第一章)冒険者の日々⑨ ユーグ湿原・レイヨー湖沼
街道沿いの林を抜けると、一気に視界が開ける。
見渡す限りの平地。
所々に小さな林があるが、その他は一面の草原のように見える。
しかしその実、足元は泥濘だらけ。
草地のように見える場所でさえ、浮草と底なし沼だったという話がある程の場所だ。
一応、現在ではある程度地盤がしっかりして歩いて行けるルートが杭で打たれているのだが、それも完璧には当てにならない。
大型の魔物によって杭が抜かれたり、地面を荒らされて地質自体が変わってしまう場合もある。
どこまで行っても、冒険者の仕事は危険と隣り合わせであり、全てが自己責任なのだ。
「右!」
「はい!」
ダージェからの指示とほぼ同時に右側の沼から魔物が飛び出してくる。
普通の蛇よりも一回り大きい湖魔蛇だ。
木剣で薙ぎ払い頭を吹き飛ばす。
一応この程度なら難なくあしらえるのだ。
湿原に入る前に、ダージェから言われたことを思い出す。
「この依頼の中では、俺とお前は対等なものだと認識する。もちろん、お前にできないことを無理にさせるつもりはないが、必要以上にお前のお守りをするつもりもない。そこだけ注意してくれ」
Cランクすら倒すダージェと同等とは思わないが、それでも保護対象じゃなくて仲間だと見てくれることにありがたく思う。
そして、それに応えるだけの働きはするつもりだ。
だが、湿地の奥へと進むごとに、自分の力のなさが浮き彫りになる。
「う、うわぁあ」
「落ち着け。一匹ずつきっちり対処すればいい」
青魔蛙が相手とはいえ、一度に三匹に襲われると、直ぐに化けの皮が剥がれてしまう。
小型犬程の大きさの魔蛙で、Eランク程度の相手だ。
一対一なら遅れも取らない相手なのだが、数が多くなると途端に対処が難しくなる。
右側の青魔蛙が撃った水撃を木剣で切り落とすが、同時に左側から体当たりで跳んできた。
小盾で受けるが、足元のぬかるみと木剣を振るったあとの体勢でよろけてしまう。
そこへ正面の青魔蛙が水撃を合わせてきた。
「ぐぁっ」
ダージェは、この程度なら危険はないと判断して、様子見に徹している。
なら、僕もそれに応えたい。
水撃を受けて膝を付いてしまったが、直ぐに体を起こして剣と盾を構え直す。
弱い魔物とはいえ、攻撃の一つ一つはそれなりに重い。
まともに受けては、また吹き飛ばされるだけだ。
昨日の夜にダージェから教わった、盾の使い方を思い出す。
青魔蛙の行動パターンは二種類だけだ。
体当たりと口からの水撃しかない。
そして、前方と左右に一匹ずつ。
囲まれているとはいえ、全て視界に収まっている。
だから、落ち着いてやれば、できるはずだ。
まずは左。
左の青魔蛙の体当たり。
それを小盾で防ぐ。
そのまま受けたのでは、さっきと同じだ。
視界に他の二匹を収めたまま、感覚を左腕に集中する。
盾に青魔蛙の重みがかかった瞬間、腕振って青魔蛙を叩き落とす。
次は前と右の青魔蛙が同時に水撃。
直ぐに右側の水撃へと突っ込み、前方の水撃を回避。
右の水撃は剣で払い、青魔蛙の目の前まで近づく。
「まず一匹」
右の青魔蛙を剣で叩き潰し、振り返ると、残り二匹が体当たりに飛びかかってきていた。
これは、同時には処理できない。
まずは回避するために横へ跳ぶ。
すかさず青魔蛙も跳んでくるが、これには時間差があった。
だとしたら、やることはさっきと同じだ。
二匹目を盾で受け流しして、三匹目を剣で叩き潰した。
「はぁぁ。やったぁ」
「おう、お疲れさん。昨日聞いたばっかにしちゃ、なかなか様になった盾使いだったぜ?」
「はい。前に短剣で同じようなことをしていた人を見かけて、イメージがしやすかったです」
「ほぉ。なんにせよ上出来だ。この調子で主も頼むぜ」
なんとかダージェに合格を貰えたが、喜んでもいられない。
そう。
もうすぐこの地方の主、今回の討伐対象の巣に到着してしまうのだから。
「……いやがるな」
湿地を歩いていると、突然ダージェがそう言って大剣を抜いた。
見た目には、それまでの風景とさほど変わりばえはない。
だが、ダージェには目に見えない何かが感じ取れているようだ。
湿原の中でも一際大きな沼。
沼の周りは、土が見えており足場は確保できそうだ。
だが、背の低い草が茂り、足元の見通しは悪い。
これが、あの魔物に対して吉と出るか凶と出るか。
──ざぱっ
不意に湖面がさざ波を立てる。
突如襲いかかるズシリとした重圧。
これは、かつて幻獣王と対した時にも感じた、主級特有の重圧というやつだろう。
「……泥濘の沼炎竜」
湖面に起こる波の中央部、そこからゆらりと巨大な影が浮かび上がる。
沼炎竜
湖沼を住処とする水棲系の偽竜種。
浮き地と見間違うほどの巨体を持つCランク上位の魔物。
短く太い四肢は、足場の悪い土地に適応したもので、見た目に反して動きは素早い。
長い舌で獲物を絡めとり、巨大な口でひと飲みにする。
