第一章)冒険者の日々④ 貴族と魔族
「さぁて、どこにしようかな」
昨晩は、色々と嫌なことを考え込んでしまった。
気が滅入ったときは、ぱぁっと散財に限る。
いや、所持金の問題で考え込んでいたはずなのだが、それはそれ。
これから目一杯に稼ぐためにも、今日は心の休息に当てるべきなのだ。
今日は休養日と割り切って、ギルドへは行かずに部屋の掃除や溜まった洗い物をやっつけると、時間はもう昼をだいぶ過ぎていた。
遅めの昼食兼夕飯として、少しいいものを腹いっぱい食べるのだ。
そんなことを考えながら、大通りの方へと歩いていく。
王都の構造は、王城を中心とした円形の造りになっている。
一度、依頼で山の上から王都を見た時には、その大きさと美しさに驚いたものだ。
まずは中心に王城。
当然国王陛下をはじめ、王族の方々が住んでいる他、この国の難しいことを決める仕事があるらしいが、その辺はよく分からない。
とにかく、あのお城だけでも、昔住んでいた村よりも大きいはずだ。
王城を挟んで東側にある大きな建物が、王国軍の施設。
そして、その反対の西側にそびえているのが、教会の大神殿だ。
その二つを含めて王城を中心とした巨大な壁が円形に繋がっており、その内側がこの国の貴族たちが暮らす貴族街となる。
王族や貴族からすれば、その壁の内側こそが、本当の王都であり、平民街など知ったことではないと考えているとは、よく聞くところだ。
今向かっているのは、その壁の外側、平民街の中でもより壁に近い大通りだ。
広大な王都において、平民街もいくつかの区画に分かれているが、どの区画もだいたい同じような造りになっているらしい。
壁に一番近い場所が、御用商人達の屋敷。
そこから順に、大商会の店舗、バザーなどのある商店街、職人の工房、そして最後が一般市民の居住区となる。
緑楓館があるのは、当然、居住区の中でも最外縁。
言ってみれば下層市民の居住区だ。
それでも、前科持ちや訳ありが暮らす貧民街よりはましだし、最低限の生活基盤は整っており、故郷よりも便利なのだから文句もない。
目的地の商店街の方へ歩いていくと、段々と街並みが変わってくる。
木造の小さな小屋が多かったところが、次第にレンガや漆喰で造られた家になってくる。
道路自体も、泥と砂利の道から大通りでは石畳に変わってきた。
この辺りは生活に余裕が出てきた中流層の生活区域だ。
大通りでは、壁近くの上級市民達も訪れる店も多いので、歩いている人々の身なりも大分こざっぱりとしてきている。
一本入った小道では、王都外からの商人や近隣の農民が品を持ち寄って出店や屋台で商売をするバザーも開かれている。
また、工房からも見習いが作った工芸品や雑貨などを出品して、支援者を募ったりと、かなり活気に溢れている場所だ。
こうして歩いていると、冒険者らしき姿も多い。
その多くは、一団を組んでおり、身なりもそこそこの格好だ。
皮鎧に鉄製の剣。
ローブに杖を持っているのは魔法使いだろう。
やはり自分と同じような木剣を持った駆け出しは、なかなか見ることがない。
彼らは、冒険者の八割を占めるというDランクでも、現状を良しとせず上を目指す上位ランカー、またはそれ以上のランク帯なのだろう。
幼い頃から勇者の英雄譚を聞いて育った身としては、いつも憧れる。
剣を振るえば一騎当千の『戦士』。
その魔法は天変地異を引き起こす『魔法使い』。
慈愛に満ち神殿を飛び出した聖女『僧侶』。
そして、彼らを率いるは、正義と勇気で人々を導く伝説の『勇者』。
彼らのような、心で結びついた仲間たちと、世界を股に掛ける冒険。
冒険者ならば、おそらく誰しもが一度は夢見ただろう。
「僕も、きっと……」
幼い頃、司祭から教わった中でも心に残っている言葉がある。
『いつか』と言う者のいつかは、いつだって来ない。
