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小料理屋はなむらの愛しき日々  作者: 山いい奈
4章 決め付けられた気持ち
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20/24

第3章 決定的なできごと

どうぞよろしくお願いします!( ̄∇ ̄*)

少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

 2日が経った日曜日。17時になり「はなむら」はいつもの様に開店する。口開けのお客さまは高牧(たかまき)さんだった。


「いらっしゃいませ」


「こんばんは」


 高牧さんはいつもの通り、カウンタ席の1番奥に腰を下ろす。茉莉奈(まりな)はさっそくおしぼりをお持ちした。


「茉莉奈ちゃん、生ビールよろしくの」


「はーい。お待ちくださいね」


 飲み物カウンタで生ビールを作り、高牧さんにお持ちする。


「ありがとう」


 高牧さんはさっそくぐびりと口に含み、「ほぅ」と満足げに頬を緩ませた。また口髭(くちひげ)に泡が付いている。茉莉奈はつい微笑ましくなって、にんまりと口角を上げた。


 その時、引き戸が開いた。


「いらっしゃい、ませ」


 笑顔でお出迎えをと思ったが、来られたのは私服姿の尾形(おがた)さんだった。茉莉奈の表情は凍り付いてしまう。


 いけない。茉莉奈は瞬時に頭を切り替える。もしかしたら今日も触れられてしまうのかも知れない。けれども動揺しない様にしなくては。「はなむら」に悪印象を与えてしまってはいけない。


「こんばんは、茉莉奈ちゃん」


 尾形さんは微笑を浮かべ、言いながら茉莉奈の肩に触れた。途端に茉莉奈の肌に鳥肌が立った。だが気取られない様に、茉莉奈も強張りながらも笑顔を貼り付ける。


「小上がり大丈夫?」


「はい。どうぞ」


 今日お連れしていたお友だちはおふたりだった。尾形さんはいつもの手前の席に座り、お友だちはおふたりとも奥の席に腰を下ろした。


 おしぼりをお持ちすると、その場で飲み物が注文される。尾形さんとお友だちおひとりは生ビール、もうおひとりは酎ハイレモンだった。


「はい。お待ちくださいね」


 茉莉奈は飲み物カウンタで飲み物を作る。また尾形さんは手を伸ばして来られるのだろうか。そんな不安に襲われながら、茉莉奈は酎ハイレモンを作り、生ビールを注ぐ。


 落ち着け、落ち着け。茉莉奈は自分にそう言い聞かせながら深呼吸をする。浅くだが、吸って、吐いてを繰り返していると、心が落ち着いて来た。


 よし、と茉莉奈は心中で気合いを入れて、ジョッキとタンブラーを持ち上げた。


「お待たせしました〜」


 茉莉奈は尾形さんから少し距離を取る。やはり尾形さんは手を伸ばして来た。茉莉奈の身体が一瞬固まりそうになるがそれを(こら)え、その手を避ける様にして、飲み物をテーブルに置いた。


 用済みになった尾形さんの手が行き場を無くし、わずかに空を()いたあとぶらりと床に落ちる。


 触られずに済んだ……。茉莉奈はそう安堵し、ふいと尾形さんの顔に目線だけを向けてみた。すると尾形さんは(けわ)しい表情に豹変(ひょうへん)していた。


 鬼の様に、とは言いすぎかも知れないが、顔をしかめ、忌々(いまいま)しそうな気配を漂わせていた。


 その時茉莉奈は確信する。やはり尾形さんはわざと茉莉奈に触れていたのだ。「はなむら」のご常連が、そんなセクハラじみたことをするはずが無いと思っていたのだが、それは茉莉奈の思い込みだった。


 どのお店でもそうだが、ご常連となられるお客さまが全て良い人、真っ当な人とは限らない。お客さまとお店の店員は表面上のお付き合いであることが多い。


 茉莉奈も尾形さんのことを詳しく知っているわけでは無い。尾形さんが「はなむら」で見せているのは尾形さんのほんの一面だ。別の顔があってもおかしく無い。


 尾形さんが茉莉奈に触れる目的は判らない。だが尾形さんの対応をする時は要注意だと、茉莉奈は(きも)に命じた。




 尾形さんたちは作り置きの中鉢をいくつか注文されたので、茉莉奈は厨房に入り、料理を整える。尾形さんのご定番とも言えるポテトサラダ、それと白和えだ。今日の白和えはちくわと金時(きんとき)人参、ほうれん草が入っている。


 金時人参は京人参とも呼ばれ、ブランド京野菜に指定されている。だが香川県での栽培が多くを占め、実は大阪でも育てられている。西洋人参よりも深い赤色が特徴だ。正月料理のなますやお煮しめでお馴染みの方も多いだろう。


