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76・共有財産

 自分の財産を共有する?


 オークスの言ったセリフの意味がわからずエリヤは頭の中で反芻する。どういう意味?


 「つまりね、ヨフカ君はこの家も、持ち物も金も全て、我々と分かち合うという崇高な理念を共有し、取り決めに参加してくれたのですよ。だからね、奥さん。この家は私たちの家でもあるんです」


 それがさも素晴らしいことでもあるかのように、モモナを抱えたオークスが部屋を歩きながら語る。そして棚の上のものを手に取りながらいう。


 「この銀の燭台も、この琥珀で飾られたタバコ入れも」

 彼がものに触れるたびに、エリヤは自分の大切な何かが汚されるような気持ちの悪さを覚える。


 「この磁器の壺も、金の彫像も、ソファも、カーテンも、絨毯も。この屋敷全てがね。元はと言えばこれらは、我々の祖先が奴隷として働かされた血と汗と涙を集めて作られた富なのです。それをいつまでも貴族の私有財産にしているなど横暴極まりない。今こそ我々に還元し、解放すべきなのです。真の公平のために」


 オークスが壁の飾りだなから、象牙に真珠貝で鳥の繊細な柄の施された柄を持った、金色に煌くナイフを手に取る。


 「あ、やめてください!それは祖父の大切なものです!」

 エリヤの抗議を横目で流したオークスは、ナイフを手で弄びながら悲しそうに首を振る。


 「奥さん、そんなことを言っているとヨフカ君が悲しみますよ?せっかく彼は祖先の犯した過去の罪を精算するための一歩を踏み出したというのに。汚れた富に執着することをやめたというのに。身内にも受け入れられないとは、やはり貴族というのは救いがたい生き物であるらしい。ねえ、ヨフカ君?」


 エリヤはヨフカを見る。目を閉じて浅く息をし、真っ赤な顔をしてびっしょり汗をかいている。普通じゃない、ただ酒に酔っただけとはとても思えない。


 「主人がそんなことを言うとは信じられません!今日はもう帰ってください!そんな話、彼が決められることでもありませんから。いいから早く出て行きなさい!」


 冷静に言おうとしたのだが無理だった。この状況が不安すぎてここにいるだけで心臓がおかしいくらいだ。それにモモナ。モモナを抱えたままナイフを煌めかせるオークスの動きひとつひとつがエリヤの神経に突き刺さる。


 「その子を返しなさい!!早く!!」


 立ち上がろうとしたエリヤを男たちが遮る。ユンカもモモナを人質にとられては動けない。再びソファに沈んだエリヤは顔を両手に埋めた。


 ヨフカ。なぜこんなことに?この悪魔どもを助けようとしていたの?そんなことにあなたの優しさを使っていたの?あなたの底なしの思いやりを。


 エリヤの顔に輝くようなヨフカの笑顔が浮かび、それがオークスによってドス黒く染められていく。


 ああ。なんてこと。

 堪えていた涙がてのひらに溢れた。


 「口の利き方には気をつけて頂きたい。我々は対等な立場なのですから。いつまでたっても支配意識の抜けない、お高く止まった特権階級の女め」


 急にオークスの口調が苛立ちをはらんで叩きつけるような口調に変わる。ただでさえ大きなよく響く声だが、そうやって相手に攻撃的になったときの圧力は肉体的に受けた時と変わらぬ衝撃がある。エリヤは思わずびくりと顔を起こした。


 オークスはユンカに向かっていう。

 「メイドさん、我が同士に屋敷の財産を見せてやってくれないか?変な気は起こさんことだ。この可愛い子のことが心配ならな。君たちもゆっくり見せてもらうといい。自分の家なのだ、遠慮することはない。欲しいものがあったらなんでももらいなさい。ヨフカ君のせっかくの好意なのだから」


