第一章)冒険者の日々③ 緑楓館
「お疲れ様でした。こちら報酬の1万2060Gです」
無事に納品と買い取りを終え、ほくほく顔で宿へと帰る。
やはりシロスズランの買い取りがかなり大きかった。
ここ暫くは、安い依頼が続いてかなり厳しかったが、これで少しは取り戻した。
「エルゥ、今帰りかい?」
通りで後ろから声をかけられて振り向くと、同じ宿に泊まっている少年、レダだった。
王都より西の村から出稼ぎに出てきて、今は革細工職人の工房で見習いをしている。
本来、職人の見習いといえば、工房に住み込んで働くものだろうが、レダの工房では他にも住み込みの見習いがいるらしく、特別に宿から通っている。
歳は僕と同じくらいだろう。
僕より少し背が高く、茶色のくせ毛とそばかすが気になるらしいが、素朴そうな彼によく似合っていると思う。
「うん、レダもおつかれ。……どうしたの、なんかご機嫌だね」
いつも穏やかなレダなのだが、今日はいつもよりニコニコとした笑顔が輝いているような気がする。
「あは、わかる? 実は親方に試作の小物を褒められてね。今度、店に出す品を作ってもいいって言われたんだ」
「ほんとに? おめでとう、見習い卒業も近いじゃないか」
「あはは、まだまだだよ」
レダは僕より早く王都に来ていて、今は見習いも四年目だ。
職人の世界はあまり詳しくないが、見習いは基本的に商品の制作には関われない。
親方や先輩職人の補助や、身の回りの世話が仕事のほとんどを占める。
その中で技術を見て盗み、営業後に端材を使って訓練するものだという。
実際の商品を任されるのだとしたら、親方はレダの実力をそれだけ認めているという事だ。
レダは謙遜しているが、本当の意味で見習いから卒業するのもそう遠くないはずだ。
「おぅ、帰ったな。ガキども」
「お帰り。夕飯はどうすんだい?」
宿の緑楓館に着くと、オヤジさんとオカミさんが揃って声をかけてくる。
緑楓館は、一階が食堂兼酒場で二階が宿になっている、この辺りでは一般的な旅人用の安宿の造りになっている。
酒場では既に、作業を終えた職人や、旅の行商人、町の外から戻ってきた冒険者が、今日の疲れを癒しに集まってきている。
この街にたどり着いてもう二年ほどになるが、毎日変わらない光景だ。
「いただきます。荷物置いたら降りてきます」
「あ、僕も」
「おう。だが、その前に井戸で汚れを落として来やがれ」
「はーい」
オヤジさんの野太い声がカウンターから飛んでくる。
大柄でヒゲ面、かなり強面な親父さんだが、実に親切な人だ。
腕は大木のような太さだし、肩から首周りも分厚い筋肉が乗っている。
腹だけは太鼓のように突き出しているが、あれはエールの飲りすぎだろう。
部屋に荷物を置いて、裏庭の井戸へと向かう。
王都はありがたいことに水源は豊富だ。
街中にも無料の水汲み場があるし、こうして住人で使える井戸も点在している。
ここでは、宿や家が集まるひと区画の中央に井戸が設置されており、共同で使用できるようになっている。
バッと上着とズボンを脱いで井戸の水を被る。
まだ暖かい季節だが、それでも井戸の水は冷たい。
これが冬になると結構応える。
本当は部屋まで水桶を持っていって体を拭くのだが、毎回は面倒なのだ。
もう一度水を汲み、髪と顔を洗い、タオルで体を拭く。
下履きだけはどうしようもないので、軽く絞ってからタオルをあてて誤魔化しておく。
バッバッと服を叩き、食堂へと戻っていく。
カウンターに座りしばらく待っていると、レダも降りてきた。
レダは部屋で着替えてきたようだ。
「あいよ、お待ち」
オカミさんが大盛りの皿を僕たちの前に持ってきた。
オカミさんも、あのオヤジさんの奥さんだけあり、かなり恰幅がいい。
オヤジさんがゴツゴツとした岩なら、オカミさんは焼きたてでふかふかに膨らんだパンのようだ。
いつも明るく豪快に笑っていて、酒場の荒っぽい客も余裕であしらってしまう。
まあ余程厄介な客はオヤジさんが何とかするので、余裕の笑顔というやつなのだろう。
目の前の皿には、どう見ても一人前より多い量が盛り付けられている。
内訳は、焼いたり揚げたりした肉が八割に炒めたパスタが二割。
それと野菜の入ったスープだ。
この緑楓館では、宿泊の客には格安でこの夕食皿が用意されるが、その中身は日によって違うものの、量はこんなものだ。
要は、酒場の方で作った料理の半端な部分を寄せ集めた一品なのだが、味も量ももちろん申し分がない。
一般的な宿の飯と言えば、安いパンに一欠片の肉。
それに具なしのスープでもあればいい方だ。
その点、ここの料理は客に出す余りとはいえ、良心的どころか、かなり優遇されている。
オヤジさんからすれば、『ガキは黙って食え』だそうだが、本当にありがたい。
ただ、この量だけはかなり暴力的だと思う。
レダと笑いながら肉に食らいつき、なんとか大皿との格闘に勝利することができた。
夕食を済ませて部屋へと戻る。
緑楓館では、僕のような長期滞在者と一夜だけの旅行者とで部屋が分かれている。
どちらにしても個室が用意されているのだが、僕たちの部屋はかなり狭く、旅行者の部屋の半分ほどだ。
