第一章)冒険者の日々⑤ 炎の瞳の少年
「よぉ、大丈夫か?」
まるで三年前のあの時のように、大柄な少年はそう言った。
いや、三年も経てば、少年というより青年と言い直した方がいいだろう。
あの時は感じた幼さは消え、その姿はむしろ成熟した野性味を帯びている。
当時から背は高かったが、今は並の大人より頭一つは大きい。
背だけではない。
腕も、肩幅も、野生の猛獣がそのまま人になったかのような分厚い筋肉が張り付き、顔や腕にも大きな傷跡が増え、顔つきもより精悍な感じになっている。
だが、色々と雰囲気は変わっても、あの宵闇のような漆黒の髪と噴き出す炎のような赤い瞳は、あの時のままだ。
「よぉ? 大丈夫か?」
同じ言葉だが、先程とは違う声の抑揚。
僕の方まであの時と同じになる必要はないのだが。
「は、はい。大丈夫です」
「おぉ、重畳だな」
青年は、見た目こそ凶暴そのものだが、人懐っこい笑顔でニヤリと笑う。
「……さて、と」
「くっ、離せ。この無礼者が!」
僕としても、助けられてすんなり礼を言いたいのだが、どうにも目の前の光景に唖然としてしまう。
キアランが剣を振り上げたまま、両手で剣を掴み暴れているのだが、剣はピクリとも動かない。
なにせ、キアランが振りかぶった剣をそのまま後ろから素手で握って止めているのだ。
まるでキアランが宙吊りになって遊んでいるように見えて、滑稽ではあるがとても笑えない。
恐るべきはその握力だ。
素手で刃を握っているというのに、指が切れる様子もない。
剣というものは、どれだけ研ごうが、押し当てただけでは切れるものも切れない。
刃筋を立てて押すか引くかしてはじめて切れる。
つまり、キアランがあれほどにもがいても微動だにしないほどの力が、あの何気なく掴んだように見える拳に込められているということのだ。
「おい。ジョゼ、ボルダ。何をしている!」
護衛の二人組のことだろう。
だが、彼らなら既に気絶して道路に横たわっている。
僕の乱入で気がそがれていたとはいえ、二人を相手に一瞬で意識を絶ったのか。
元とはいえ貴族の護衛ならば相当な腕だろうに、青年の技量がうかがえる。
「ひぃっ」
その状況に気がついたキアランが、甲高い悲鳴を上げて飛び退き、ついでに尻もちをついてへたり込む。
まあ、青年が握っているのは剣だけだ。
剣を手放せば自然とこうなる。
「なぁ、貴族の坊ちゃんよぉ。あんたもメンツってもんがあるだろうが、ここらでやめとかねぇか。ここは一つ、大きな器量ってやつで許してくれよ」
青年がわざとへりくだる言葉でキアランを諭す。
相手は貴族だ。
こちらが引いてやる姿勢を見せなければ、向こうも引き下がれないからだ。
そう言って、握っていた剣を持ち替え、柄の方を向けて渡してやる。
「ふ、ふん。確かに、魔族兵ごときのために騒ぎ立てるまでもなかったな。貴様、この場は片付けておけよ!」
キアランが膝を震わせながら捨て台詞を吐いて行くが、青年はそれを聞き届ける素振りすらなく、寝ている護衛二人を蹴り起こした。
最初は様子を見に集まっていた見物人たちも、死んだのが魔族だと分かると興味がなくなったように散っていった。
そして残ったのは、僕と青年、そして魔族の二人だけだ。
その中で、青年は亡くなった魔族の傍へと屈みこみ、
「連れて行くか、それとも送ってやるか?」
そう問いかけた。
「送ってやって頂けますか」
それを聞き女性の魔族が答える。
青年はそれを聞き届けると、死んだ魔族の胸にナイフを当てる。
人間でいう心臓に当たる部分。
魔族の体は魔力の集合体だ。
核である魔石を砕けば、その身体は魔力のチリとなって自然へと還る。
「名は?」
「バートです」
「……バート。祖霊の導きによりて母なる地へと帰るといい」
そう言ってナイフを突き立てた。
パキリ、と小さな音がして、バートの身体は煙のように消えていく。
残ったのは、ボロボロだった衣服と、割れた魔石だけだった。
青年はそれを丁寧にたたみ、魔族へと渡した。
「弟を送っていただき、そして助けていただき、ありがとうございます」
弟の遺品を受け取り、魔族の女性が青年へと頭を下げる。
だが、青年は不満そうな表情だ。
「勘違いするな。俺は、力があるのに戦いもしない奴を助けるつもりは無かった。割って入ったのは、あの坊主が突っ込んでいきやがったからだ。礼ならあっちにいいな」