 エリヤのそばに座って宥めていたユンカはオークスに顎で合図され、立ち上がってしばらく睨みつけていたが、モモナの上でひらひらとナイフを動かされてはどうしようもなかった。男たちに追われるようにして部屋の扉へむかい、ノブに手をかけてエリヤの方を振り返る。


 「エリヤ様」

 「ユンカ」


 お互いに不安そうな顔を相手に向けるがどうしようもなかった。本当に信じられない。一番安全なはずの家が一瞬にして、獣の巣になってしまった。自分たちはまるで囚われた獲物だ。


 「さあ、ゆっくり案内してもらってきなさい。そうそう」

 と、観念してドアを開けて出て行きかけたユンカにオークスが言う。


 「この家のものは全てが、共有財産だと言うことを忘れないように。例外はありません。それが物だろうが金だろうが、人だろうがね」


 男たちがニタニタと笑う。


 「ゆっくりと楽しんでくるといい」


 押されるようにしてユンカが男たちと廊下に出て、扉が閉まった。


 急に部屋が静まり返ったように感じる。オークスと自分の二人だけ。正確にはヨフカがいるが、彼は意識がない。オークスが黙り込むとパチパチと暖炉の火のはぜる音まで聞こえる。いつの間にか涙は引いていた。代わりに全身が氷に浸かっているように冷たくなっている。


 恐ろしい。人のふりをしたこの化け物が。知恵をつけた邪悪な野獣。

 「さて、奥さん。いや、エリヤ、と呼んでもいいかな?その方がお互い楽だろう?」


 自分の名を呼ばれてエリヤは耳に針金を突っ込まれたような恐怖を感じる。だがすくんでしまって言い返すことができない。


 オークスはナイフを折りたたみ、ジャケットにしまいながらゆっくりとエリヤに近づいてくる。


 「エリヤ。私はね、君のような美しい女性が古くて浅ましい考えに毒されているのが可哀想でならないんだよ。いまだに身分意識に囚われているだろう?やってきた私たちのことを見て軽蔑しただろう?」


 近づいてたオークスはソファに座るエリヤを見下ろすように立つ。近づくと肉体から発せられる力のオーラとでもいううような存在感がより大きくなる。獣人の、人とは異なる骨格に過剰に思えるほどに発達した筋肉が服を押し上げている。丸太のように太い首が、分厚い胸が、毛の生えた腕が、エリヤに息苦しさを感じさせる。


 猛獣の檻の中に入れられたような底知れぬ不安。


 オークスはそんなエリヤの思いを知ってか知らずか、さらに近づき隣に腰を下ろす。岩でも載せたかのようにソファが沈み、苦しそうに軋む。


 「誤解しないで欲しい。私は知って欲しいだけだ。私たちは何も違わないと。貴族も平民も、王も賎民も何も変わらぬただ一個の人間なのだと」


 そしてどっしりと重みのある体をエリヤにぴったりとすり寄せる。あまりにも野生が剥き出しになった肉体の存在感と、見た目に似合わぬ気取った甘いフルーツのような香水の奥にある隠しきれないケモノの匂いに、エリヤは頭がクラクラしてえづきそうになる。


 あまりにも、あまりにも暴力的な生き物としてのエネルギー。それは人に対しては決して感じない原始的な恐れを呼び起こす。


 そしてエリヤの顔をじっと覗き込みながらいう。


 「いいですか、エリヤ。私はそのことをただ知って欲しいだけなんだ、何よりもあなたに。ヨフカの妻であるあなたに。私とあなたに違いはないと言うことを」


 眉骨の立った重たい眼窩に光る大きな双眸が熱っぽくエリヤを見ている。だが、その表情。怒りや威圧に対しては力を発するが、感情の機微を表すのには悲しいくらいに向かないその無表情ともいえる目がつたえてくるものは。


 女のもつ直感による、理屈によらない確信がエリヤの胸にささり、殴られたようなショックで一瞬、本当に心臓が止まった。


 このケダモノは、私に『愛』を伝えている。

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