episode16「カタルシスト」
ムーブ先輩が苦しそうに顔を歪めたまま動かなくなった。
奥にはスーが見える。彼女は苦しむ余裕もないほど顔面蒼白になっていた。
——鼓動が負の方向に鳴る。
「これであとは君だけですだよ♪」
前には二人の赤い戦士が立っていた。助けを求めようにも他に仲間はいない。救出する術もない。攻撃も当たらない。
……どうしようもない?
”撤退”という2文字が浮かんだ。
このまま戦っても勝てる見込みはない。ならば、仲間を見捨てて逃げる……?
見捨てる?
その一言が、僕の心に重くのしかかった。
見捨てる? 僕が?
そんなの嫌だ。
見捨てられた僕をここまで連れてきてくれた人たちを裏切るなんて。みんなは許してくれるかもしれないけど、僕自身は許せない。
なら、どうすればいい?
再び同じ問いに戻ってきた僕の意識を戻すように、敵の足音が聞こえる。
僕はとりあえず右手を前に出した。
そう、本当に”とりあえず”だったんだ。攻撃は当たらない。けれども、二人を置いて逃げたくない。そんな二律背反が、僕に戦闘の意思表示をさせた。
これが反撃の狼煙になった。
「そうにゃ! 諦めたら、そこで試合終了にゃ!」
上空から一人の猫耳美女が降りてきた。オレンジのロングに引き締まったラインを強調するレオタード。
「キャットさん!!」
「フッフッフ〜ッ、急いで仕事を終わらせてきたにゃよ」
彼女はメイクDとコピーに向かって人差し指を向けた。
「せっかくのデビュー戦にゃからね、勝たせてもらうにゃ!」
「ほう、面白くなってきたですね♪」
メイクDは表情を変えることなく伸脚してみせた。
『ところで車掌くん』
ディスコード越しにキャットさんが話しかけてくる。ディスコードでの会話は敵には聞こえない。
だから僕はてっきりキャットさんが素晴らしい作戦を教えてくれるのだと思っていた。なんたってデビアンで一番の組み込みコマンド使いだから。
けれども、彼女の口から出てきたのは……
『なんか作戦でもあるかにゃ?』
『えぇ!?』
僕は言葉を失った。だって数秒前まで「勝たせてもらうにゃ」とか言ってた人だよ。勝利の方程式があるのかと思っちゃうじゃん。
『いや〜、徹夜だったから、眠くて眠くて…………』
よく見ると、キャットさんの瞼が重たそうだった。うつらうつらとしている。腰から生える尻尾も瞼の動きに合わせてゆらりゆらりと揺れていた。日本時間は朝の7時過ぎ。徹夜で仕事をしてきたのなら、シャワーなんて浴びずに寝たいところだろう。
でも、眠気と戦いながらではムーブ先輩の二の舞だ。
僕が……、僕が、示さなきゃ!
頭を全力で回す。今がその時、今がまさにその時だ!
こちらの手札は僕のslコマンドとキャットさんのcatコマンド。敵は一撃必殺のmkdirコマンドと複製系のcpコマンド。オリジナル・コマンドの性能ではあちらの方が高い。せめて、ムーブ先輩かスーがいてくれたら……。どうにかして二人を助けることができれば……。
敵は今すぐにでも攻めてくるかもしれない。そんな切迫した状態で、僕は覚えている限りで手持ちのコマンドのオプションを一つずつ思い出した。まずはslコマンド。オプションは空を飛ぶFと素早く動くオプションl、そして————
————見つけた。逆転の一手。
(これなら……)
『キャットさん!』
いま思いついたことを話すと、眠そうだった彼女の目はキラキラと輝き出した。
『ありにゃね〜。で、ボクは何をしたらいいにゃ?』
『ひとまず、陽動をお願いします』
キャットさんは笑みを浮かべた。
『ラジャーにゃ。それじゃあ、車掌くん。姫を救うかっこいい騎士になっちゃおう!』
* * *
女が不敵に微笑む。体をゆらりと脱力させて、重心を傾けながら呟く。
「`THE FUNCTION "|cat_combat_mode《ネコ・戦闘モード》" &`」