 旬は12月から翌年の1月で、11月の今は走りだ。なのでまだ少しお値段が張るのだが、この綺麗な赤をぜひ料理に使いたいと香澄(かすみ)が言ったのだった。


 中鉢ふたつをそれぞれ両手に持ち、小上がりにお運びする。


「お待たせしました。ポテトサラダと白和えです」


 まずは右手のポテトサラダを座卓に置いた。その時。


 左手に持っていた白和えの中鉢。それに手を伸ばした尾形さんは。


 中鉢もろとも茉莉奈の手を甲まで包み込んだのだ。


 瞬間、茉莉奈は恐怖に襲われる。ぞわっと全身が粟立ち、とっさにその手を振り払ってしまった。


「きゃ……っ!」


 手にあった白和えが離れ、小さな放物線を描く。ああっ、と思った茉莉奈がそれに視線をやると、中鉢から白和えが飛び出す。もろとも床に落ち、がちゃんと派手な音を立てて中鉢が割れた。


 店内がしんと静まり返り、茉莉奈も呆然と無残に散らかった白和えを見つめる。


「茉莉奈ちゃん」


 その声で茉莉奈は我に返る。気づけば高牧さんが側にいて、(いた)わる様な眼差しを注いでいた。


「あ、ご、ごめんなさい! すぐに片付けますから」


「手伝うで」


「いえ、とんでもありません。本当に申し訳ありません。高牧さんはお席でごゆっくりしててください」


 茉莉奈は高牧さんにまず席に掛けていただき、慌てて掃除道具を取りに奥に駆ける。その時尾形さんの陽気なせりふが追い掛けて来た。


「まったくもう、茉莉奈ちゃんはどじっ子やねんから〜」


 誰のせいで……! 茉莉奈は悪態を()きそうになって、必死にそれを(こら)えた。相手はお客さまだ。何があろうと(いさか)いなど起こしてはならないのだ。香澄のため、「はなむら」のため。茉莉奈が我慢すれば済む話なのだ。


 もっと心を強く持たなければ。こんなことで狼狽(うろた)えていてはいけない。笑ってやり過ごせるぐらいになりたい。ならなければ。


 茉莉奈は掃除道具を(たずさ)えてフロアに戻る。キッチンペーパーで白和えを拭き取り、割れた中鉢をほうきで()き取り、最後に濡らしたキッチンペーパーで綺麗に(ぬぐ)った。


 そして立ち上がった茉莉奈は方々に頭を下げた。


「お騒がせしてしまい、申し訳ありません」


 するとあちらこちらから「大丈夫やで」「気にせんといて」とお声が掛かる。茉莉奈は申し訳無さとありがたさで消え入りそうになった。


 掃除道具を片付けようとまた奥に向かうと、厨房から香澄が「茉莉奈、大丈夫?」といたわし気な声が掛けられた。


 茉莉奈は泣きそうになってしまう。自分の未熟さで香澄にまで心配を掛けてしまった。こんな時でも香澄なら巧くやり過ごすだろうに。人生経験の差もあるのだろうが、本当に情けなくて嫌になる。


「うん、大丈夫」


 茉莉奈は応えるが、巧く笑えていただろうか。頬が強張(こわば)ってしまって自信が無い。だがまずは掃除道具を片付けねばと奥に入った。


 フロアからも厨房からも見えないそこで、茉莉奈は自らを抱き締める。そうすると自分が震えているのが分かる。


 怖いと思った。気持ち悪いと思った。どうしてこんな目に()わなければならないのか。自分が何かしたのだろうか。尾形さんにああした行動を取らせる様なことを、何か。


 しかし考えても、過去を巡っても茉莉奈に心当たりは無かった。


 香澄に相談しようか。しかしこんな私的なことで香澄を(わずら)わせることなんてできない。「はなむら」に被害が出ているわけでは無いのだから。


 少し触られるだけだ。こんなこと、きっと世間では良くあることなのだ。それを耐えている人も多いはずだ。世間知らずの自分が知らないだけなのだ。


 そう、これは瑣末(さまつ)なことなのだ。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫。


 茉莉奈は自分に強く言い聞かせる。深く深呼吸を繰り返すと、少しずつ震えが治って来た。そろそろ戻らなければ。香澄ひとりで店を回すのは大変なのだから。


 両の指を見ると、まだ少し震えが残っている。だがこれぐらいなら大丈夫だ。働いているうちに落ち着くだろう。


 まずは尾形さんにお詫びをしなければ。本心ではしたく無い。できることなら話したくも無い。だが茉莉奈が粗相(そそう)をしてしまったのは確かなのだ。


 フロアに戻った茉莉奈は小上がりに向かい、「尾形さん」と少し上擦(うわず)った声を掛けた。


「大変失礼いたしました」


 茉莉奈は深く腰を折る。尾形さんはそんな茉莉奈を見て、「ええって」と鷹揚(おうよう)に笑った。


「気にせんでええから」


 言いながら頭を下げる茉莉奈の肩を撫でた。そうされながら茉莉奈は強く唇を噛みしめる。


 触るな、気持ち悪い、やめろ。


 そんな拒絶の言葉が脳内を駆け巡るが、表に出すことはできない。頭を上げた茉莉奈は笑顔を浮かべる余裕も無く、その場を離れた。


 これからも尾形さんが来店される度に続くのだろうか。そう思うとぞっとする。だがお客さまなのだから、「はなむら」として出迎えねばならないのだ。そう思うと茉莉奈は暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

ありがとうございました!( ̄∇ ̄*)

次回もお付き合いいただけましたら嬉しいです。

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