『きっと』と言う者のきっとは、きっとやってくる。
だから、僕もきっと彼らのようになってやると、そう思うのだ。
気分を新たにして上機嫌になりながら、考えていることは今日の店選びだ。
きっとの未来より今の夕飯である。
「“酔いどれ兎亭”の肉盛り、いや”大口の河鯰亭“の鍋もいいな。……へぇ、あの店は新しくできたのかな」
時間はたっぷりとあるので、普段は来ない場所の散歩代わりに入念な店選びをする。
しかし、やはり慣れないことをすると不運も呼んでしまうもののようだ。
「貴様ァ、この私のブーツを汚しおって!」
「申し訳ございません! 何卒、何卒ご容赦を!」
人だかりと喧騒を見かけてつい覗き込んでしまったが、気分の悪いものを見てしまった。
小綺麗な身なりの三人の冒険者が、薄汚れた服ともいえないような布を纏った二人組に因縁をつけている。
居丈高に怒鳴り散らしているのは、小綺麗な格好をした少年だ。
軽くカールした茶髪にひと房だけ光のように輝く銀髪が混じっている。
整った顔つきで、見ようによっては少女のようにさえ見えるが、今はその美貌も怒りで酷く歪んでいる。
おそらくは十代の前半、僕とそう変わらない歳だろう。
皮鎧とはいえ、凝った装飾が施された胸当て。
ピカピカで汚れすらない金属の肩当てと盾。
後ろで控えているのは、従者兼護衛だろう、二十代に見える剣士が二人控えている。
つまるところ、どこかのお貴族様のおぼっちゃまという事だ。
おそらくは貴族の三男以降の子供なのだろう。
貴族位を継げるのは、原則として長男だ。
次男は長男に不幸があった場合の予備、または長男の補佐として家に残る。
だが、三男以降の男子は、いずれ市井に降りて平民となるしかない。
剣の腕か算術でも得意なら王城にも務められるだろうが、そうでない多くは、こうして腕の立つ従者を連れて冒険者となる。
そして特権意識と劣等感を拗らせて、こういった暴挙に出ることが多いのだ。
「この赤小竜のブーツにどれだけの値が着くと思ってるんだ。貴様の命など、いくらあっても釣り合わないんだぞ!」
貴族の少年が、どこに汚れがあるのか分からないが、傷一つない大層な靴をこれみがよしに見せつける。
確かにご立派な逸品だが、冒険者にとって傷もない靴など、自分では何もできないと公言しているようなものだが、たとえ説明されても理解しないだろうな。
「この薄汚い“魔族兵”めが!」
改めて、地面に頭を擦り付けるようにしてうずくまる二人組を見た。
紫に近い青色の肌。
灰色の長い髪の間からは、整った顔が見える。
顔立ちは似ているが、男女、もしかしたら姉弟だろうか。
耳の後ろあたりから、羊のようなくるりとした巻き角が生えている。
なるほど、あれが“魔族”か。
人間と魔族が戦った対戦も、もはや三百年の昔。
魔王の死後、人間界に取り残された魔族は、人間の所有物として扱われることになっている。
魔族とは、この世界に生きる人間とは、全く異なる存在である。
そもそもが、物質としての肉体を持っていないエネルギー生命体なのだ。
身体の中に核となる魔石を持ち、実体化するまでに凝縮した魔力で身体が構成されている。
つまり、魔物と同じなのだ。
身体能力も魔力も人間を遥かに凌駕しており、並の人間ならば、腕のひと振りで粉々にされてしまうだろう。
そして、物質としての肉体を持たないことから、その身体は不老であり、生まれた時から既に肉体として完成された状態で発生する。
そんな人間の上位互換のような魔族だが、人間にはそれを上回る力があった。
人間の数、そして知識という力だ。
人間は多くの研究者が協力し、魔族の行動を完璧に制御する呪いを開発。
現在では、生き残りの魔族は、奴隷にすら劣る所有物として扱われている。
愛玩用の魔族娼。
労働力の魔族奴。
