序章)在りし日の小さな村③ 冒険者の少年
「よぉ、大丈夫か?」
穏やかな田舎村に住む子供からすれば、勇者と魔王の英雄譚もかくやという戦いを納めた少年は、やはりどう見ても少年だった。
さすがに同い年ということは無いだろうが、幼さの残る笑顔は、村で走り回っている友人とさほど変わりは無い。
だが、やはり身体だけは、村の大人たちと同じくらいに大きく、ところどころ破れた皮鎧から見える肌の下に付いている筋肉は、大人たち以上に盛り上がっている。
この辺りでは見ない夜闇のような黒髪。
日に焼けた浅黒い肌。
新しいものも古いものも無数にある戦傷。
そして、強い生命の息吹を感じさせる、真っ赤な炎のような瞳。
戦いの興奮以前に、少年から感じる威圧感のような雰囲気に飲まれ、思わず見とれてしまっていた。
「よぉ? 大丈夫か?」
同じ言葉だが、先程とは違う声の抑揚に、不意に我に返った。
「は、はい。大丈夫です」
「おお、無事みたいだな。礼はいらねぇよ。依頼で奴を追ってたんだ」
依頼。
やはりこの少年は冒険者なのだろう。
たしかに、この荒っぽい感じに騎士にはとても見えない安い皮鎧を見れば、冒険者以外は考えられないのだが、村にたまにやってくる冒険者の一団達とは、雰囲気も強さもあまりに違っていたので、自信がなかったのだ。
「こいつの魔法にやられてたんだよな。村まで送ってやりたいが、俺も仕事なんでな。こいつを解体して素材を持って帰らないと」
そう言って幻獣王の方へと戻っていくのだが、命を助けられたのだ。
多少でも恩返しがしたい。
「あの、獣の解体なら村でもやります。手伝わせてください」
「お、そうか? 悪いな」
いや、本音を言えば、この目の前の英雄と少しでも話をしたかったのだ。
「なあ。お前、名前は?」
幻獣王の腹を裂きながら、少年が尋ねてきた。
豪快にナイフを振り下ろしているが、手元だけはかなり繊細だ。
幻獣王は野獣ではなく魔物だ。
この身体も本物の肉ではなく、魔力が形になったものだ。
上手いこと体内の魔石を取り出してやらないと、色々とダメになってしまう。
「エルードです」
「そうか、俺はダージェ。王都の冒険者だ。村の子供にしちゃ言葉が出来てるが、まさか貴族様じゃないよな?」
「い、いえ。僕は村の司祭の息子なんで」
「おー、なるほどな」
少年、ダージェが骨や内臓と格闘している間、僕は幻獣王の両手を切り離そうと悪戦苦闘している。
死んで魔力が通わなくなったとはいえ、それでも幻獣王の身体は固い。
身体の一部でも切り落とすのはそれなりに力がいるのだ。
本来、野獣や魔物を倒した場合、まずは血抜きをする。
血が流れた分だけ死体は軽くなるし、その後の肉の質もだいぶ変わってくる。
その後で魔石なり肉なりを解体していくのだが、今回は勝手が違う。
まずなにより、少年が受けた依頼は、討伐が目的であり、素材の入手はただのついでらしい。
だが、いくらなんでも手ぶらでは討伐の確認が出来ないので、心臓の中にある魔石と討伐確認部位、今回は幻獣王の両手の回収が必須なのだという。
「手伝ってもらって悪いな。血抜きもしてねぇし肉はダメだろうが、村に帰ったら大人に話して、こいつの毛皮取りに来いよ」
「え、そんな悪いです」
「どの道、俺一人じゃ持って帰れねぇよ。それに、最後の声。あれのお礼ってのもある」
最後の声、と言われてもピンと来ない。
あの激しい戦いで、自分が何かの役に立った覚えなど全くない。
「おいおい、最後の左、ってやつだよ。あれがなきゃ俺は右の爪を選んで返り討ちになってた」
「ああ。図鑑に利き腕注意って。それに僕が襲われた時に左腕使ってたから」
「へぇ。あの土壇場でそれを判断できるっていうのも大したもんだよ。お前なら坊さんよりも冒険者もあってるかもな」
それから、彼の冒険の事などたわいないことを話し、無事に素材の回収が終わった頃には、太陽もすっかりと昇りきり、いくらか傾き始めた頃だった。
森の途中でダージェと別れ、しばらく進むといつもの見慣れた山道へと出た。
村人が付けた目印を見つけると、どっと体に疲れが出てきた。
やはりこれまで忘れていた、極度の緊張がプツンと途切れたらしい。
