9・ピーグイとの死闘!その決着は!?
考えはぐるぐると回り続け、持ち時間だけが無駄に減ってゆく。
と、あの酔っ払い老人が草歩をみた。そして、手に持っていた酒の杯を落とし割ってしまった。
周りの人はなんだと驚き、ピーグイも、ヴォの酔っ払いめ、とバカにしたように呟く。しかし、草歩にはそれが何かのメッセージだと感じられた。
レストランのおじさんがやってきて片付けている。
「おお、すまんのう」
老人はヘラヘラ笑ってペコペコと謝る。どう見てもただの酔っ払いだ。そして、
「覆水盆に還らず、じゃな、こぼれた酒は飲めんわい。それに悩むのはバカのすることじゃ」
と呟くと、後ろにいた猫のような獣人に声をかけ、見物人をかき分けて外へと出て行った。
草歩はそれをじっと見送る。
「くくく、ヴォうず。もう時間がないぞ?そんなにヴォうっとしていていいのかい?」
ピーグイがさも楽しくてたまらないといった様子で草歩をなぶるようにいう。
さあ、ヴォうず、悩め悩め!使っても使わなくても、おまえの負けに変わりはない!
確かに一見、草歩はぼんやりして、悩みすぎてどうしようもなくなってしまったと見えたかもしれない。しかし、草歩のなかではさっきの老人の言葉が繰り返し響いていた。
「こぼれた酒に悩むのはバカのすること」
確かにそうだ。草歩の頭のもやもやに、一筋の光が差した。
「待った」をするかしないか悩むなんて、相手を倒すこと、自分の力をつけることになんの意味もないじゃないか。
何をバカなことを考えていたんだ。
局面が不利なら、なんとかして逆転する方法を考えればいい。そしてその『考える』ことが楽しいんじゃないか。
「ん?ヴォうず?」
こちらを見るガキの視線に、笑みが浮かんでいるのを見てピーグイは訝る。こいつ、おかしくヴァ(な)っちまったか?
「いくぞ、ピーグイ!これが僕の能力だ」
そして草歩は唱える。
「『不殺友愛』!」
成り込まれた馬を捕らえる位置に銀を打つ草歩。
もう能力を隠すつもりはなかった。手の内を全部さらして、お互いが最善を尽くして戦いたい。それが「将棋」の面白さなんだから。
「ヴフフゥゥゥゥゥゥゥッ。おかしな能力を使いヴァすね、ヴォうず。だか、もう遅い!」
ピーグイは草歩の王に向かって攻撃を開始する。時間がない中で、どうやって対応するか草歩の方が考えなければならない局面だった。
このガキの能力がちょいと変ヴァっているからって、こっちが圧倒的に有利なのはヴァちがいない。
しかし、迷いが吹っ切れてからの草歩の指し手は早かった。ピーグイの猛攻を凌ぎきり、今度はピーグイの陣地に進軍してゆく。
「ヴァんだと!?」
焦ったピーグイは、よくわからないながらも草歩の能力の説明を必死に理解し、自分の陣営を立て直すために能力を発動する。
「『不殺友愛』ッ」
いつしかピーグイと草歩は、「将棋」に近いルールで、お互いの能力を意識することもなく盤面に集中していた。
たった一つ、『不殺友愛』は持ち駒を使うのが交互にしかできない、という違いがあるけれど、草歩はそれもルールとして受け入れ局面に潜り込んでゆく。
ピーグイも同じだった。
相手が自分の『輪廻転生』を使ってこない以上、それについて考えることはない。できることは目の前の戦いに集中することだけ。相手の考えを読み、対応し、持ち駒を使い、一手でも正しい手を指すこと。
ヴァんだ、この感覚は。
この、奴隷になるかどうかを賭けているのに、笑みを浮かべて楽しそうに『皇棋』を指すヴォうずを見ていると、始めた頃の自分を思いだすようだ。そして目の前のコマに心を集中させてゆくと、忘れていた感覚が蘇ってくる。
『皇棋』とは楽しいものだ。
二人はいつしか周りの喧騒も声援も冷やかしもわすれ、二人だけの世界に入り込んでいた。言葉はないけれど、世界の誰よりも相手のことを深く考える特殊で貴重な時間が流れる。
やがて草歩の飛車がついにピーグイの陣地に成り込む。
「ヴォほう、ヴァ(ま)けるかッ」
ピーグイの言葉に楽しそうな笑いが混じる。
と、突然草歩がつぶやいた。
「『輪廻転生!』」
盤面が5手、戻ってゆく。
ヴァ(な)ぜだ?ヴァぜこのヴォうずは俺の能力を発動した?さっきまであれだけためらい続けていた、このヴォうずの感覚を狂わす悪魔の能力ヴァのに!?
草歩はさっきの手順を指してきた。
ならば、とピーグイは一度やられた、飛車を成り込む手に対応する。しかし今度は草歩は飛車でなく、桂馬を跳ね、要の金を狙ってきた。
しまった、これが狙いヴァったのか!
