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77・求め

 意味がわからない。


 一体どういう理屈でそのような感情が生まれるのか。夫の間の前で、他人の家に強盗同然に押し込んで、モモナを人質に取りながら。


 この人のふりをした生き物は、私に自分を受け入れて欲しいと訴えている。

 「何を言っているの?」


 今は恐怖よりも嫌悪感が強いのが自分でも驚きだった。命の危機よりも、人は潔癖を求める物なのかもしれない。


 「いいからモモナを返して、家から出て行って。そして改めて話をしにきなさい。そうしたら」

 「あなたはわかっていない」


 オークスの何かを乞うような目に怒りが宿る。傷ついた?


 「あなたはヨフカの妻でありながら、彼とは違い真の貴族です。心のそこから人を区別し無意識に上下をつけることに慣れすぎている。今もそうだ。この状況においてでさえ私に命令しようとしている。


 私はあなたに何か命令をしましたか?ここにきたのはヨフカ君が取り決めに合意してくれたからです。この子を預かったのもただそれを円滑に進めるため。


 ご不満ですか?だからですよ。あなたは決して尋常な手段では、ヨフカ君の高潔さによってなされたこの革新的な『共有』意識に同意しないでしょう。それどころか、その考え方に一瞥もくれず思いを向けることすらない。そして我々を変わらず奴隷の子孫として見るだけです。軽蔑すらしながら。


 だからこうして少し強引な手段を取らせてもらった。傷つける気はない。あくまで、考えて欲しいからですよ。あなたに、私たちのことを」


 オークスの怒りは哀しみをはらみ、痛みと屈辱に燃え続ける胸の奥の熾火を燃え上がらせる。

 「一瞬でもいい。人間として見て欲しいからですよ」


 エリヤはオロオロと首を振る。


 わからない。目の前の存在が何に傷つき、何を私に訴えようとしているのか。脅迫と略奪と冒涜によって伝わることなど恐怖と恨みしかないというのに。


 『人間』として見て欲しい?

 そんなこともわからぬものが、人と呼べるだろうか?


 家のどこかから、男たちのいやらしい笑いとからかうような叫びが唐突に響く。エリヤは息もできないほどの寒気に襲われて激しく身を震わせた。あまりの気分の悪さに思わず耳を押さえる。


 頭が勝手に声の意味を想像してしまう。悪夢だ。これは悪い夢に違いない。


 オークスがモモナを自分の横のソファに寝かせる。そして自由になった両手でエリヤの耳を覆っている手を掴むとぐいと顔を寄せて言う。


 「怖いですか?あれは我が同士たちが己の権利を回復しつつある喜びの声だ。おそれる必要はない。今までの不幸を取り戻す作業には、不慣れなガサツさや慣れない未熟さもあるだろう。だがいずれ洗練されていきますよ。自分が富や権利を持つ、と言うことにね。最初は多少乱暴でも目をつぶっていただきたい。それよりも大切なことをしているのだから。


 震えが止まりませんか?聞きなさい、エリヤ。


 あなたが望むのならば、私はすぐに彼らと共に立ち去りましょう。ここで手にした共有財産もひとまず戻して、多少強引に進めた不備もお詫びしてね。あなたがそうして欲しければ、今すぐにそう彼らに言いましょう。私にはその力がある」


 そして冷たく冷えたエリヤの手を握り締め自分の胸元によせると、今まで見たこともない苦悩に満ちた顔で、喉をつまらせるように言った。


 「だからエリヤ。お願いです。私のことを対等だと認めてください。その美しい顔で蔑みの眼差しを向けられるのは胸が切り裂かれるように辛い。ヨフカと知り合いお会いする様になったあなたの可憐さの目を奪われ心を盗まれれば盗まれるほどに。


 最初から決して変わらないその『貴族』の持つ見下すような、身分の違う人間が永遠に隔たって決して分かち合うことのないことを心根の底から信じ切って、労働者を人見ることのない氷の刃が、私を殺した。


 あなたを夢見れば見るほど、その目に己の生まれや歴史を拒絶され、叶わぬ思いということとは別に自分が価値のない人間だと思わされ、立ち直れないほどに徹底的に私自身を否定された。


 だからお願いです。


 手段は謝りましょう、野蛮さは反省しましょう、怯えさせたことは謝罪します。ただ、今一度きりでもいい。明日からはまた侮蔑の目を、いや、白アリほどにも感じない無関心なガラスの目を向けてくれればいい。


 だから、たった一言。たった一目。


 私を人として、男として、友として、隣人として、同じ世界で生き、同じ権利と自由をもつ対等な存在として認めて私の目を見ながら言ってくれませんか。


 『オークス、愛しています』


 と。

 それだけで私はこの先何があっても生きていける。二度と、あなたにつきまとうことはしないと誓いましょう」


 大きな瞳を潤ませてこの巨大な獣人が自分に懇願している。震える私の手を握りしめていたはずが、今では彼の方が震えている。押さえた興奮に息を荒げ、大きな胸を上下させている。


 エリヤを外から見るもう一人の自分は、ここでどうすべきかわかっていた。

 この暴力と詭弁に満ちた自己愛の塊のようなケダモノが何を求めているか。


 それは愛ではない。それは権利ではない。それは救いや思いやりや肯定や承認ではない。

 ただの逃避だ。


 自分が他人にどう見られているかなんて、自分が作り出した幻想でしかない。オークスは私が手に入らない苛立ちを『生まれ』のせいにして、『自分』から逃げた。『自分』が魅力がない男だということから逃げた挙句に、それを奴隷や貴族や身分や価値感のせいにして、こんな強盗まがいのことまでしでかして、たった一度の美しい愛の告白を手に入れようとしている。


 それは決して『自分』では手に入れられないから。


 頭がよく欲望に忠実で、罪に対して自己便宜が優先する男ならではの悪魔的発想で、全てを『生まれ』にすり替えて私から愛の言葉を引き出そうとしている。


 おそらくこれだけでは済まないだろう。オークスの言葉に真実などない。私の言葉を得たならば、それを理由にさらに次の欲求を叶えようとするだろう。


 でも。


 まだ男たちの笑い声は続いている。下品で怖気のふるうねっとりとした興奮と嘲笑。ああ、ユンカ。それに目の前ではヨフカがぐったりと倒れている。一体何を飲まされたのだろう、この恐ろしい悪鬼たちに。疑うことをしらぬ人の良さと正義感を利用され、悪魔の手中に自分の妻と子と財産をなげだしたという。本当だろうか?


 そしてそう、我が子。そう。モモナ。

 エリヤはゴクリと唾をのむ。


 もう一人の自分はわかっている。言いさえすれば、今は少なくとも収められるだろう。そうしたらパパに言って手を打ってもらえばいい。もうヨフカも反対しないだろう。


 そう。言えばいい。

 『愛しています』と。


 何度も唾を飲むエリヤを、オークスがじっと食い入る様に見つめている。エリヤは覚悟を決めた。そのはずだった。


 だが、実際に言葉として出てきたのは。


 「恥を知りなさい」

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