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84・始めたことの責任

 「どういう意味?そう言ってるじゃない」


 草歩はピョンの言葉の真意がわからず、ちょっと口を尖らせて答えた。何度も同じことを言われても困ってしまうだけだ。それを見てピョンが首を振る。


 「ミーが言いたいのはもっと心の奥の話だミ。


 兄貴あみきは最初から間違ったことが許せない人だったミ。だからピーグイの奴隷だったミーをなりふり構わず助けてくれたし、『あいつ』がこの世界にどんなひどいことをしたかを知って、倒そうと思ってくれたミ。その時は負けることなんてこわくなかったでしょう?そんなことよりも、絶対になんとか倒してやるって思っていたと、ミーは知ってるミ。


 困っている人が目の前にいて、その人の置かれている立場が良くないものだったら、考えるよりも体が動いてそれを助けてしまうのが兄貴あみきの本質でミーはそれに惚れたんだミ。他の人にはない正義の心に。


 それがなくなってしまったのかを聞きたいんだミ。


 『あいつ』をなんとしてでも倒して、この世界の苦しむ人たちを救ってやるんだって。重い税金による貧困や奴隷の立場や国がめちゃくちゃになったことで、人間らしい生活が奪われて生きている人たちを絶対に助けたいんだって。そういう気持ちが、本当になくなってしまったんですミか?」


 草歩の心を覗き込むように、身を乗り出して大きな目でじっと見据えて、ピョンは言った。


 あの夜逃げ出してから初めて、草歩はお腹の奥に痛みや苦しみとは違う燃えるような、決して冷えることのないマグマのような身を熱くさせる激情がずっとそこにいたことを思い出す。煮えくりかえって湧き出すのを待っている、覆い隠す全てを燃やし尽くしてでも表に噴火しようとチャンスを窺っている激しい感情。


 草歩はゴクリと唾を飲む。


 なんなんだ、この子は。ピョンは。僕自身が忘れようと必死になってみないようにして、実際に意識の外に置き去っていた思いを簡単に見つけてしまうなんて。


 「もし、本当にそうだとしたなら。兄貴あみきが自分の本心から逃げていないと誓って言えるのなら、ミーはもう兄貴あみきを止めないミ。その心に従って隠れてひっそり暮らせばいいと思うミ。この世界のことなど忘れて生きればいいと思うミ。


 どうですか?兄貴あみき。そうなんですミか?」


 草歩は思い出してしまった胸のうちに住む火を吐く龍のごとく猛々しい情熱に戸惑いながら、どうしてそれを自分が隠しているのかもはっきりと思いだす。


 目の前の赤目の可愛らしい長耳の子に、全てをさらけ出したいがそれを飲み込む。草歩が逃げる理由は、その龍が炎を吐く理由と密接に結びついているからだ。


 そしてそれをピョンに言うわけにはいかない。


 「そうさ、そうなんだよ。ピョン」

 脂汗の浮かんだ手をスボンで拭いて、内心を隠しながら草歩は言った。


 「だから、もう僕と一緒にいない方がいい。君をがっかりさせるだけだから」


 いいながら後悔と切なさが激しくこみ上げる。出あって何も考えずにただ思うように突進していた頃の、自分に寄り添ってくれたピョンを思うと引き裂かれるような思いだ。


 本当は一緒にいたい。でも、僕は決めたんだ。

 だから後悔はしない。


 「そうですかミ」


 ピョンはうなだれて深いため息をついた。日が落ちかけて辺りが冷えてきたのを急に感じて草歩は身震いをする。


 寒い。体も寒いけど、胸の奥がもっと寒い。


 この世界で唯一無二の親友を傷つけて裏切ってしまった。そしてもう、二度とは取り戻せないだろう。大きなよすがを失って倒れそうな気分だ。でも自分で選んだんだ、受け入れないといけない。


 言葉がなく、草歩とピョンの間に長い沈黙が流れる。地面に吹き付けて土埃を舞い上げる丘を吹き下ろす風の音さえもやかましく響く。


 「じゃあ、今日は戦いをやめてくれてありがとう」

 草歩はついに沈黙を破ってそういうと、屋敷に戻ろうと振り向きかけた。


 「兄貴あみき、これからどうやってここの人たちを守るつもりですか」

 ピョンがかけたセリフに草歩は立ち止まり向き直る。その目は再び自信なさげに泳いでいる。ピョンが腹をたてたように鋭く追い討ちをかける。


 「今日はミーたちも赤松も兄貴あみきの顔を立てて引きました。でももう次はないですミ。それに、ここの奴隷たちのことも、目をつぶって生きていくんですミか?それは奴隷を認めてるのとおんなじだミ。逃げることを選ぶだけじゃなく、権力者のペットにすら簡単になるんですか?


