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プロローグ


 紺戸出版の社内はいつでも重苦しい雰囲気に包まれていた。

 町の小さい出版社であり、主に地方紙やちょっとした雑誌やエッセイを出版している。

 常に人手不足でたった五人という人数で会社を回している。回さざるおえない。

残業は当たり前、最悪社内に泊まりもする。帰宅できるのは一年に2、3回程度。当然の様に行われる毎日二十四時間営業。という生粋のブラック企業である。

 柳木晴香(やなぎはるか)はこの会社を憎んでいた。今にも退職したかった。中学卒業と共に入社して早4年。先輩たちは皆続々とやめていき、今では古参と呼ばれる人間の一人だが、これでもまだ19歳の若造である。社員が社長含め五人なのは、この日の前に転職したものが続出したからだ。きっとみんなは週休二日定時退勤という環境で幸せに働いているんだ。なんとも羨ましいのだろうか。しかし、自分に他者の幸福に文句をつける権利はない。そう吐き捨てて、晴香はひたすら文字を打つ。キーボードを打つ指は重く、筆は思う様に動かない。やる気も次第に失せていき、「書きたい」という欲望より日々積み重なった疲労が勝る。

「柳木、ちょっと来て」

 フラフラとした足取りで社長兼編集長の元へ向かう。最後に家に帰ったのはいつだったか。

「あなた、クビね」

「・・・へ?」

 今、この赤髪の女はなんと言ったのか。

 晴香は聞き間違いかと思い聞き返した。

「だからクビだって」

———ちょっと待った。この辺りで碌に稼げる仕事なんてこの会社くらいしかないぞ。

 困惑するのも無理はないだろう。晴香がこの会社を辞めたら、今絶賛書き進めている280もの記事は誰が書くのか。四人の社員でこの先本当にやっていけるのか?しかも、今年入ってきた新人は記事が書けない。彼は社長の親戚であり、社長との関係を盾に他の社員に仕事を押し付けて自分だけ定時で帰る様な輩である。晴香の仕事の八割はこいつが押し付けてきた記事だった。

「私だって躊躇ったわよ。だけどコンサルの先生から言われたのよ、貴方の記事の人気がないって」

 人気がないのはここの新聞である。

「貴方が書く記事はイマイチ面白味に欠ける。あとタレコミがあったのよ。貴方が記事を書くのをサボって別のものを書いているってね。適当に歩いては飲食店とかに入って取材してるって」

 記者というのはそういう仕事である。というか取材してるんだから良いじゃん。記事だけ書けと?

「私だって貴方が惜しいわ。けどね、これは仕方のないことなのよ」

 おそらく給料が払えなくなったのだろう。ただでさえ売り上げが低いのに五人抜けてこのザマなのである。

 それに、貴方が惜しいと言っているのも嘘だろう。きっと、

『叔母さん、あいつ自分は仕事しないくせに僕の仕事に口出してくるんだ。邪魔だから切ろうよ』

『そうね、あいつなら退職金払わないでも見逃してくれるでしょ』

 みたいな感じに決まったのではなかろうか。

「なーんて、冗談よ冗談。貴方の仕事が滞ってるって聞いたから発破かけてみたのよ」

 なーんてじゃねえよなんて冗談だ。

 そう叫びたくなって、耐えた。

 

 デスクに座って考え込む。

 もしこの会社を辞めたら、か。

 考えたこともなかった。

 だが、どうせなら自分の好きなことをしたい。自分の就きたい職に就きたい。

 中学の頃書いていた様に小説を書くのもいいかもしれない。本業としてもいけるかもしれないが、他の仕事と併用して趣味程度で書くという選択肢もある。どうせなら書いてみたい。なんでもいいから自分が書きたいものを自由に書きたい。

 なら書けばいいじゃないか。

 そうだ。書けばいいのだ。そんな時間もないならこんなこのまま行けばうつ病まっしぐらな会社辞めてしまえ。

 そう思い立ってからの行動は早かった。

 封筒と便箋を取り出して、まず退職願を出す。退職の許可は貰ったが、一応必要かもしれないので書いておく。

 次に本命の退職届を書く。久々に筆が踊った。長年愛用してきた万年筆のおかげかもしれない。久しぶりに握ったので浮き足だったのだろうか。

 社長の机に歩いて、

「今までお世話になりました」

 二枚の封筒を叩きつける。

「え、ちょ・・・」

 少ない荷物をまとめ、鞄に入れる。

「では、私はこれで」

 後輩たちは気付いた。これまで生気のない顔をしていた自分よりも年下の先輩が、今だけ夢に溢れた若い青年のそれと同じ顔をしていることを。そして改めて気付かされた。彼がまだ10代の若者だということを。

 

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