ベッド、物置、通路。
以上である。
それぞれが大人一人分程度のスペースで、部屋はそれだけだ。
もっとも、昼間は仕事に出ていて夜は寝るだけだから、これで充分とも言えるが。
その分宿代もかなり安くなっているので、僕のような駆け出し冒険者や、レダのような見習い職人も泊まれるのだ。
窓を開けると、月明かりが部屋に差し込む。
部屋の狭さからしても、これだけで大分明かりが取れる。
今日の明るさならランプもいらないだろう。
荷物の中から、“剣”と“盾”を取り出す。
冒険者ならば、多かれ少なかれ戦闘は必須の技能だ。
拳、剣、大剣、槍に魔法。
変わったところでは、斧や大盾術といったものもあるらしい。
その中で僕が選んだのは、片手剣と小盾を使う〈軽戦士〉スタイルだ。
まあそれしか手頃な武器がなかったので、選んだというのもおこがましいか。
改めて手持ちの武器を見る。
剣、などと言うが、その刀身は鋼どころか金属ですらない。
分厚く硬い材質の木を剣の形に削っただけの木剣だ。
田舎からでてきた子供が冒険者となり、一番初めに持つのは、大抵がこの木剣である。
鉄製の剣を手に入れた冒険者からは、松明に使う薪と引っ掛けて、〈火の木の棒〉などと揶揄される。
とはいえ、適度な厚さと重みがあり、ただの木の棒に比べれば、それなりの攻撃力が期待できる。
上手く使えば、兎程度の首なら骨を折ることもできる。
狼の牙だって、なんとか受けることは出来るだろう。
何より、安い。
本来は家具などを作った時にできる端材なのだ。
その日暮らしの冒険者が持つにはちょうどいい。
当然、もう一方の盾も似たようなものだ。
薄い木の板を並べて板にし、それを縦と横に向けて二枚張りにしたものだ。
元が薄い木の板であり、まともに受ける為の防御力は期待できない。
角兎の突進や小鬼の弱弓での急襲による、〈最初の一撃〉をなんとか凌ぐための盾なのだ。
こちらも〈鍋の蓋〉などと馬鹿にされるが、割れた板は、その都度張り替えればいいので、これもまた新米冒険者にはお手頃の装備だ。
そうは言っても、やはり新人用のおもちゃレベルの装備でしかない。
斬れない剣に割れる盾。
〈ひのきのぼう〉に〈なべのふた〉、合わせて〈ゆうしゃさまセット〉などと呼ばれている。
狭い部屋の中で、月明かりに木剣を照らしてみる。
今回の剣は当たりの商品だったみたいで、割と長持ちしてくれている。
それでも、森蝙蝠や角兎を何匹か仕留めた後だ。
大きなヒビ割れこそないが、欠けやささくれが所々に出てきている。
盾の方も、全体には無事だが、板の何ヶ所かにはヒビが入っている。
いっそ、鉄の剣に変えてしまおうか、そう考えて我に返る。
悲しくなってしまうほど軽い財布。
大銀貨が三枚、銀貨が18枚に銅貨が六枚。
合わせて五万G弱が今の全財産だ。
鉄の剣を買うなら、量産品のなまくらでもこの倍はかかる。
それに、木剣よりは丈夫だろうが、鉄の剣だって手入れがいらない訳じゃない。
つまり、どこまで行っても所持金が足りないのだ。
諦めて剣の手入れに取りかかる。
欠けが残っているとそこから折れやすくなるが、削りすぎても当然脆くなる。
小さなささくれを切り取り、欠けのある部分を丁寧に削っていく。
その後は油を塗り込んでから乾拭きだ。
剣の出来栄えに満足しつつ、改めて財布の中身と向き合う。
緑楓館では、素泊まりが2,000G、僕のような長期宿泊は月4万G。
宿泊者用の夕食は500Gだ。
一応、今のままでもひと月は暮らしていけるが、他にも必要なものはある。
依頼に持っていく装備を足元に広げる。
今日も崖を降りるのに使ったロープ。
多少汚れているが、目立ったほつれもない。
これはまだ大丈夫だ。
採取した素材を入れておく布袋。
大小でいくつかあるが、これもまだ大丈夫だ。
問題なのはこっち。
リュックの中の小さな包み。
その中には、血止めの軟膏、ガラス瓶に入った解毒薬。
それに乾燥させた毒消し草が入っている。
僕が使える初級の治癒魔法では、解毒はできない。
毒消しの類いは、絶対に必要だ。
だが、液体タイプの薬は即効性の代わりに消費期限もある。
今ある薬も、あと一週間ほどで廃棄しなければいけない。
こいつを補充するとなると、鉄の剣どころか、新しい木剣も買い換えるのも、もう少し後に見送った方がいいだろう。
「はぁ。いつになったら、ましな生活ができるんだろう」
ため息とともに、恐らく全ての冒険者が思っていることを口に出してしまう。
もうすぐ、あとひと月もすれば、冒険者登録から一年。
つまりDランクへと昇格できる。
依頼の質は、Eランクとさほど変わらないが、討伐系の依頼が受注できるようになる。
だが、それには今の〈ひのきのぼう〉では心もとない。
「はぁ」
もう何度考えたか分からない堂々巡りに嫌気がさし、とりあえず窓を閉めてベッドに転がり込むことにしたのだ。
金貨 =100万G
星銀貨=10万G
大銀貨=10,000G
銀貨 =1,000G(安宿の素泊まりで2~3000G)
半貨 =500G(約一食分)
銅貨 =100G(木の実など一個分)