0:ビバ! ゾンビ!
※こちらの作品は人外至上主義者が書いた作品になります。人類至上主義の方には不快な描写があるかもしれません。ご注意願います。
──『推し』だったから。
この行動の理由として、それ以外は全部不適切だ。
目があったから。居合わせたから。身体が勝手に動いたから。
そんなものは全部言い訳。
ただ、俺は『推し』にはまだ生きていてほしかったのだ。
……仮にも殺し屋がそんなことを思うなんて、身勝手な話だなあ、とは心底思う。
悪かったな。身勝手で。
「 」
腹部から臓器に至ったナイフの柄をぼんやりと見つめてため息をつく。
こりゃ長くないな。ダメっぽい。
散々刺して刺されて撃って撃たれてを繰り返してきたからこそわかる。
致命傷ってやつだ。
このナイフの持ち主は、頭部の中身を向こう側にまき散らして倒れている。
オフを満喫していた推しにぶしつけにもファンを名乗りファンサービスを要求し、無理矢理路地裏に連れ込んだかと思ったらナイフを取り出したようなやつだ。
その際に別のニンゲンの名前を叫んでいたので、恐らくはファンでもなんでもない。
ただの逆恨みクソ野郎ってところだろう。
……身勝手なやつは、身勝手なやつに殺されるくらいでちょうどいいや。
「 」
まあそんなことはどうでもいい。もう済んだ話だ。
今の問題は、長らく日陰者として生きてきた俺が、影からこっそり推し活をしていた俺が、こともあろうに推しの目の前に露出していることだった。
それも真っ赤な方の体液と若干の臓器。それから顔も。
恥ずかしい。ものすごく。穴があったら入りたいくらいだ。いまある穴はちょっと入れないけど。自分の身体にあいてるので。
真っ黒な身体と、それに映えるコハク色の大きな瞳に大粒の涙を浮かべて、ゆさゆさと小さな真っ黒の手で俺を揺さぶる推し。
最近大流行中の『アイドル』モンスター、ラノくん。
モンスターとニンゲンが共存するようになってから早数十年、彼らはアイドル業にも進出してきた。
その中でもラノくんは別格だ。老若男女問わずファンが多い。
おでこに生えたちょこんと小さな角がたいへん愛らしく、体のほとんどはぶかぶかのコートに隠されているが、そのぶかぶかコートからちまっとでた手足がまた大変愛らしくて俺の心臓を穿つ。
フードの上から装着されたヘッドフォンで何を聴いてるのかいつだって気になっているが本人からの言及はこれまで一度もなし。
ステージでのパフォーマンス時にはラノくんの周りを魔法の鍵盤が大小さまざま飛び交うのだが、その鍵盤を渡りあるくラノくんの姿から目を離せなくなる。
あちこちに振りまくいたずらっぽい笑顔が小柄で可愛らしい顔の彼に大変マッチしていて、歌声がまた透き通るように美しいのも彼の特徴だ。
俺も魅了されたニンゲンの一人で、毎回公演の際には身分と姿を隠し大金を寄付している。
多分俺の他にもそういう輩が大勢いることだろう。
血なまぐさい金かもしれないが、少しでも何かの足しになれば幸いだ。
……え? お前、死にそうにないなって?
いやいや、実際五感のほとんどはすでにない。
今残っているのはわずかな視覚くらいのものだ。
その視覚に、ラノくんが入り込んでいる。そのいたずらな笑顔はどこにもなくて、必死に何かを叫んでいる。
しかし残念ながらその可愛らしい声を、俺はきくことができない。
耳に異常はないはずなので、血液の不足が脳によくない影響を及ぼしているのだろうと思う。
皆にはわかるだろうか。せっかく推しが『自分』に向けてはなっている言葉をきくことのできない苦しみ。怒り。悲しさ。虚しさ。ああ、死んでしまいそうだ! ……冗談ではないのが笑えない。
「 」
できれば彼のいないところで、彼に知られないまま死にたかったな。
俺はキミにだけはいつも、笑っていてほしかったのに。
視界が閉じていく。
暗闇が端から侵食してくる。
皆こんな光景を見ながら、死んでいたんだなあとしみじみする。
よく殺しても死なない、ゾンビみたいなやつだと揶揄された俺だが、どうだ! と組織の連中に言ってやりたいな。
俺だってこんなふうに簡単に死ぬんだ。今まで殺せなかったお前たちがおかしかったのだ!
……ああ、これが死か。
なんとも情け容赦のないやつと、こんなに仕事をしてきたものだ。
「……で、何で俺は生きてるんだ?」
目を覚ました俺がいたのは、ベッドの上だった。
見覚えのない天井。見覚えのない壁。見覚えのない窓からの景色。
どうやら組織の何者かに連れて帰られたわけでもなく、病院に運び込まれたというわけでもないらしい。
病室というにはあまりに狭かったし、研究室というにはあまりに普遍的な部屋だった。
ありていにいえば、民家の一室だ。
穏やかなミントグリーンの壁紙に、フローリングの床。
壁には本棚が置かれていて、言語は……読めない。人間の言葉じゃないらしい。
……?