そして、戦闘能力に優れた者は、魔族兵として王国に所有されるのだ。
人間よりも優れていて、人間と違って使い潰しが効く。
それが現在の魔族なのだ。
「まったく、なんでこのキアラン=ドルガーがこんな目にあわなければならないのだ。この俺が平民、それも冒険者だと、クソが」
そう言って低頭する魔族の腹を蹴りあげる。
分かっていたことだが、この元貴族、キアランは靴の汚れなど最初から問題にしていない。
ただ平民落ちした鬱憤を晴らしたいだけなのだ。
「この俺が、貴様らなどと、同じ空気を、吸っていること自体が、間違いなんだ、よ!」
「ぐっ、ぐぅっ……」
キアランは、ご自慢のブーツで魔族の二人を執拗に蹴り上げ、踏みつける。
どれだけ悔しいことか。
その気になれば、キアランどころか、周りの見物人すら一瞬でなぎ倒せるだろう魔族は、黒い血を吐きながらも必死に耐え続けている。
それだけ魔族の地位が低いのだ。
ここで問題でも起こせば、それ以上の災厄が降りかかると知っているのだ。
もう見ていられない、そう思ったとき、事態は最悪のものとなった。
「きゃっ」
群がる見物人から悲鳴が上がる。
「くははは。はぁぁ、ザコがこの俺をムカつかせやがって。もういい。この新しい剣の切れ味、試させてくれよ」
ばかな。
この貴族、本当に抜きやがった。
「や、やめ……」
思わず駆け寄ろうとしたが、キアランの後ろに控える護衛が一歩前に出て行く手を阻む。
魔族たちまでほんの数m。
だがそれが遠い。
そしてキアランは、陽の光にギラつく剣を高く掲げ、ニヤリと笑うとその剣を振り下ろした。
その瞬間、見てしまった。
男の方の魔族が、一瞬、空を見上げるのを。
そして、笑った。
迫り来る剣の前で、本来ならば、迫り来る死という絶望に恐怖するはずの顔が笑ったのだ。
全てを受けいれたように、まるで死すら救いと思うほどに、薄く笑ったのだ。
そして刃が体に食い込み、黒い血飛沫が舞った。
これはない。
これはないだろう。
どうして、何もしていない彼らがここまでのことをされなければならない。
どうして、この理不尽さえ笑って受け入れてしまうまでに、絶望しながら生きなければならないのだろう。
「う、うわぁぁぁっ!」
「な、なんだ!?」
護衛の制止を振り切り、もう訳が分からないままに魔族へと駆け寄る。
キアランも何が起こったか分からない顔をしているが、こいつのことなど知ったことではない。
「治癒魔法!」
斬られた傷に手を当て、魔法を使う。
僅かに手元が魔法光を放つが、全然足りない。
「治癒魔法、治癒魔法!」
正式に教会で治癒魔法を習得していないのが悔やまれる。
僕の治癒魔法は、あくまで見様見真似のまがい物だ。
「……清らかなる風の精霊よ、大いなる神霊よ。その慈悲を我が手に。治癒魔法・穏やかな息吹!」
いつか上位の神官が唱えていた、うろ覚えの治癒魔法。
それでも、魔法としての体すら成していない僕の治癒魔法よりは効果があるはずだ。
先程よりも魔法光が大きく光る。
だが、こんなものではかすり傷も癒せない。
それどころか、使えもしない魔法を無理やり行使したことで、僕の体の方に反動が来る。
「ぐふっ。治癒魔法!」
「ああ、神官様。神官様、弟は、もう……」
女の魔族が止めに入る。
内臓でも痛めたのか、口に上がってきた血が垂れてしまう。
それが、なんだっていうんだ。
「ちっ、なんだ貴様! 貴様もこの剣で……」
状況など理解はしていないだろうが、キアランにも僕が邪魔に入っていることくらいは分かるのだろう。
激昂したキアランは、僕に向かって再びその剣を持ち上げるが……
「よぉ、大丈夫か?」
その剣が振り下ろされることはなかった。
貴族の後ろで、大男がその剣を握りしめていたのだ。
それは、いつの日か聞いたセリフ。
その大男の瞳には、赤い炎が燃えていた。