青年がそう言って僕の方を親指で指すが、目の前でブンブンと手を振ってそれを否定する。
いやいや、僕を助けてくれたのが彼なら、あの貴族の少年を追い返したのも彼だ。
僕はと言えば、効きもしない魔法で無様をさらして、勝手に死にかけただけなのだ。
その言葉に魔族の女性は横に首を振る。
「もちろんです。神官様にも最大限の感謝を。しかし、どうか貴方様にも、我ら姉弟の感謝を捧げさせてください」
「ふんっ」
改めて青年に礼をとり、そして魔族の女性は僕の方へとやってきた。
「神官様。遅ればせながら、貴方様にもお礼を。我らを助けていただき、ありがとうございました」
「い、いえ、そんな。……結局、弟さんを助けられませんでした。あと、僕は神官ではなく、ただの冒険者です」
悔しくて拳を握ってしまう。
何も出来なかった。
あの少年を止めることも、彼を助けることも出来なかった。
だが、女性は首を横に振り微笑んだ。
「いいえ。あのような場で貴方様は、魔族である私たちのために行動してくれたではありませんか。口から血を流してまで。あの時、確かに私たちは救われたのです」
そんなものは詭弁だ。
だって実際に彼は死んでしまった。
それも、人間のつまらない八つ当たりのせいで。
それでも彼女は続ける。
「私たち魔族は、存在の全てを人間に、この王国に管理されています。それでも、この国に貴方様のような方がいる。それが分かっただけでも、この国に命を捧げる価値があると思えたのです。貴方様の行いは、私たち魔族全ての存在に、意味を持たせてくれたのです」
思わず涙が出た。
こんな、こんな小さなことで、この国に縛られていることに納得出来たというのか。
こんな小さなことに希望を見つけななければならないほど、彼らは絶望の中で生きているのか。
「私の名は、ベルオーネ王国魔族兵部隊所属、メティア。この身は王国のものですので、感謝以外のお礼ができませんが、このご恩は我らベルオーネの魔族一同、決して忘れません」
メティアはそう言って弟の遺品を抱えて王城の方へ帰って行った。
「……ちょっと、言いすぎたかな」
メティアの姿が小さくなってから、背後で青年が小さな声で呟いた。
思わず振り返ると、青年はバツの悪そうな顔をして目を逸らした。
戦おうとしない者を助ける気は無い。
それもひとつの考え方ではあるが、メティアの真摯な姿勢に、そう言ったことを少し気まずく思っているみたいだ。
「ま、まぁ、お前さんも無事でよかったな。じゃあ」
どこかぎこちなくその場を去ろうとする青年。
だが、ここで再会できたのもなにかの縁だと思うし、まだ助けてもらった礼も言っていない。
「あの、ダージェさん!」
「ん?」
不意に名前を呼ばれ、青年、ダージェは立ち止まった。
「お礼、そう、助けてもらったお礼に食事でもどうですか?」
「気にすんなよ。いや、それより俺、名乗ったっけ?」
いぶかしげに振り返るダージェだったが、それも当然だろう。
向こうはこっちのことを覚えてなどいないはずだ。
知らない奴に名指しで呼び止められれば、警戒もするだろう。
「いえ、本当に偶然なんですけど、僕は前にもダージェさんに助けられたことがあるんですよ。覚えたませんか? 三年前、森の中で幻獣王から助けてもらったんですが」
ダージェがあごに手を置いて考え込む。
大柄で見た目にも強面の彼だが、こうしたふとした行動は、なんというかギャップがあってかわいらしい。
「幻獣王……、あぁ、そういやそんなこともあったな。あの時のガキんちょか。え、マジか、本当に偶然だなぁ」
「はい。ですから、あの時のお礼も含めて、ぜひご馳走させて欲しいんですが」
どうやら少しばかりは覚えていてくれたらしい。
彼も自分も、あれからもう三年経って、だいぶ大きくなった。
彼に至っては、外見が変わりすぎていると思う。
それでも、僕にとっての英雄に、またこうして出会えたのだ。
「……うーん、まあそうだな。そういうことなら頼むか。だが、俺は食うぞ?」
ニヤリと意地の悪そうな顔でダージェが笑う。
確かに、よく食べそうな身体だ。
「あはは。少し臨時収入があったんですけど、お手柔らかにお願いします」
そう言ってダージェと共に、近くの酒場へ歩いていった。