9:思い出のセブレ③
ここは厨房。目的は勿論、サブレの試作をするためだ。邪魔にならないよう夕食が終わってしばらくしてから来たものの、使用人さん達が食事の真っ最中だった。
「これは聖女様。如何なさいましたか?」
「えっと、厨房を使わせていただきたいのですが……良いですか?」
「良いも何も、言ってくだされば何だってお作りしますよ!」
「いえ、私が作らないと意味が無いんです。」
使用人さんや料理人さん達にお茶会の事を知らせた。目を輝かせる人、青ざめる人、反応は十人十色だった。いきなり神様をお茶会に呼ぶなんて、そりゃびっくりするよね。
私がサブレを手作りする事に関してはパティシエのグリュイさんが教えてくれる事になって、「聖女様のお手伝いができるなんて夢のようです!」なんて言ってくれた。現職の、しかも王城のパティシエさんに教えてもらえるなんて、むしろこちらが夢のようだ。基本的なクッキーなんかは現世で作ったことはあるけれど、お店のものには程遠い良くも悪くも素朴なクッキーだったから、少しでも美味しいものに仕上げたい。グリュイさんに初代王妃のサブレのレシピを見せて、これを再現できないか伺った。
「なるほど。少し手間はかかりますが難しくは無いですよ。丁寧さが大事です。」
早速サブレ作りにとりかかる。お手本として、グリュイさんにも全工程をやってもらうことになった。まず材料の半分の小麦粉を薄茶色になるまで炒る。
「小麦粉を炒るなんて、初めて見ました!」
「ポルボローネがお好きだそうですね。あれも小麦粉を炒ることでほろりとした食感になるんです。炒った小麦粉の比率が多いほど崩れやすくなります。好きな量にアレンジしても良いですね。今回はレシピ通りの分量にいたします。焦がさないように注意して……。」
炒った小麦粉は冷ましておいて、その間に生地作りを進める。たっぷりのバターをよおく泡だて器でホイップする。
「普通のレシピにはよく『白っぽくなるまで』と記載されてますが、しっかりとホイップしてください。このように──」
グリュイさんの腕の筋肉が盛り上がったかと思えば、凄まじいスピードでバターが混ぜられていく。流石は職人、あっという間にバターがホイップされた。私のバターよりもふんわりとしている。ここまで混ぜるの、時間がかかるかも……。お菓子作りって体力仕事、かも……。グリュイさんより遅れて、バターの用意ができた。
「ここに砂糖を加えます。レシピは粉糖ですね。粉糖とグラニュー糖とでは食べたときの食感が変わります。せっかく小麦粉を炒ったのですから、口当たりを軽くするため粉糖にしたのでしょう。」
「へえ……砂糖なら何でも良い訳ではないんですね。」
「粉糖が混ざったら次は卵黄です。卵は水分なので、一度に入れてしまうとバターと分離してしまいます。」
「あっ。私、その失敗したことあります。今日は失敗したくないので、少ぉしずつ……」
「慣れるとどれくらいまでが許容範囲か分かるようになりますよ。本番まで頑張って練習しましょうね。」
「はいっ!」
グリュイさんにも見てもらいながら混ぜに混ぜ、つやつやふわふわのバターが誕生した。こんなに綺麗になったの、人生で初めて!
「香り付けはこの段階で行います。レシピは……バニラビーンズとラム酒ですね。」
「良い香り……」
「バニラビーンズは両端を切り落としたら縦に切り込みを入れて、ナイフで撫でるようにこそげ落としてください。」
「鞘のバニラを使うのは初めてです。バニラエッセンスを使っていました。」
「焼き菓子にはバニラエッセンスだと香りが飛んでしまうので、バニラオイルやエクストラクトがおすすめです。もちろん、ビーンズが一番ですけどね。」
「高級品なので、使ったことありません……」
「ここにある分ならいくらでも使ってください。よく使うものなので、ある程度在庫がありますから。……さて、ここまでできたら、振るった小麦粉とアーモンドプードルを入れましょう。」
「……わあ、なんだか香ばしくて今すぐ食べたい香りがします!そして、すごく柔らかいです!生地!」
「なにせバターが多いですからね。このままでは焼成できないので、丸い棒状に成形して冷蔵庫で冷やし固めます。」
そう言うとグリュイさんはラップを取り出してひいてくれた。ラップもあるんだ……。
そうして生地がいい感じになるまで小休憩。生地が固まったら均等に切って、オーブンに入れてまたまた小休憩。その間グリュイさんにお菓子の事、私が初めて来た日に食べたミルフィーユの事について熱く語った。
「あの何層にも重なったパイ生地と、カスタードと、苺の親和性が……」
「そんなに喜んでいただけたのでしたら、毎週……いや、毎日でもお作りいたしますっ!」
「素敵!ああでも、他のケーキも捨てがたい……っ。どうしたら、あんなに美味しいお菓子を作れるんですか?」
「そうですね……一番はやはり経験です。失敗しても、原因が分かれば次に繋がります。それと、これを食べてくれる人の喜ぶ顔を想像すると、俄然やる気がでます。」
「食べてくれる人……。」
そう聞いて真っ先に想像したのは、ヘンゼルさんだった。違う違う!今回はルーサンギーヌ様に食べてもらうためのサブレなんだから!ブンブンと首を横に降っていたら、グリュイさんに不思議そうな顔で見られてしまった。そんなことより、そろそろサブレが焼ける頃なんじゃないかな!バニラの良い香りに誘われて、オーブンの中のサブレを覗き込む。
「オーブンによって火の通りが異なるので、レシピよりも早くあげたり、逆に追加で焼いたり調節してくださいね。……っと、これはもう出した方が良いな。」
オーブンを開けて鉄板を取り出してもらった。完成だ!