その名の通り、赤炎竜の亜種であり、背中から炎の代わりに泥を高圧で噴出する。
ダージェから標的の名を聞いて以来、魔物図鑑を何度も調べた。
だが、図鑑に書かれている事と、目の前で見るのとでは、全く違った。
いや、正確な程に正確なのだが、体感するものが桁外れだ。
何が浮き地だ。
あんなもの、小山そのものじゃないか。
何が巨大な口だ。
あんなもの、口どころかただの処刑道具だ。
それほどに生で見るバケモノは、バケモノだった。
”最強の魔物“の異名を持つ〈竜種〉に属しているだけあり、その威圧感はただ事では無い。
竜鱗という硬い鱗と頑強な肉体。
強い力と凶暴性。
実に安直な言い方になるが、つまりはとてつもなく強いのだ。
見た目はとてつもなく大きな蜥蜴、いや山椒魚だ。
横に3m、身体の半分は沼に沈んで全長は分からないが、少なく見ても15m以上はあるだろう。
長く太い胴体に短い脚。
全身を硬い竜鱗で覆い、更に粘液で身を守っている。
穴しか空いていない耳の横からは、いくつかに枝分かれしている角が小さく生えている。
「ゴガァァァッ」
まるで落雷のような轟音。
それが目の前のバケモノの咆哮だったと気づいたのは、少し経ってからだった。
竜種の咆哮は、ただの鳴き声ではない。
膨大な魔力で大気を震わす、戦いの狼煙であり、竜種の先制攻撃である。
〈衝撃波〉、〈硬直〉、〈威圧〉の効果があり、まともに喰らえばその場で失神してしまうところだ。
だが、それをダージェは笑って受け流す。
僕は、さりげなく前に出てくれたダージェのおかげでやり過ごせたが、とてもじゃないが耐えられない。
やはり、彼こそは、竜に立ち向かう資質のある強者なのだ。
──パシャ
だが、沼炎竜とてただの魔物ではない。
咆哮と共に周囲に撒き散らされた大量の魔力。
それは、白い霧となって一帯を覆った。
そして草の影から姿を現したのは、60cmくらいのトカゲ、奴の眷属だ。
斬甲蜥蜴
偽竜種の眷属としては代表的なもので、単体での脅威度はEランク。
ただし、本体の〈眷属召喚〉によっては、数十から数百体に囲まれることもあり、その場合の脅威度はCランク相当。
頭部が大きく、鋭い矢じり状になっており、体当たりによる斬撃と飛びついてのかじりつきで攻撃する。
どう見ても周りには百体以上の眷属がいるように見える。
これが一斉に襲いかかってきたら、受け流しどころの話じゃない。
斬甲蜥蜴に取り囲まれ、ズタズタにされる自分の姿を幻視してしまい、足が勝手に逃げ出そうとする。
「呑まれるな」
ダージェが声をかけてくれる。
そうだ、僕にはこの英雄がいた。
頼もしい先達の声に、心が少しだけ安堵する。
思わず彼の顔を見上げたが、すぐにそれを後悔した。
ここにもバケモノがいた。
元から親しみやすい人相とはいえない彼だが、口角が吊り上がり、牙ならぬ歯をむき出しにしたその形相は、まさしくバケモノの類だった。
「格上とぶち当たる時のコツを教えてやるよ。それはな……、呑まれる前に吠えるんだよ!」
もう待ちきれない。
そう言わんばかりに、ダージェが飛び出していった。
「うぅらぁぁぁっ!」
それは見事な咆哮だった。
なんの技術もないただの大振り。
だが、渾身の、会心の一撃だ。
──ドゴォォ
「ギャオォォッ!」
自分の目を疑う。
あの小山のような体を持つ沼炎竜が、たたらを踏んだ。
いくら学のない村の子供だってわかる。
小さいものと大きなものでは、大きい方が強い。
単純に力の問題でもそうだし、同じ力でも大きい方が小さい方を弾き飛ばすはずだ。
それなのに、ダージェの一撃は、あの沼炎竜を弾き返したのだ。
「さぁて、こんなもんじゃねぇのは、分かってんだよ。かかってこいよ、トカゲ野郎」
ダージェの言葉が分かるのか、沼炎竜は、さしてダメージをおった様子もなく、しかし、明らかにダージェを敵として警戒しだした。
「グルルルル」
その喉鳴りは、攻撃された怒りか、それとも強者故の愉悦か。
目の前でバケモノ同士の決闘が始まろうとしている。
★竜種について
一口に竜種と言っても、様々な種族がいる。
■竜種族
……種全体の特徴として、竜鱗という硬い鱗と頑強な肉体、高い魔力をもった魔物の種族。〈吐息〉、〈咆哮〉などの強力な固有能力を持っている。
・龍
……真なる龍。人語を解し古代魔法を操り、地域や信仰によっては土地神として崇められる。四足四翼の神獣。危険度はSランク以上。
・竜
……龍に似た魔物。狭義で言う竜であり、一般的にイメージする竜。一部の上位竜は人語を解し、魔法を操る。本来は龍の眷属だったものが種として定着した。四足二翼の魔物。危険度はAランク以上。
・偽竜
……竜族の強い魔力を受けて進化した種族。獣竜、飛竜、爬虫竜など様々な種類がある。原則として翼を持たない。危険度はC~Bランク。
・小型竜
……1~5m程度の蜥蜴型竜。竜種の眷属であることが多い。危険度はDランク。




