episode24「'I' Novel」
今でも混乱してる。
ネット上で知り合った友人が、別の媒体で知り合ったコミュニティのリーダーをしていて、僕はそこに彼がいると知らずに参加していたんだ。
「いつから気づいてたの?」
「最初はアキラに似てる子がいるなぁ、ってだけだったんだけど、オフ会の話がキミの口から出たときに確信してね」
「……、……っ」
僕は何か言おうとして言葉が続かなかった。ブライアンとリアルで会えたことに対する喜びと、今まで近くにいたのに声をかけてくれなかったことに対する戸惑いとで、心の中がごっちゃになっていたんだ。
僕の心情を察したのか、ブライアンは優しい笑みを浮かべた。
「何事もサプライズが大事だろ? それに、入ったばかりの新人がグループのトップと親しげに会話していると何かと噂が立つからね。幸い、スーが面倒を見てくれていたし、俺は静観することにしたんだよ。……ちょっと刺激が強すぎたかな?」
「いや……いいんだ……」
僕は溢れ出す感情で無意識に笑みを浮かべていた。
「僕も、会えて嬉しいよ。ブライアン。君と出会わなければ、僕はここにいないんだから」
気のせいか、彼の目尻に涙が浮かんでる気がした。
ブライアンは静かに首を振った。
「そんなことない。いまキミがここにいるのは、キミが選択したからだ」
そして彼は僕のことをハグした。西洋人らしいスキンシップだけど、僕は日本人だ。
「ちょっ、ブライアン……」
困惑する僕をよそに、彼は耳元で呟いた。
「小さい部屋から、よくここまで来たね」
彼と初めて通話した頃の僕は、心を完全に閉ざした少年だった。周囲を隔絶した僕に、彼は担任の先生よりも親身に接してくれた。プログラミングも教えてくれた。仕事も紹介してくれた。僕が一人で生き抜く方法を教えてくれた。
小説にしたら3行くらいの関係値しかない。
でも————
『小さい部屋から、よくここまで来たね』
僕がここに来るまでの過程を知っている彼がそう言ってくれたことに、僕は泣きそうになってしまった。
— — —
オフ会には20人ほど集まった。これでもデビアンの2割弱というのだから、エックス・ワールドの規模の大きさが垣間見える。
集まった人は顔見知りが多いのか、たいてい三、四人で固まって話をしていた。けれども(これは飲み会の鉄則だと思うが)終始メンバーが固定されているわけではなく、人の行き交いも行われていた。
「二人とも。楽しんでるかい?」
僕とムーブ先輩こと氷川利千さんが話しているところにブライアンがやってきた。うーん、なんかややこしいからブライアン以外はみんなエックス・ワールドのユーザー名で書こう。
「エプトさん、お会いできて光栄です」
ムーブ先輩の握手にブライアンはなんの躊躇いもなく応じる。ハンサムな笑みも添えて。これができる大人か、と感心したものだ。
「キミがムーブだね。アキラの面倒を見てくれてありがとう」
「とんでもないです。スーちゃんが私と彼を引き合わせてくれましたから」
「そうか。じゃあ、あとでスーにも感謝を言っとかないとな」
ブライアンはムーブ先輩の隣に座った。
「エプトさんはお仕事でこちらに?」
「ああ。日本で新しいサービスがローンチされるからね。その現場作業で」
ブライアンは世界的に有名なIT企業でリーダー・エンジニアをしている。細かいところまでは知らないけど、大手動画プラットフォームでアルゴリズムの開発をしているらしい。
「キミの話はアメリカでも聞くよ。近々、アメリカにも進出するんだろう?」
グローバルテック企業のリーダーの問いかけに、世界を変える若者は笑顔で首を横に振った。
「まだ計画の段階です。けど、早ければ今年中にも、と考えています」
そこから二人は僕の知らない日本語で会話を始めた。”ナスビダック”とか”ケージョーリエキ”とか知らない単語が飛び交う間を、僕はお経を聞くように耳を澄ませていた。
— — —
会が始まってから1時間半後、僕をからかってきたタッチがやってきた。
「二人ともディコードみた? キャットちゃんが来るらしいよ」
ムーブ先輩の顔がぱあと明るくなる。
「やった〜。本物のキャットさんにようやく会える〜」
「そうか。ムーブちゃんは最初のオフ会にまだいなかったもんね」
「先輩も会うのが初めてなんですか?」
ムーブ先輩は満面の笑みを浮かべた。
「うん。オンラインの画面越しで何回か会ったことはあるんだけど、直接は初めてだよ」
僕はゲーム内でのキャットさんを思い出した。オレンジの長髪と猫耳、レオタードとオーバサイズのパーカーを着ている姿が浮かんだ。
リアルのキャットさんはどんな感じなんだろう。ムーブ先輩のようにアバターそのまま現れるのか。それとも……
僕は前に立つタッチのことを見た。ゲーム内ではゴシック系少女だったのに、目の前にいるのは360度どこから見てもオッサンだ。
もし、キャットさんも同じ感じだったら……。
「なに。気になるの、キャットちゃんのリアル?」
タッチがニヤニヤしながら聞いてくる。絶対よからぬことを企んでる、と直感した。
リアルのキャットさんを知るタッチは、こう証言した。
「キャットちゃんは実はね、俺と同じネカマなんだよ。リアルはチーズ牛丼頼んでそうな顔をしていてね、猫耳萌えのやつらをからかうことを生業にしてるんだ」
チーズ牛丼頼みそうな顔ってなんだ? と思っていると、ムーブ先輩が鋭い目つきで「ダウト〜!」と言った。
「私、キャットさんとオンラインで話したことあるけど、ちゃんと本人でしたよ!」
先輩の指摘にタッチは涼しい顔をする。
「ムーブくん、今の技術を舐めてはいけないよ。リアルタイム通話でも顔を変えるなんて朝飯前だからね。この間も女性配信者が”デジタル整形”が発覚して炎上してただろう?」
「ううん。私、ちゃんと彼女のSNSもリアルタイムで見せてもらったから。キャットさんはちゃんと女性だよ」
タッチは口をへの字に曲げると、
「ちぇ〜、つまんね〜の」と言った。やっぱ嘘だったんだ。
「でも、これは本当だぜ。——キャットちゃんは、めっちゃかわいい。初めて会った男子全員が『おっふ』って言うくらいかわいいからな。これに関しては異論ないだろう?」
タッチの言葉に先輩は恥ずかしそうに「それはそうだけど……」と言った。
あとで知ったことなのだが、タッチはデビアンの中にあるグループの一つ、”愉悦部”というところに所属しているそうだ。”愉悦部”というのは、人をからかうことが三度の飯より好きな人の集まりで、嫌がらせの質はトップレベルだという。敵にとって厄介な存在かもしれないけど、その矛先を僕に向けないでほしいものだ。
— — —
キャットさんがやってきたのは会が始まってから2時間後だった。