だが。ピーグイはふたたび自分の心に暗い影が忍び寄るのを感じる。
ガキがヴォれの能力を使ったと言うことは、ヴォれもまた『輪廻転生』を発動することができる。
さっきまでの興奮と熱が引いてゆき、ゲームを開始する前の真っ黒な、だるく、怠惰でずるい感覚がピーグイの全身を捕らえる。そう、負けそうになったり、不利になったら、「やり直せば」いいんだよ。このガキも結局そうだった。
そう、人間なんてそんなものだ。一瞬でも何かが違うとおもった俺がばかだったのだ。
ピーグイはどろりとした冷たい目に冷酷さを隠して草歩を見て、唱える。
「『輪廻転生』ッ」
そして指し手をもどし、草歩が見せてきた2つの手に対応できる手、飛車の成り込みと桂馬跳ねに対応できる場所へ『不殺友愛』を発動し持ち駒の『銀』打つ。
さあ、悩め悩め。お前は結局「待った」をしたことで負けるんだ!そして一生自分自身を恨むんだな!俺のように!
だが草歩の目に陰りはない。今までよりもむしろ興奮した、やったという表情をして駒台に手を伸ばし、さっき2回見せた手とはことなる、敵陣に飛車を打ち込む手を見せてきた。
「ヴァにい!?」
その手を見てピーグイが読みを進めるほど、あまりに自分が不利になったことがわかってきた。
このヴォうず!
俺の『輪廻転生』を戦略的に使いやがった!
まず、この坊主は「手持ちの飛車」を打ちたかった。だが、『不殺友愛』の能力上、ヴォれに発動の権利があり使えない。
そこで奴は一度盤上の飛車を成り込む攻めを見せ、『輪廻転生』で局面をもどして今度は桂馬を跳ねる攻めを見せることで、同時に対応するにはヴォれが銀を打つしかなくなるだろう、と読みやがったんだ!
先ほどの二つの手よりも、飛車を打ち込む手が圧倒的に厳しい。もしヴォうずに『不殺友愛』の発動権あったら、俺は間違いなくその手を指させない対応をしたはずだ。
だが、『輪廻転生』によって俺の意識を二つの攻め筋に引き寄せて、俺が飛車打ちに気がつかない、対応しないように手順を進めた!
こんな『輪廻転生』の使い方があるとは!
あとはもう、草歩がいかにピーグイの王を詰ませるかの手順が続くだけだった。
自分の負けが分かっても、ピーグイは最後まで指し続けた。この戦いを終わらせたくなかったのだ。少しでも、この盤上で対話をつづけていたかった。
「ヴォれのヴァけだ」
ピーグイが降参した。
「ありがとうございました」
草歩はピーグイに頭を下げる。
周りでは驚きと歓声が上がっていた。レストランのおばさんは、おじさんにぎゅーっとしがみついて泣いてよろこんでいる。おじさんも泣いているけれど、それは痛いからかもしれない。
「ピョンは自由ヴァ(だ)。『宣誓』は果たされた」
ぐったりと椅子にもたれたピーグイがだるそうにいう。
ピョンは驚いた顔をしていたが、やがてその場でぴょんぴょん跳ね出して、両手を突き上げて大喜びする。よかった。
「ピーグイ、ありがとう」
草歩の礼にピーグイは首を振る。草歩を見る目には、柔らかい光が宿っている。だるそうなのはきっと全力で指して疲れたからだろう。力を尽くして戦いあったあとの、心地よい疲労と満足感を、きっとピーグイも感じているはずだ。
「感謝するのはこっちだ。ヴォうず、まさかあんな『輪廻転生』の能力の使い方を思いつくとは」
草歩は鼻をかく。
「最初は、「待った」をする能力なんて、と思ってたんだよ。ずるいな、みたいに。でもレストランのおじさんが言ってたんだ。どんな能力だって使い方によっては強力な武器になるって。だから、ピーグイの『輪廻転生』も「待った」として考えるんじゃなく、もっと戦略的に使えないかなって思ってさ。僕の『不殺友愛』の能力と合わせて手順を誘ってみたんだ。うまくいくかはわからなかったけど」
「ヴフん、ヴォうず、ありがとう。ヴァ(た)のしかった」
草歩も笑顔で答える。
「うん、『皇棋』は楽しいね。またやろう、ピーグイ!」
「ああ」
ピーグイは、この『皇棋』を純粋に楽しむ真っ直ぐな子供をみて思う。もっと早く出会えていたら。自分が見放したこの能力を、真剣に考え前向きに使うことを教えてくれた。与えられた能力のせいにして自分を呪って生きていたのは、きっと自分の弱さから逃げていたからだろう。
もう一度、やれるだけやってみるか。
ピョンと抱き合う草歩を見て、ピーグイは思う。
『あいつ』が変えてしまったこの世界を、このヴォうずはまた、変えてくれる気がする。
いつしか始まった草歩の胴上げを見ながら、ピーグイは戦いのあとのビールを楽しんだ。
久しぶりに心が晴れた。いつもやってくるどろりとした重い感情がまた忍び寄ってきても、今度はもう怖くない、と思えた。