episode25「桃源郷」
キャットさんが来たのは、会が始まって2時間後だった。
「遅くなりました〜」
一目見て全身が震える感覚がした。
髪色はゲームよりも抑えた茶髪。けれども、長さはゲーム内と同じロングで、お腹のくびれから足の長さまで、体型もアバターと全く同じだった。もちろん性別も。
そして彼女の服。
ジャージの下にはヘソ出しの白Tシャツ。ボトムスは太ももがあらわになったミニスカート。目のやり場に困った僕は思わず下を向いた。
『初めて会った男子全員が「おっふ」って言うくらいかわいいからな』
確かに、タッチの言ってることは嘘ではなかった。僕も「おっふ」の「お」まで出ていた。
「うわ〜、キャットさんだ〜! 本物だ〜!」
ムーブ先輩が入口の方に行ってキャットさんに抱きつく。キャットさんは「おお、ムーブちゃん。リアルははじめましてだね〜」と抱き返した。
「キャットさん、こっち来てください」
先輩はキャットさんの手を取り、僕のところまで来る。僕は緊張して固まってしまった。もちろん、体が。
「ほら、この子。誰だと思います?」
「うわぁ、もしかして車掌くん? 思ったよりアバターまんまでびっくりした〜」
キャットさんはなんの躊躇いもなしに僕の頭を撫でた。美人のお姉さんに頭を撫でられた僕は、顔を真っ赤にした。
「自己紹介がまだだったね。ボクは猫塚真由美。Dynamiteってグループで活動してるよ」
後で調べてわかったことだけど(引きこもりの世間は狭くなるものさ)、Dynamiteは人気急上昇中のK-POPグループで、スポティファイのチャートで5位にランクインするほどの実力を持っている。そしてキャットさんこと猫塚真由美さんことMAYUはインスタのフォロワー数100万を超える、超超超有名人だった。
驚くだろう? 僕も驚いた。この情報を知ったとき「ファッ!」って腹の底から声を出してしまったくらいに驚いた。
グローバルテック企業のエンジニアに、高校生社長、そしてKPOPアイドル……。
なんて場所なんだ、デビアンは……。
そんな彼らと知り合いなんて、いま考えただけでも頭を抱えたくなる。
「そういえば、キャットさん」
「ん?」ムーブ先輩の言葉にキャットさんは振り向いた。
「さっきタッチが笑えない冗談言ってましたよ。キャットさんはチー牛顔のネカマだって」
「あらほんと」
キャットさんはニコリと笑みを浮かべると、荷物を置いて、タッチの方へ歩いていった。
そして、なにを言うわけでもなく、尖ったヒールで彼の足を踏んづけたんだ。
「イッテ〜〜〜!!」
タッチの叫びは会場中に響き渡った。
「あら、ごめんにゃ〜。ボクの偽情報をばら撒いたから、つい踏んづけちゃったにゃ」
うすら笑いを浮かべるキャットさんに対して、タッチはつま先を押さえて悶絶している。
けれども、みんな彼の悪行を知っているからか、誰も「大丈夫?」などと声を掛けない。むしろ、「また何かやらかしたのか」と呆れ顔で眺めている。同じ”愉悦部”の仲間にいたっては笑い声をあげていた。
戻ってきたキャットさんはしてやったり、とでも言いたげに笑みを浮かべた。僕も応えるように笑い返した。
— — —
3時間におよぶオフ会は盛況のうちにお開きとなった。ケータリングを囲んで話すだけだったけど、あっという間だった。
ブライアンや他の人たちは二次会に向かったけど、僕は久々にたくさんの人と話して疲れたので、帰ることにした。
「じゃあ、ボクと途中まで一緒に行こう!」
ということで、このあと仕事があるというキャットさんと渋谷駅方面へ向かう。キャトさんは日付を超えるまで仕事があるらしい。ハードスケジュールをこなしながらエックス・ワールドもやって、そのポテンシャルはどこから来るんだろう。
大通りに出る道を歩く。通りには装飾が絢爛な建物が、「3時間休憩〇〇円〜」「ジャグジー付きルーム」といった看板を提げて、男女を引き寄せていた。時刻は18時過ぎ。数組の男女が体を密着させて建物に入っていく。
「気になるの?」
隣を歩くキャットさんが口を開いた。ちなみに、彼女はリアルだと語尾に「にゃ」はつかない。
声をかけられた僕は血の気が引く思いがした。
「い、いや、別に……」
なんて言いながら心臓は飛び跳ねていた。
なるべく平静を装う僕を尻目に、キャットさんは笑みを浮かべた。
「いいんだよ。そういうお年頃だもんね」
僕は恥ずかしくなって俯いた。会話のない時間が2人を包む。
ふと、彼女が口を開いた。
「ねえ……、入ってみる……?」
何かの間違いだと思った。運良く僕の耳が起こした幻聴だと思った。
けど、
「だから入ってみる? ラブホ」
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