86・ピョンの気づき
対局が始まって確認したピョンの成績は、
「23勝92敗 レベル8」だ。
負けの数がかなり多いから、きっと同じ年齢の中でも弱いほうなのだろう。まあ、僕も実際の宣誓はまだ5回しかしてないから人のことを言えないけど。
草歩は自分も7七を7六に突いて角道を開けた。
ピョンは飛車を4二に回ってきた。
四間飛車か。草歩も大好きな戦法だ。昔は角を止めて戦う形が多かったけれど、今は角が睨み合ったまま攻撃的に構えるのが流行っている。
皇棋には持ち駒がないから、こうしてコマを取り合う戦いに持ち込もうとするのは短期決戦を狙った能力なのかもしれない。
将棋だったらコマを交換しあう展開になることを、『さばき』と言ったりする。
特に『振り飛車』という、飛車をもともとの筋から動かして戦う戦法を使う棋士が得意な傾向があって、振り飛車の名手、久保利明9段は『さばきのアーティスト』の二つ名を持っている。
将棋の場合には『序盤は飛車より角』という格言もあって、角と飛車を交換に持ち込んだり、あるいは王をガッチリと穴熊や美濃囲いに囲っておいてから飛車交換を持ちかけて相手の陣地に打ち込んだりする作戦があって、コマの交換が振り飛車の方が有利な流れが多いのでさばくのが得意な人が多いのだろう。
皇棋ではそうはいかない。
チェスと同じで基本的には持ち駒がないから、交換ではなくてコマの消し合いということだ。序盤に安易に角を失えば、それだけで基本的な戦略の幅が減る。だから角を睨み合っているということは、何か能力の傾向が短期決戦向きであるか、角がないほうが有利なの能力なのかもしれない。
と、そこまで考えて草歩はまた振り出しに戻る。
そうか、ピョンは僕の能力は知っているんだ。宣誓は見ていなくても、僕が木の皇棋盤でトー伯斎師匠やチェスナと指しているところは見ているはずだから、皇棋のルールを知っている人ならなんとなく眺めているだけでもどういう能力なのかなっていうのは目に付くはずだ。
つまり、ピョンは角を取り合うことが消し合うことでなくて、持ち駒にしあうってことをわかっているんだ。
30秒将棋なのであまり無駄に考えているわけにもいかない。
それに、と草歩は思う。
結局相手の能力というのは、使われてみないとわからないんだ。僕が居飛車を選ぶのも、なるべくわかりやすい展開にしたいから。
草歩は飛車先の歩を突いた。
ここでは角を交換してくるかどうかが一つのポイントだろう、と思っていたら、早速角を取ってきた。
銀でピョンが成り込んできた馬を取る。
一応振り飛車の狙いとしては、ここで銀を8八に置かせて壁にするという狙いがある。そして飛車を2二に回って歩の交換を拒否してきた。
割合によくある角交換四間飛車の流れだ。草歩は4八に銀を上がり様子を伺う。ピョンも4二に銀をあがってきた。
ここからはしばらく駒組みだ。
じっくりと王を囲うためにコマを動かしていると、ピョンが口を開いた。
「兄貴、これは僕の一人ごとですミ。気にしないでください」
草歩はピョンにちらりと目をやる。草歩のことは見ずに、盤を見ながら話している。
「実は僕は、兄貴がどうして『あいつ』と戦わないことを選んだか、わかっているんです。最初から。それにどうして兄貴がそれを僕に話してくれないのかも」
ピョンは顔を上げず、淡々とコマを動かしながら話し出した。
「だから兄貴が何を言っても全部わかるんです。どんなに無関心を装ってもそれが嘘だって。兄貴の心は最初にあった時とおんなじ優しさと強い意思で出来ているって。そう、ピーグイから僕を助けてくれた時とおんなじ」
「ピョン、そういう話は僕に勝ったらするんじゃなかったの?そのための宣誓なんでしょ?」
草歩がそういうとピョンは首を振った。
「これは一人ごとなんですミ。それに、兄貴の心を皇棋の宣誓で聞き出すなんて本当はしたくない。だってそれじゃ本当の信頼とはいえないから。言いたくないことを無理やりに言わせるのは、やりたくないことを無理やりやらせるのと何も変わらないですミ。
だからそういうことをするつもりはないんですミ。ただ、こうして時間を作ってゆっくり僕の話を聞いてほしいかった。無理やり聞き出さなくたって、僕にはわかってるって知ってほしかった。本当は兄貴に話して欲しかったけど、それもわかってるからいいんですミ」
お互いに王を囲っていく。
ピョンは美濃囲いに、草歩は銀冠に構えた。そろそろ戦いが始まる。
「無駄話をしてていいの?ピョン。いくら言ったって、僕に勝たなきゃ何も話さないよ」
「いいんですミ。聞いてほしいだけだから。兄貴、兄貴があの日逃げ出して、それからずっと身をかくしている理由、僕を遠ざけている理由は」
ピョンは顔を上げた。草歩はまともに目があって、思わずドキリとする。見透かすような鏡のように澄んだ瞳。
「それは、僕のためでしょう?」
手にしていたコマを動かす手が思わず止まる。
「何を」
否定しようとするが、喉がつまったように言葉が出てこない。
「兄貴はいつだって、自分のことよりも人のつらさに心が向いていミす。いつだって誰かを助けようとして、そのためなら後先考えずに突っ走る。だからあの時だって、今だってそうなんですミ。僕を助けようとして、自分のことを押し殺してまでそれをやり通す。
わからないわけがないですミ。最初から助けられて、これだけいつも思われて、兄貴がすることをずっと見てた僕に。
兄貴は僕が『あいつ』に目をつけられることが絶対にないように、万が一にも『あいつ』の奴隷になったりしないように、それでもう自分も戦うのをやめて、僕から離れて、一人で生きようときめた。
そうでしょう?」




