episode27「空窓」
さて、何から話そうか……。
時は、キャットさんと別れて在来線のホームで電車を待っていたとき。
このときの僕は一種の賢者タイムみたいな状態になっていたと記憶している。あっ、あくまで”みたいな状態”だっただけで、実際になっていたわけじゃないから、誤解しないでほしい。
雑踏をイヤホンで塞いで、無心でディスコードの通知を見ていた。あの日の朝はレッド・ハットから大規模な侵攻があって、損壊した設備の復旧報告がタイムラインには流れていた。
それらを確認していると誰かに肩を叩かれた。僕はビクッと体を震わせる。
「ヨォ」
顔を上げると、細目と高い鼻が特徴的なタッチが立っていた。
「どこまで?」
「……鷺沼」
「お〜、俺は二子玉川だ。ホントはみんなと朝まで飲みたかったんだけどな、ばあちゃんが危篤になったっていうから、急遽帰宅ってわけ」
ちょうどそこに電車がやってきた。僕らは特に意味もなく隣の席に座る。僕から話すことがなかったから(それどころじゃなかったから)黙っていると、彼がふと口を開いた。
「すまなかったな、変にからかったりして」
「えっ……?」
彼のことを見る。タッチは恥ずかしそうに正面を向いていた。
「エプトさんから聞いたよ。不登校なんだってな。俺も同じようなもんだからさ、ちょっとライン越えだったな……って」
「同じ不登校……?」
彼はピースサインを作った。
「親に反抗して絶賛ニート中〜」
僕は改めて彼を見た。大型ビジョンに投影されていそうなセンスのいい服を着ていて、ニートと言われてもピンとこない。
「親は生活費を出してくれないけど、こちとら資産は大量にあるからな。投資で稼いでるんだ。でも、こう見えて最初は働こうと思ったんだぜ」
「そう……なんですか?」
なんの気なしに聞いてみる。
「ああ。マーケティングの仕事に就こうと思って数社受けたんだ。けど、どこも落とされた。理由はすぐにわかったよ。俺の名前だってね」
彼は電車の天井を見上げた。揺れる吊り革が見える。
「俺の名前は石田海っていうんだよ。海と書いて『シー』。ふざけた名前だろ。俺は気に入ってたんだが、頭の堅い人事部には受けないんだと。内定もらった同期が聞いたらしくってさ。な〜んかそっからくだらねえと思ってニートやってんだよ」
「そう……だったんですか……」
「もちろん、親には猛反対されたよ。テメェがつけた名前のせいで子供が不幸になってるっていうのにな。それこそ物が飛ぶ大喧嘩が勃発したんだぜ。家族全員が反対した。けど、唯一ばあちゃんだけが理解してくれたんだ。そんなばあちゃんが今際の際なんだ。行ってやらないと祖母不孝ってもんだろう」
その話を聞いて僕の彼に対する理解は改まった。それまではイタズラすることに快楽を感じるアウトローだと思ってたけど、僕と同じように悩んで、考えて、行動している。
僕は彼のことをじっと見続けた。悔しいけど、僕はこのとき彼に尊敬の念を抱いていたんだと思う。僕よりも人生経験豊富な”大人”。もし、今の感情を彼に相談したら、何か変わるかもしれない。
でも、口を開ける前に
「おっ、もう降りなきゃな」
電車が二子玉川に着いたので、彼は立ち上がった。
「じゃあな、坊主。またゲームで」
そう言って去っていく彼の背中を、僕は黙って見ていた。
やがて列車が発進して、僕の目には空っぽの窓だけが映っていた。
— — —
たらればの話はしない。
彼に相談していたら何か変わっていたかもしれないし、変わらなかったかもしれない。
確かなことは、もし僕が彼に相談していたら、相談内容は愉悦部の中で共有されて、次のイタズラにつながっていただろう。そういう意味では、当時の僕は口下手でよかった。
けど、忘れてはいけないことは、彼がどんな性格であろうと、彼がこれまでどんな経歴を歩んできていようと、僕は彼に”感謝”しなければならない。
だから、彼が生きた証を少しでも多く——誰にも見られないかもしれないけど——ここに書き記しておこうと思う。
2057年8月10日
豊田輝
* * *
ここはレッド・ハットの本部があるsbinエリア。
浮遊する5つの巨大な岩の上には、80階を超える高層ビルが乱立しており、SFとファンタジーが融合したような、独特の雰囲気を醸し出していた。
一番中央にある岩の、真ん中にある広場。スカーレット・スクエア・ガーデンと呼ばれる場所には多くのレッド・ハット構成員が集まっていた。
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