グリュイさんのサブレは綺麗なまんまるで、そのまま袋に詰めたら売れるくらいに完璧な形をしていた。対する私のサブレは、ちょっと楕円というか、潰れた四角形のような、ちょっと不格好な形。成形だけで、こんなに出来上がりが変わるなんて……。
「そう気を落とさないでください。成形も経験ですよ!」
「はい……。本番までには、もっと綺麗に作れるよう頑張ります!」
でも味はどうだろう?我慢できずに焼きたてのサブレを一枚口に運んだ。食べた瞬間にバターとバニラと、頑張って炒った小麦粉の香ばしい香りが口の中に広がる。食感はさくっほろっとしていて、食べた瞬間に次の一口を誘うような中毒性があった。流石は国王が愛したレシピ。何より、自分でこんなに美味しいお菓子を作れた事に感動と達成感で胸がいっぱいになった。
「どうやら成功したようで良かったですね。そうそう、サブレは焼き立てよりも2日程置いた方が味が馴染んで美味しいですよ。」
「そうなんですね!全部食べちゃわないように気をつけます……。あと、お茶会の日よりも前に作らなきゃ。グリュイさん、ありがとうございました!」
◇◆◇
焼き立てのサブレと淹れたての紅茶をワゴンに乗せて、赴くはヘンゼルさんの執務室。夜も更けて学生ならとっくに寝てる時間だが、我らが国王殿下はまだ仕事に追われているらしい。ヘンゼルさんに差し入れしたいと申し出たら、「聖女様がお持ちになられたらきっと殿下も喜ばれます!」とメイドさん達が準備を手伝ってくれた。深呼吸をしてノック。「どうぞ。」と促されてドアを開ける。この瞬間はまだ慣れなくて緊張してしまう。
「失礼します……。」
「スミレさん、まだ寝てなかったの?」
「それはこちらの台詞です。お疲れかと思って、お茶を用意しました。」
眉間を指で抑えている姿は疲れているだろう事を表していた。たくさんの書類を横に退けてもらい、先程焼いたサブレと紅茶をサーブする。慣れない事をするからか、手が震えてあやうく紅茶を零しそうになった。
「聖女様が手ずから注いでくれた紅茶なんて、ありがたいなぁ。」
「初めてなので、上手く出来てるか不安ですが……。」
「初めて……じゃあ歴史に残る一杯だね。」
「もう……大げさですっ。そんなことより、初代王妃様のサブレですよ。頑張って作ったんですから。ちょっと形は悪いですけど……。」
「頑張ってくれていることは知っているよ、ありがとう。いただきます。」
サブレを一枚つまんで口に運ぶと、目を輝かせてこちらに視線を合わせてきた。それがなんだか可愛らしくてドキッとしたけれど、つまりは美味しいと思ってもらえたのかな?
「正直……驚いたよ。君がここまで美味しいサブレを作るなんて。」
「それはグリュイさんに教わったおかげです。私は真似をしただけですが……次からは、自分で練習しようと思っています。」
「それでも、凄いよ。お茶会の主役にピッタリだ。」
「いえ、アフタヌーンティーの主役は何と言ってもスコーンです。焼き立てのスコーンにクロテッドクリームとジャムをたっぷりとつけて、恥を忍ばずかぶりつけば──」
「わかった、わかったから……でも、そうだな……。何ていうか、僕は今まで食べ物で好き嫌いはしてこなかった。『好き』も『嫌い』も無かったんだ。でもこれが、僕は好きだ……。明確に好きだって言えるよ。」
私にとって、食べ物の『好き』は特別だ。その人が歩んできた人生が垣間見える気がするから。だからヘンゼルさんの人生に大きく影響した気がして、嬉しいような、むずかゆい気分になった。
「お世辞じゃなければ、嬉しいです……とても。」
「じゃあ素直に喜んでほしいな。……君も一緒にお茶しない?ほら、ティーカップがもう一脚あるよ。」
本当だ。メイドさん達が気をきかせてくれたのかな?ティーポットから自分の分の紅茶を注いで一口。やっぱり、一人でするお茶より誰かと一緒に楽しんだほうが私は好きだ。しかし、流石王宮というか、茶器が素人目で見ても分かるほど良いものだ。うっかり落として割ったりしないかそれだけが心配だった。
「王宮の茶器はどれも綺麗で素敵ですね。絵付けや金色の縁が美しくて……お茶の時間を華やかにしてくれます。」
「気に入ったかい?陶器や磁器は隣のキヴィという国の名産品なんだ。今度行商人を呼ぼうか?」
「それよりも、色々なことが落ち着いたらその国に連れて行ってください。陶器が名産品ということは、お茶も美味しいはずですから!」
「フフッ。違いないね。じゃあ約束だ。」
その言葉と共に小指を差し出される。ゆびきりという風習がここにもある事を不思議がるより先に、羞恥心が勝ってたじろいでしまった。一拍置いて、自分の小指とヘンゼルさんの小指を絡める。私より大きい手だな。小指から伝わる体温が、余計に私をドキドキさせた。
「約束……です。」
近いか遠いかわからない未来に思いを馳せて。今日のティータイムも特別なものとなった。