人間の言葉じゃ、ない?
「ああ、目を覚ましたんだな。よかった」
扉が開く。
そこに立っていた姿に、俺は言葉を失った。
「僕のことはわかるか? あんたに命を救われたモンスターだよ」
忘れるべくもない。
間違うはずもない。
思い出すまでもない。
考えるまでもない。
俺の推し、ラノくんがそこに、立っていた。
「ブッ」
「あ、おい!?」
とっさに鼻と口を抑えて本当によかった。
目からは涙。口からは涎。鼻からは血を吹き出して俺は蹲った。
おお、神よ。会ったことも信じたことも祈ったこともないけどいるのかな俺の神よ。
いやラノくんが神かも。そうかも。
グッジョブです。その……ぶかぶかのワイシャツ。
「なあ、おい、大丈夫か? どこか痛むか?」
いつの間にか、彼は俺に駆け寄っていて、背中をさすっていた。
その小さな黒い手で。可愛らしいおててで!
「おかしいな……、ちゃんと成功したと思ったんだけど」
「?」
「ああ、まだ説明してなかったよな」
俺が小首を傾げると、ラノくんはえっへんと得意げに胸を張った。
そしてとんでもないことを告げた。
「あんた、死んじまったからその遺体? を回収してさ、ゾンビにしたんだ」
ぞんび。
思わずその三文字を復唱した。
ハッとして、窓ガラスに反射する自分の姿を確認する。
金色だった髪の毛はくすんで灰色へ。
青かった瞳は真っ赤な血の色へ。
肌は青白く、顔面の右側には不自然な縫い痕がある。
俺。ゾンビ。ははは。……いや笑えねえ。
それはつまり……俺はもうニンゲンじゃないってことか?
「……あれ。もしかして、嫌だったか?」
黙りこくった俺を不安そうに、ラノくんがのぞき込んでくる。
可愛い。この世のものとは思えない可愛さだ。目に録画機能とか欲しい。
でもあまり見つめないでほしい。体の端から蒸発して消えてしまいそうだ。
え? ラノくんにされて嫌なことなんてあるわけないじゃないですか。
ゾンビ。実にいいです。幸せです。俺。
ビバ! ゾンビ!
「や、あの……とても嬉しい、です……」
「ほんと? よかった」
俺の言葉に、ラノくんはほっとしたように顔を離した。
助かった。これ以上は尊さで心臓が止まるところだった。
「よっと」
前言撤回。
いまだピンチは継続中だ。
ラノくんはおもむろに俺のベッドによじ登ると、ぴったりと俺に寄り添った。
俺はというと、情けない話だが固まるほかなかった。
素顔どころか遺体まで晒した身で何をこれ以上恥ずべきことが、と思うかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
……そういう生き方をしてきたのだから、なおさらだ。
このまっさらで純粋な目に、俺という汚物を晒している事実が、耐えがたい。
まあもう死んでるけど。
「実はあんたにお願いがあるんだ」
「……お願い?」
「うん。あんたにしか頼めないことなんだけど」
なんだろう。
顔を上げて、彼の顔を見つめる。
ラノくんは恥ずかしがるような顔をしていた。
ああ、こんな顔はステージ上ではみたことがない。
今、全ファンの中で俺だけが、この顔を見れている。
こんな幸福いいのだろうか。死んでよかったとすら思っている。
ラノくんは、意を決したようにそらしていた顔を戻して、俺にその手を差し出した。
「あんたに、僕のボディーガードになってほしいんだ」
は。
「は、あ、ぼ、ボディ、ガード……?」
殺し屋の俺に?
と口から出そうになるのを精一杯抑える。
何を勘違いしたのやら。俺にはふさわしくない。ちゃんとそういうプロがいる。
断ろうと口を開いたところで、ふと思い出した。
……いやまて。でも今の俺はゾンビ。
肉壁くらいにはなれるんじゃないか?
ラノくんたちモンスターは、ニンゲンよりも情が深い。
モノが壊れても悲しむような子たちだ。
見ず知らずの俺が目の前で死んだだけで、こんなふうに助けてくれるほどに。
「……だめ?」
上目遣いの追撃を受けて、思考は停止。
俺の口からは肯定の言葉が飛び出していた。
「やります」
「やったあ!」
ガバッとラノくんに飛びつかれて、俺の意識はブラックアウトした。
尊さと萌え、可愛さが過剰供給され、精神と脳が破損したためである。
読んでいただきありがとうございました。
お口に合えば次話もよろしくお願いいたします。