85・ピョンとの神前宣誓
「ピョン?君と皇棋で戦う、だって?」
ピョンのセリフがうまく理解できなくて、草歩は抜けたような声でオウム返しに答えた。口に出してみてもやっぱり違和感がある。ピョン、と、皇棋、で戦う、って。
真剣に僕を見つめてうなづくピョン。
じゃあ、やっぱりそういう意味なんだ。でもそれでも頭のなかでうまく結びつかない。『ピョン』と『皇棋』が。
「あの、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、ピョンは皇棋が指せるの?」
「当たり前だミ。この国に皇棋をさせない人なんていない」
「そうだよね。そう言えばピーグイとだって『宣誓』して負けたから奴隷になったわけだ。でも、僕と出会ってからピョンが指してるところ一度も見たことがないよね。トー伯斎師匠のところでだって、せっかくあんなに強い棋士がいるのに全く教わろうともしてなかったし。それはどうして?もしかして僕に実力を隠してたの?ジューミーのことみたいに」
草歩にそう疑われてピョンは慌てて両手を振った。
「ち、違うミ。そうじゃないミ」
そして辛そうな顔でうなだれる。
「ただ、あの時は皇棋が嫌いだったんだミ。みんな皇棋を悪いことに使うし、奴隷にもさせられて皇棋にいい思いがなかったミ。だからあの時はもう皇棋は指さないつもりでいたんだミ。僕が指さなくても兄貴が指しているのをみるだけで楽しかったし、兄貴のお手伝いができればいいと思ってたんだミ」
「そっか」
まあ、それはわからないではなかった。僕もジュキと会ってから皇棋が嫌いになったから。きっとその時のピョンと同じように、指そうとしても苦痛しか思い浮かばなくなったから。
「じゃあ、君は本当は強いんだね。僕をまかそうっていうんだから」
何気なく聞いた草歩の問いに、ピョンはモジモジといいよどむ。
「あの、それは」
「ん?」
「それはその、僕は弱いミ。宣誓したら成績がわかるから言っておきますミが」
「そうなんだ」
なんだか拍子抜けしてしまった。僕を負かして、どうしても自分のいいように持っていきたいのかと思っていたけれど、弱いのか。
安心すると同時にちょっとバカにされたような気分にもなる。今の僕だったらそれでも勝てると思っているのだろうか?僕だってそんなに強くはないけれど、真剣に勉強したし、ジューミーにだって勝ったんだ。それを。
「いいよ。ピョン、君の気が済むなら宣誓しよう。それでもう、僕を放っておいてくれ」
投げやりに言ってその場に腰を下ろす草歩。
ピョンはそんな草歩を睨みつけ、自分も正面に座りながら言った。
「兄貴、僕が弱いと言ったからちょっと舐めてるでしょう?勝負はそんな甘いものじゃありミせん!」
「それは君もおんなじだろう?今の僕にだったら弱い自分でも勝てるって思ってるんだから」
「そういう意味じゃありミせん。兄貴が弱いから勝てるんじゃない。でも、もちろん勝てると思って申し込んでミす」
思わせぶりなピョンの言葉が気にかかったが、これ以上喋っていても長くなるだけだ。草歩はそれを無視して『宣誓条件』を確認する。
「まあいいよ。じゃあ、条件はなんだっけ?僕が勝ったら、ピョンはもう僕に付きまとわないってことだよね」
ピョンはそれを聞いてちょっと悲しそうな顔をしながらうなづく。
「付きまとわない…。そ、そうですミ、もう、兄貴のことは諦めミす。僕が勝ったら、兄貴は僕に全部話してもらいミす。隠してること全部。いいですミね?」
そう言われて草歩はドキリとする。隠してることって実際には何を言ってるのだろう?僕とジュキが話していたこととか、なんであいつが僕に執着してるのかも聞かれるのだろうか。そうしたら異世界転生のことも言わないといけないのかな?知ったらピョンはどう思うだろうか。
思わず身震いがする。
いや、勝てばいいんだ。勝って、もう二度と僕は戦わない。余計なことはしないで生きていく。その方がいいんだ。
「わかった、それでいいよ。時間は短くていいよね?最初から一手30秒でどう?」
「いいですミ」
「よし、じゃあいくよ」
「はいミ」
不思議な気持ちだ。目の前にピョンがいて、こうして向かい合っている。この世界に来てから一番長くいる相手なのに、今初めて一緒に皇棋を指すんだ。
意味のわからない鳥肌がたつような感覚に襲われながら、草歩はピョンと合わせて言った。
「『神前宣誓』!!」
目の前にいつ見ても美しい光り輝く皇棋盤が浮かび上がる。これも久しぶりだ。
槍と盾を構えファランクスのように陣形を組んだ歩兵や騎馬に乗り弓を構えた桂馬などの、華麗な古代彫刻のようにデザインされたコマの一つ一つのが整然と並んだ光景はそれだけで胸が高鳴ってくる。
やっぱり、僕は皇棋や将棋が好きだ。
改めて草歩はそう思う。
そして向かい合って座るピョンを見る。さっきまで言い合っていたけれど、草歩は自分の顔を綻ぶのを感じる。やっぱりピョンはすごい。こうして僕に皇棋をささせてしまうんだから。二度と指すつもりのなかった皇棋を。
命のやりとりや相手を傷つける目的でない戦いの、ゲームとしての皇棋が今できたことがピョンに一番感謝することかもしれない。皇棋のゲームとしての楽しさ、嫌なことに隠されて見えなくなっていた楽しさを思い出せたことが。
もちろん勝つつもりだけれど、それでもそれよりもこの1局を楽しもう。
ピョンも何か楽しそうな顔になっている。君も皇棋を指すのは久しぶりなんだろうね。
『神のサイコロ』の結果、草歩の手番に決まった。
よし。
「じゃあ始めようか、ピョン!」
「はいミ!」
「「よろしくお願いします」」
お互いに頭を下げて、この一番を共に過ごせることに感謝する。いろいろあるけれど、せめて試合は楽しもう、全力で。
顔を上げた草歩が2七の飛車先の歩を2六に突いて、ピョンと草歩の皇棋がスタートした。
これがピョンとの最後になる。勝ったらもう二度とピョンと会うことはない。複雑な気持ちが指先から皇棋盤に伝わっていく。
草歩が灌漑に耽っているとピョンが3三の歩を3四に角道を開けた。
ピョンの指し方はそうはさせませんよ、という気持ちが入っている。弱いと言っていたけれど、本気で草歩を倒すつもりのようだ。
面白い。やっぱり皇棋は面白い。




