episode21「海馬」
「何を悩んでいるんだ、アキラ?」
ヘッドホンからの声に僕は我に返った。画面の奥には彫りの深い大渕メガネをかけた男性が座っている。茶髪に青い瞳、そしてガタイのいい体格は、いかにも西洋人って感じだ。
「ごめん、ブライアン。ちょっと考えごとをしてたんだ」
彼の名前はブライアン・ペレンス。僕のインターネット上の友達だ。アメリカはシアトルでエンジニアをしている。
もし、ここで不登校には友達がいない、なんて昭和初期の固定観念に凝り固まっている人がいたら今すぐ捨てたほうがいい。時代はグローバル。インターネットを通じて世界中の人とコミュニケーションをとることができるんだ。
彼と出会ったのは「ツイコール」という知らない人と通話することができるアプリだった。当時の僕は親と数日間会話しないこともザラで、それでも誰かと話したい欲求に駆られてこのアプリを使った。その時に初めて繋がった相手がブライアンだった。
まあ、話せば長くなるけど、要するに——
僕の良き理解者で、僕にエックス・ワールドを勧めた張本人だ。
「考えごと?」
「うん。実は僕のいるディストリビューションで今週末にオフ会が開かれることになったんだけど……」
新規エリア争奪戦の翌日、リーダーのエプトさんからオフ会の案内が届いた。
僕はムーブ先輩によって半強制的に参加することになったのだが、参加メンバーの中に気になる人がいたんだ。
— — —
話は少し遡る。
オフ会の参加メンバーが発表された翌日、エリア争奪戦から2日後のこと。いつも通りエックス・ワールドにログインすると、知らない人に声をかけられた。
「あっ、キミが噂の車掌くんだね〜」
初めて聞くその声は、「ただいま」のように僕の耳にスッと入ってきた。
現れたのはスーよりも背丈の小さい女の子だった。黒のショートボブに肩が出た黒のミニスカワンピースに黒のガーターソックス。黒で統一された装いにアクセントとして鮮やかな赤い瞳と、同じ色のインナカラーが目を惹いた。
「突然話しかけちゃってごめん。いま、時間大丈夫?」
「あっ、……うん」
すごい勢いで近づいてくる彼女に、僕は身を捩らせた。キャットさんと同じ香水の匂いが鼻腔をくすぐる。
彼女は僕の様子を気にするそぶりも見せず笑みを浮かべる。
「あっ、自己紹介してなかったね。アタイの名前はタッチ。普段はエリアの警備を担当してるんだ」
一人称「アタイ」のゴスロリっ娘……。いま思ったけど、エックス・ワールドの人たちってクセの強い人が多いなぁ。キャットさんなんて語尾が「にゃ」で一人称が「ボク」だし。
話を戻そう。
名乗り終えて差し出してきたタッチの握手に僕は応じた。優しく握り返されて僕の唇は歪む。
「それで……僕に用事って?」
「うん。この前の争奪戦、アーカイブ見たよ〜。めっちゃカッコよかったね!」
エックス・ワールドのディスコードにはプレイヤーの視点を録画できる機能がある。録画はディスコードを経由してディストリビューションの人たちに共有され、敵の分析や今後の作戦立案のために参照される。
「あ、ありがとう……」
僕は苦笑いを浮かべながら応えた。握手した手を離そうとするが、彼女が離さない。
「アタイって、今は後方支援なんだけど、いつかは前線に出たいと思ってるんだよね。だから、もしよかったら今度のオフ会前に会って教えてくれないかな〜?」
思考が止まった。”会う”という単語がサイレンを回すように頭の中に残存した。
「えっと、会うって……直接?」
「うん。スーツを動かしてる車掌くんを間近で見たいんだもん〜。当たり前でしょ?」
「で、でも、場所とかどうしよう……」
緊張で口がうまく回らなかった。今にして思えば、彼女は僕のしどろもどろとした様子に気づいていたんだと思う。
「会場近くにネカフェがあるからそことかどう? フルダイブ・スーツもあるっていうし、ディコードにログインすればエックス・ワールドも使えるよ。もし嫌ならどっちかの家でもいいけど……」
— — —
「それで、誘いに乗ったのか?」
「いちおう断ったよ。初対面の相手だったし、ゲーム内でしか会ったことのない人といきなり二人だけで会うのはちょっと……。でも、断ってよかったのかなって迷いもあって……」
「迷い……?」
画面の奥にいるブライアンは片眉をあげる。
「うん。気のせいかもしれないけど、断ったときに彼女、残念そうな顔をしたんだ。もしかしたら邪な思いとかそういうのはなくて、ただ純粋に僕に教えてもらおうと……」
僕は顔を上げてブライアンのことを見た。彼はニヤニヤしながら顎を撫でている。
「どうしたの、ブライアン?」
「いやぁ、暗い雰囲気だったのに変わったなぁって。初めて会った頃のキミなんて、人と会うかどうかで悩まなかっただろう? いいね〜、若いってのは。無限の可能性だ」
僕は眉を顰めた。
「ブライアンだってまだ若いじゃん」
「30は若くないよ。なんでも選べるほど自由じゃない。例えばフィギュアスケート選手を始めるには小学校低学年から始めなきゃいけない。今から俺が目指すって言ったって、明浦路司でも『無理だ』って断言するだろう」
「アケウラジツカサ……?」
「あぁ、気にするな。要は、なんでも選べるっていうのは若者の特権だって、言いたいんだよ」
「そうかなぁ」
恥ずかしくなって俯いた。日本に留学経験のあるITエンジニアは、頬杖をついて画面越しの僕を見つめた。
「会うかどうかはアキラの自由だ。だが、俺個人の意見を言わせてもらうなら、顔を知らない人と出会うのにはリスクがある。けど、リスクってのは生きてれば付きまとうものさ。殺人事件の8割は顔見知りの犯行だっていうデータもあるしね。こうして俺と会話してる間にもリスクは見えないところで蔓延ってる。だったら、見えているリスクに飛び込むのも悪くないってもんだろ?」
「?」
僕は首を傾げた。話が右往左往してる気がしたからだ。
「結局なにが言いたいの?」
そう尋ねると、ブライアンは恥ずかしそうに鼻を擦った。
「まあ、俺が言いたいことはあれだ……
オフ会楽しんでこい」
— — —
彼との会話の翌日、僕はオフ会に繰り出した。