そして、不意に口元が笑い出してしまった。
やっと助かったと心から思えたら、今度は今日見た冒険を誰かに話したくて仕方がなくなってしまったのだ。
これは凄いことだ。
あんな見たこともない大きな魔物に襲われて、まるで勇者様のような冒険者に助けられた。
一応は僕も戦ったようなものと言えなくもないだろう。
少しばかり大げさに話して、いつも威張っているジンやネネに、格好をつけてもバチは当たらないだろう。
あの幻獣王の毛皮も村では高く売れるはずだ。
もしかしたら、冒険者嫌いの父さんも、考えを変えてくれるかもしれない。
そう考えると、自然と村へと帰る足も早くなっていった。
もし、この時の僕が小さな冒険の熱に浮かれてさえいなければ、周りの異変に気づいていたかもしれない。
いくら安全な山道と言えど、周囲に全く動物の気配がなかったこと。
そして、倒れた木々のあちこちに、真新しい牙や爪の跡が付いていたことに。
やがて、森が開けて遠くに村が見えてきた。
村の方ではいくつか煙が上がっている。
大分時間が経ってしまった。
幾分早いかもしれないが、夕飯の準備をしている家もあるだろう。
子どもたちも家へ戻り、家の手伝いをしている頃だ。
だが不思議なことに、子供だけでなく、祭りの準備に忙しいはずの大人たちの姿も見えない。
村の端にたどり着くと、違和感はいよいよ強くなる。
村で一番端にあるのは、木こりであるジンの家だ。
オオカミ避けの柵が壊れている。
後でジンに言っておかないと、いざと言う時に困るだろう。
家のうらのほうから、錆臭い臭いが漂ってくる。
きっと、祭りのために鹿か山羊でも絞めたんだろう。
首筋がチリチリと痛む。
気づかずに段々と足が早くなる。
大きく砕けた扉。
踏み荒らされた畑。
壁にこびり付いた赤黒いモノ。
まるで、幻獣王の魔法にかかったかのように、いつもの村のはずなのに、いつもの村ではない。
「だ……、だれ……」
いつしかその足は、呼吸すらままならずに走っていた。
変わってしまうなにかから逃げ出すように。
変わらないなにかを探すように。
「だれか……、誰かいないの!」
村の中心に行くに従って、ますますむせかえる鉄の臭いは強くなっていく。
鶏も牛も、それ以外もバラバラになって散らばっている。
途中で見かけたネネの家の前では、か細い腕が転がっていた。
村人のほとんどは村長の家に逃げ込んだらしい。
槍や鍬を持った大人たちが門の前で倒れていたが、五体揃っているものはいない。
破られた扉の中は、確認したくもない。
ふらふらと、自宅でもある教会にたどり着いた。
ここも当然のように荒らされていたが、驚くことに正面の扉は無事なようだ。
こんな田舎の村では、村長宅よりも王都からの支援を受けた教会の方が立派なものらしい。
ともかく、中に入ろうと扉に手をかけると、扉は中から閂で閉じられている。
とすれば、やはり中は無事なはずだ。
「父さん、父さん! エルードです。開けてください!」
扉を殴りつけるように叩くが、扉は開かれない。
仕方なく裏手に周り、庭木を登って高い小窓を石で割る。
「父さん!」
呼びかけるが、返事は無い。
急に寒気がして、急いで一階へと降りていく。
一階の礼拝堂、正面の門からすぐにあるその広間に父はいた。
祭壇の神像に向かい膝を着いて祈りを捧げていた。
「父さ……」
ほっとして父に近づこうとする。
だが、すぐにその周囲が散々外で嗅ぎなれた鉄の臭いを放っていることに気がついた。
「!?」
その司祭は死んでいた。
神に祈り、手を組み、短剣で喉を突いていた。
この司祭は、内から閂をかけ、外からの村人すら助けず、ただ神に身を委ねて自害したのだ。
「う……、うぉおおあぁぁぁっ!」
嘆きとも怒りとも悲しみともつかぬ慟哭の後、どうやって生き延びたのかは知らないが、三日の後に森の中で王都からの調査隊に拾われたらしい。
あとから聞いたが、森の魔物達の氾濫が起こったのだという。
おそらくは幻獣王がこの森に迷い込んだことで、住み着いていた魔物たちが一斉に逃げ出したのだろう。
こうして僕は、エルードとしての人生をここで終えたのだった。