 そうやって心になんの芯もなく逃げて、何も守れず誰にも理解されず、ただ自分を過保護に守ってくれる甘ったれた環境に居続けて、結果居場所がなくなって、それにそこに居続けることで虐げられているだれかを傷つけ続けているのも甘んじて受け入れて。


 そんな生き方をするんですミね?次はきっと、ここの誰かが死にますミ。そのとき兄貴あみきは何もできないんでいいんですミね?


 そして忘れないでください。それは、兄貴あみきが始めたことなんです」


 そう突きつけられた草歩はたじろいで、呼吸もできなくなってしまったかと思った。


 今言われたことは全て事実だ。そして草歩はそれを考えないようにして生きていた。大事に守られて優しくされることには全力で甘えながら、奴隷がその生活を作っていることには目を瞑って、自分の罪悪感を払うように申し訳程度に作業を手伝って言い訳をして過ごしていた。


 それに奴隷解放軍が来た時もそうだ。エリヤさんが強く自分を抱きしめて止めていたら、きっと表に出ていくことはなかった。出て行っても何ができるかなんて一つの勝算もなく、ただいてもたってもいられなかっただけだ。


 炭鉱で奴隷を助けた時だってフロッガに同情したからやっただけで、こんな殺し合いの戦争みたいなことが起こるなんて思ってもいなかった。


 全部運まかせ。全部その場しのぎ。

 でもそうやって考えるのはあまりにも辛いから、目をつぶってみないようにしていた。


 それを刃のように突きつけてくる、自分より小柄なウサギの獣人。草歩に逃げ場がないことを一つ一つ教えてくる。追い詰めてくる。


 自分がこの家から出て行ったって解決にならないこともわかってる。今度何かあった時に、そのせいでエリヤさんやモモナが犠牲になるかもしれない。でも、自分がいたって何もできないかもしれない。


 逃げて責任がなくなるなんてことはもうありえない。


 「やめてくれよ、ピョン。君はどうしてそこまで僕を追い詰めるんだ。僕だって、自分が無力なことが死ぬほど苦しいんだよ。お願いだから、これ以上責めないでくれ」


 出てきたのはそんな情けない言葉だった。唇が痙攣するのを抑えられない。鼻の横の筋肉が変な風に下にさがろうと強張って痛い。僕はきっとものすごく情けない顔をしているんだろう。


 だがピョンの強い目は変わらない。弱さに逃げようとする草歩を許さない。

 「どうしてですミかって?それは簡単ですミ、簡単なたった一つのことですミ」


 そして半歩踏み出して草歩の肩を掴んで、真っ直ぐに自分をむかせると、目と目を合わせ懇願するように言った。


「本当のことを言って欲しいからですミ!!兄貴あみきに胸のうちを全部話してほしいからですミ!!」


 あまりにも強い本音の言葉に、草歩は打ちのめされ全てを話してしまおうかと思う。だけど。


 それでは今まで決めてきたことが無駄になってしまう。だから震える声で、か細い消え入りそうな声で草歩は答えた。


 「全部言ってるよ、ピョン」

 「兄貴あみき!」


 ピョンは怒りを隠して顔を伏せ、掴んでいた手を突き放すと、よろめいた草歩をぐいと睨み上げて指を突き出した。


 「兄貴あみき!いや、天沼草歩!ミーと宣誓しろ!!神前宣誓ゴッズオースで勝負して、ミーを負かしたらもう二度と兄貴あみきには構いませんミ。そのかわり、ミーが勝ったら、思ってること全部話してもらいますミ!!」

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