81・再会
家のドアを開いた草歩が最初に感じたのは匂いだった。
土煙に覆われ視界が霞んだ庭に広がる血と暴力の匂い。肌をビリビリと刺激して全身に警戒を引き起こす鉄と酸の混じったような敵意のオーラ。
あちらこちらで各自が相手に向かって、否定し破壊し傷つけ消し去るために力を振るっている。
そこには恐怖や怒りだけでなく、もっと胸の湧くような興奮の気配もある。
喜び。歓び。悦び。
自分の正義のために他者を攻撃する時の快楽を伴う排他行動。自分が正しいことを証明するための責務とでも言うべき感情に駆られた己への全肯定行動。
どんなちっぽけなことでもいい、人は正義を行うことが気持ちよくてたまらない。愚かな他人に傷つけられた正しい自分を主張することは必要だし絶対的だ。
店員の態度、交通ルール違反、仲間内の秩序を乱す相手、連れない態度、ちょっとした言葉使い。
必要のないルールを設定しそれを破る相手を罰すること。
自分の意図通りの行動がなされなかった時にそれを押し通すこと。
それは個人でも国でも同じだ。
母親が子に、先生が生徒に、生徒グループが一人の子に、上司が部下に、妻が夫に、夫が妻に、企業が個人に、そして大国家が小国家に。
自分が正しいと相手に伝えることが気持ちがいいから、相手を罰するために因縁をつけて暴力を振るう。自分が正義だと証明することは必要不可欠だから、相手が屈服するまでこき下ろして脅しつけて土下座させる。
彼らは最後まで自分が正しいと信じて相手を破滅させるまで拳を振り下ろす。怒りながら、叫びながら、自分が傷つけられたんだと必死に主張しながら、その実、快感に震えているのだ。
どんな目的を持った行動でも、たとえ一見正義のために行われた行動でも、暴力によってなされたものに価値はない。それは暴力に酔った狂人と同じだ。
草歩はそれを知っていた。
奴隷の解放は正しいと思っていたけれど、それがこんな形で行われるのは絶対にダメだ。
自分が行ってもどうにもならないと知っていながら、草歩は争いの渦中に突っ込んでいった。体が自然に動いていた。
フーコーの右腕は牛頭の六角棍を受けそこない上がらなくなっていたが、牛頭の右目と引き換えならば仕方がない。距離感の狂った棍を闇雲に振り回す怒り狂った牛頭は厄介ではあるが戦力としては削ったといえる。
棍を躱しながら周りの様子を伺う。
手下たちは解放軍をさばききれずに固まって防衛に徹しているようだ。戦闘不能にできた人数はこちらの戦力と比べて圧倒的に少ない。
アーキーが主を庇って捌いているが彼女一人であしらいきれる人数ではない。とくにあのカメレオンが厄介だ。鞭のような舌が予測不可能な軌道で襲いかかる。アーキーがついに防ぐ腕をからめ取られたようだ。
応援に向かうか?
刹那の躊躇いが棍に対する意識を奪った。フーコーが身を捻ってかわしたはずの六角棍の突きがありえない角度で伸びてきた。
「ぐうっ」
避けた背をしたたかに打たれて気付く。こいつ、棍を投げやがったのか。
牛頭の力で振り切った殺人的な威力でなかったのは救いだが、鋼鉄の重みで受けたダメージはそれでもフーコーを地面に這わせるのには十分だった。
「ブフー、てこずらせやがって」
牛頭が地面に落ちた棍を拾う。自分に向かってくると思った牛頭はフーコーを無視して丘を上がっていく。目で追うとカメレオンに腕を絡めとられたアーキーが地面に引き倒され他の兵士に押さえつけられている。牛男が向かうのは無防備になった車椅子の男の元だ。
しまった。
体を起こそうとするフーコーを、ゴーレムが踏みつけ抑えつける。
「ぐふううっ、くそ」
「大人しくしていろ」
地面にめり込むほどに踏まれながら必死に視線を向ける。牛男は棍を手に車椅子の前にたどり着く。
「終わりだな、薄汚い奴隷使い」
右目から流れる血を拭って牛男は車椅子の男を見下ろす。男は何も言うことはないというようすでただこちらを見上げている。あきらめたか。
そう思ったとき、車椅子の男の目がわずかに揺らぎ、言葉を発した。
「ひとつ、頼みがある」
「頼みだと?」
「ああ。家族と部下たちのことだ。彼らの無事を保証してほしい」
牛男は鼻をならす。
「ブフー、なんだそんなことか。安心しろ」
男の目に安堵が宿る。牛男は笑う。
「きっちり全員、お前と同じところに送ってやる」
「なっ」
目を見開き、男は自分が口にした弱みを恥じるかのように、そして相手を軽蔑するように睨みつけてくる。それを見て満足した牛男は六角棍を大きく振り上げた。
「死ね」
男が目を閉じる。
その時。
牛男と車椅子の前に、両手を広げた一人の子供が立ちはだかった。殺伐とした場の雰囲気にそぐわない凛とした気配を持つ少年、草歩だ。
そのまま叩き潰すことを躊躇うだけの何かが牛頭の脳を過ぎる。この目。この態度。服装こそ違うがどこかで。
「何をしているんだ、君。君には関係のないことだ。そこをどきなさい」
男は戸惑いを隠せずに少年に声をかける。
「これは私たち貴族と奴隷の問題だ。関係のない君が、命をはる必要はない」
そういう声には身を案じる優しさがあった。
だが草歩は動かない。賭けだったが、目の前のこの獣人には見覚えがあったのだ。赤い牛の獣人。たしか『赤松』というトード親分の一番の子分だったはずだ。僕のことを覚えていてくれたら、もしかしたら。
棍を下ろし、無言で見つめ会う二人。奇妙な時間がしばらくながれる間、後ろから駆け寄ってくる一人の兵士の姿が見える。やがてその兵士は赤松の後ろにたどり着き、その影から草歩の前に姿を現した。
フードをかぶった小柄な兵士だ。赤松は半歩身を引き、彼に場を譲った。その仕草に相手への敬意を感じる。こいつがリーダーだろうか。
その兵士は草歩の前に近寄るとフードを取った。
下から現れた長い耳、ベージュの毛、ピンクの鼻。閉じていた目を開くと、赤く大きな瞳で草歩を見つめている。
「兄貴、やっとミつけた」
そう言ってピョンはにっこり微笑んだ。




