことを探していた。
「大丈夫ですか、車掌さん?」
スーとのブリーフィングでも僕はボーッとしてしまい、何度も彼女に注意された。場所はbinエリアのオフィスビルの一角。ブリーフィングスペースと呼ばれる場所だった。整列したガラスのテーブルの一つで僕とスーは2人きりで作戦会議を開いていた。
「いいですか。次の作戦でエリアを奪取できるかが相手への大きな牽制になるんです。ちゃんと聞いてください」
「ごめん……」
何度目となる陳謝にスーは不満げなため息をつくと、テーブルの天板に表示された地図を使って説明を再開した。
ブリーフィングスペースには、僕ら以外のチームも作戦会議をしていた。人の出入りも激しく、誰かが部屋に入ってくるたびに僕は振り向いてしまった。いま考えてみれば週に2、3回しかログインしない彼女があの時間にブリーフィングスペースに来るなんて天文学的な確率だ。それでも僕は0を1にしてきた人類の力を信じて確認することをやめなかった。
(流石に集中力を欠きすぎているな……。ヨシッ)僕は気合を入れてスーの話に耳を傾ける。
見苦しい言い訳になるかもしれないが強調させてくれ。
僕は一度はスーの話を真剣に聞こうと思ったんだ。
でも、部屋の扉が開いて入ってきた人がオレンジ色の髪をしていたとき、もうダメだった。
僕は振り向いてしまった。確認せざるを得なかった。子供の頃、お母さんにゲームをやめなさいと言われて「あと1回だけ」とねだるように、僕は理性に弁明して顔を上げてしまったんだ。
結果的に、その人はキャットさんではなかった。
心の中でため息をつく僕に、さらなる悲劇が襲う。
「もういいです!!」
スーの堪忍袋の緒が切れたんだ。
「車掌さんは一人でprocエリアに向かってください。私の作戦なんか聞かなくていいんですよね」
初めて声を荒らげる彼女に僕の意識は晴れた。赤い瞳で睨みつける彼女の表情は今まで見たことないくらいきつかった。
「ご、ごめん……」
「なにがごめんなんですか?」
「その……話を、聞いてなかったこと……」
「それはあなたが私の話に興味がないからでしょう?」
「そんなこと、ないよ!」
「じゃあなんで聞こうとしないんです?」
「それは……」
口ごもる僕にスーは嫌味な視線を向けた。
「ほら……やっぱり私の話に興味がないんです……」
「そんなこと……」
このとき、僕の心の中から思いが溢れてきたことを覚えている。見ることはできなかったけど、色をつけるなら間違いなく黒だ。一抹の不安を抱えながらも、僕は黒い思いを吐き出さずにはいられなかった。
「君だって! 待ち合わせ時間守らないことがあるじゃないか! ビルの屋上でボーッとして。それなのに……それなのに……」
スーはよくbinエリアのビルの屋上でボーッとしてる。彼女曰く、作戦立案で疲れた頭を冷ましてるんだそうだ。おかげで時間を忘れて集合時間に来ないことが多々あった。この日も僕が探しに来なければ、彼女はいつまでも空を仰いでいただろう。
けど、あれは言ってはいけない言葉だった。間違いなく、僕らの関係にヒビを入れる一撃だった。
そのことに気づいたときには、もう遅かった。
————あのとき、彼女は寂しい顔をしていたと思う。
「……もういいです」
スーはそれ以上なにも言わず、ブリーフィングルームをあとにした。
「あっ……待って……」
後悔の念が込み上げてきた僕は彼女を追って廊下に出た。
「その……えっと……」
僕は言葉を探しながら彼女のことを追いかけた。きっとできる男なら気の利いたセリフを息をするように吐き出すことができるんだろうけど、こちとら生まれて初めて同世代の女の子と喧嘩したんだ。しかも、こちらが100%悪い喧嘩を。なんて言えばいいのか、データが足りてない。
「あの……だから……」
歩きながら声をかけたが、彼女に僕の声が聞こえていたかわからない。僕の声は思ったより小さかったはずだから。
スーは歩調を変えずに廊下をどんどん進んでいった。このまま彼女と一言も話せなくなるんじゃないか。焦りながら、それでも僕は彼女に謝罪の一つすら言うことができなかった。
結論から言おう。
僕は彼女と和解することができなかった。
今でも後悔している。
あのときちゃんと謝っていれば、あのときちゃんと話を聞いていれば、
もっと違う未来が待っていたんじゃないかって。
いいや、”今でも”じゃない。
今だからこそ、後悔してるんだ。
あの時は初陣で戦績上げて、女の子からも言い寄られて、世界のことをわかった気になっていただけで————、今は、ただただ来世ってところに連れてってほしい……。
前兆はなかった。
突如、下から突き上げるような轟音が鳴ったかと思うと——
足元が崩落し始めて————————、
僕らは底の見えない大穴に吸い込まれていった。




