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「和也のマンションからの帰り」
柚葉は昨夜、最近、流行りだした昔のレコードを借りに僕のマンションに来た。
好きなバンドの話をして、帰ったのは10時くらいだったろうか。
「駅までの道に気味悪いトンネルあるでしょ?」
確かにある。
コンクリート剥き出しで、電灯が所々、切れてる不気味なトンネルだ。
長さはそれほどない。
「あそこに居たのよ! 闇のナースが!」
柚葉が必死に訴える。
「トンネルの壁際に立って、あたしの顔をじーって見つめるの! 眼帯してるから片眼だけ…身体がユラユラ左右に揺れて…めちゃくちゃ怖いんだよ!」
「ふーん。それで、何かされた?」
「え?」
柚葉がキョトンとした。
「別に…何も…見てきただけ」
「なーんだ」
僕は急に可笑しくなってきた。
これで、単なるコスプレ女性の線が濃くなった。
大学生にもなって、怪談で震えている柚葉に少々、呆れる。
「それって普通の人だろ?」
「ふ、普通ではないでしょ! 和也は実物を見てないから分からないのよ! 何て言うの…オーラ? その…とにかくヤバいのよ!」
「はいはい」
「何よー、もう!」
その後も柚葉は、いかに闇ナースが怖いかを力説したけれど、僕はほとんど真面目に聞いていなかった。
3日後、理沙といっしょに学食でお昼を食べていると。
「あのね、和くん」
彼女は僕を「和くん」と呼び始めた。
すごく嬉しい。
「何?」
「あの…」
理沙は下を向いてモジモジする。
かわいい。
「柚葉…さん?」
彼女から柚葉の名前が出たのは意外だった。
今まで1度も柚葉が話題になったことはない。
「柚葉?」
「そう…あのね…」
理沙は何度も言いかけては、口ごもった。
「柚葉がどうかした?」
「心配なの…彼女は和くんの…友達だよね?」
「うん。そうだけど」
僕は戸惑った。
そもそも僕の中では柚葉は完全に恋愛対象ではなかったからだ。
「だ、大丈夫だよ!」
僕は高校から続く柚葉との関係を必死に説明した。
最初は強ばっていた理沙の顔が、次第にほぐれていく。
「だから全然、気にしなくていいよ。僕は理沙、ひと筋だよ」
「和くん…ありがとう」
理沙が微笑む。
かわいらしい瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。
こんなに僕を好いてくれてるなんて!
か、かわいすぎる!
あまりの愛おしさに僕は人目も気にせず、彼女を抱き締めたくなった。
「和くんを信じる」
「良かった。でも理沙の気持ちを考えなかった僕も悪かった」
「ううん、和くんは悪くない」
「理沙…柚葉とは、これから距離を取ることにする」
「そんな! 何だか柚葉さんに悪いよ」
理沙の困り顔。
その表情も、またかわいい。
「いいんだ。僕には理沙が何より大事だから」
「和くん…」
僕たちは見つめ合った。
ああ、本当に幸せだ!
5日後の夜。
バイト終わりの柚葉が僕のマンションに来た。
レコードを返してもらってから、理沙との事情を説明する。
「ええ!? そうなの!?」
柚葉が驚く。
「ごめーん。理沙さんに悪いことしたね」
「いや、もう大丈夫。ちゃんと分かってくれた。だから、これからは少し気を付けるよ」
「あたしもそうする。ホントにごめん」
しきりに謝る柚葉を安心させていると、もう10時を過ぎていた。
「あ!」
柚葉が急に青ざめる。
「どうした?」
「忘れてた…闇のナース!」
僕は思わず噴き出した。
「笑いごとじゃない! 本気で怖いんだから!」
「分かった、分かった。駅まで送るよ」
僕は怯える柚葉を連れて、マンションを出た。
トンネルまで来ると柚葉が「居た!」と悲鳴をあげた。
僕が慌てて、その口を右手で塞ぐ。
「おい! あの人に聞こえるだろ!」
確かに居た。
闇ナースだ。
電灯が切れた壁際に立っている。
首から上は、うっすらとしか見えない。
それなのに、どういうわけか片眼だけがギラギラと輝いていた。
想像していたよりも、ずっと禍々しくて迫力がある。
不気味なオーラだった。
「ね、言った通りでしょ!」
柚葉が僕の背中に隠れる。
しがみつく身体が、ガタガタ震えていた。
「何だか、この前より怖いよ!」
僕は深呼吸して、闇ナースの前を通った。
自然と早足になってしまう。
その間、闇ナースの細い身体はユラユラとゆっくり揺れていた。
相手のあまりの眼力の強さに、僕は途中から眼を伏せた。
僕たちはようやくトンネルの外に出た。
実際は大した時間じゃないのに、やたらと長く感じた。
しばらく無言で歩き続ける。
全身、びっしょりと冷や汗をかいていた。