75・解放同盟
玄関脇の応接間、この家の中でも高級な調度品に飾られた来賓用の一室にユンカはエリヤを案内した。モモナが泣き止まないので胸に抱いたまま部屋に入って、エリヤの背筋に悪寒が走る。
言いようのない気持ちの悪さが、その部屋にいる六人の男たちから発せられている。
「ああ、奥さん。夜分申し訳ありません。旦那さんが酔い潰れてしまったのでね。お連れいたしました」
状況をエリヤが把握する前に、暖炉の前でマントルピースに腕をよりかけながら、まるで自分の家であるかのように棚に置かれた小物を手にパイプをふかしていたオークスが声を発した。
低くよく響き、人を威圧するかのような傲慢さが含まれた声。はちきれそうな肉体をベージュのスーツに包み、ブルーのストライプの蝶ネクタイをつけておしゃれを気取っている。彼を見るたびにその剛毛の生えた顔や腕と合わせ、洋服をきせられた見せ物小屋の野獣を想像してしまう。簡単な算数くらいはできるのだろうが、その内面は欲望を満たすことしか頭にない上部を着飾った畜生を。
ヨフカはソファの上に崩れ落ちるかのように座っていた。顔が赤く、意識が混濁しているようだ。酔っているなどというレベルではない酩酊ぶりにエリヤは慌てて駆け寄る。
「あなた、大丈夫?」
周りを囲むように立っている四人の男達はヨフカを介抱するわけでもなくただ薄笑いを浮かべて突っ立っている。擦り切れたシャツにシワだらけのスボン。髭さえもまともにあたった様子はない。こんな人たちがこの部屋にいることがエリヤには辛抱ならなかった。
「ユンカ!早く彼を見てあげて!あの、みなさまありがとうございました、主人が大変なのでもうお引き取りいただけますか?」
駆け寄ってきたユンカにヨフカをまかせ、苛立ちを隠してエリヤは言った。
だが、男たちは動こうとしない。
鼻をすすり、どこから見つけてきたのか蒸留酒の瓶を手に飲みながら赤い顔でヘラヘラとしている。嫌な汗が背中を伝う。
「まあまあ、奥さん。そう無下になさらんでください」
オークスが落ち着き払った声でいう。エリヤの言葉など関せずゆったりと煙を吐く様子はこの部屋の主人であるかのようだ。彼が手にしてじっと見つめていたのが、自分が結婚式のときに絵描きに書かせた花嫁衣装のポートレートだと知ってエリヤは身震いをした。
その肖像画をマントルピース棚に置いたオークスが振り返ってエリヤを見つめる。思わずモモナを抱きしめる。ネグリジェのうえにガーディガンを羽織っただけでここにきてしまったことを深く後悔していた。
「今日はめでたい日なんですよ。我ら労働者結社『解放同盟』の間で重要な取り決めが成立しましてね。それでちょっと飲みすぎてしまったというわけなんです。なあ?みんな」
オークスの声に男たちはめいめいにうなづく。これから彼が話すことがよからぬことに違いないとエリヤにはわかっているが、それをこの場において多数の意見であり、正しいものであるとするために打った布石だろう。集団としての人の声は、それだけで相手を支配することをこの男はよくしっているのだ。
「だから酔った旦那さんを怒らんでいただきたい。彼も喜んでいるんだから。なにしろこの取り決めができて一番喜んでいたのがこのヨフカ君なんです。誇りに思ってくださって結構ですよ。奥さんもご存知の通り、彼は貴族でありながらこの世界の不平等を嘆くことのできる数少ない男だ。真の解放運動者ですよ、間違いなく。
だから彼は我ら解放同盟の結社員ではないですが、まあ、貴族の立場上不可能ですからな、それでも、毎回のように会合に参加し、建設的な意見を上げ、そして今回成立した取り決めに加わってくれたんです。素晴らしいとおもいませんか?」
身振り手振りを交えながら、エリヤに言葉を挟むすきも与えず朗々と大声で語る様はオークスの一人舞台だった。そして挟まれた沈黙に、エリヤは導かれるように問いを発した。
それが聴きたくない言葉でも、聞かざるをえなかった。そう言わせる何かがオークスの振る舞いにはあった。
「一体、なんの取り決めなんです?」
パイプを一服して、オークスは不意に指をさして言った。
「可愛い子ですね。ちょっと抱かせてもらいなさい」
「え?」
エリヤが戸惑っているうちに、男の一人がなんの予備動作もなくエリヤの腕からモモナを取り上げる。
「何を!!返しなさい!!」
腕を伸ばすエリヤを別の男が押し戻し、モモナを連れた男はオークスのもとに向かう。
「モモナ!!いや!!ユンカ!」
モモナをとられ半狂乱になったエリヤを、男たちが押し阻む。ユンカがエリヤの命令に従って身を翻した瞬間、オークスがいう。モモナのほほに、毛深い指を触れながら。
「動かないでいただこうか、メイドさん。この子を傷つけたくはない」
オークスの指が、モモナを押し潰しそうなほどに太い指が喉元にかかっている。めまいがしてエリヤはその場に崩れ落ちた。ユンカが慌ててそれを支える。そしてソファに座らせた。エリヤは今起こっていることが信じられず呼吸すら難しく感じる。差し出されたユンカの手を握り涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。
パニックになってはいけない。この場を治めないといけない。
ここは自分の家なのに。目の前にはヨフカが前後不覚で真っ赤な顔をしてつぶれている。それを薄汚い男たちが取り囲んでいる。私のモモナ、かわいい天使が、あの獣に、まるで自分が支配者だとでもいうかのようなけむくじゃらの鬼畜に捕らえられている。
いったいなんなの?
ヨフカ、一体あなたは何をしていたの?
「二人とも落ち着いて聞いてください。何も乱暴をしようというわけじゃない。さっきの話の続きをしたいだけです。この子はあくまで、ちょっとした保険です。取り決めが履行されるためのね。いいですか?」
再びオークスの演説が始まった。最初から彼がこの場を支配していたが、今や完全に彼だけのものだ。エリヤにもユンカにも口答えすら許されない。
「ええ、そう。この取り決めは、我ら『解放同盟』の理念に基づいたものです。今までの世界は王や貴族によって支配されてきました。奴隷制がなくなって半世紀立ちますが、いまだ労働者と支配者の格差は埋まりません。なぜか。貴族たちには我らの祖先を搾取して得た莫大な富や既得権益があるからです。
このままでは私たちの子、孫、その子孫までも、その負の連鎖から逃れられないでしょう。そこで私たちはそこから脱するための取り決めを考えました。ゆくゆくはこの意思に賛同する人間を増やし、身分や財産の差のない公平な社会を作ってゆきたいと考えています。
そこのヨフカ君のような、賢い貴族たちの協力を得てね」
エリヤを見るオークスの目が獲物を見据えるケダモノのようにギラギラと輝く。
そしてたっぷりと間をとって、オークスは言った。
「その取り決めとはね。自分の財産を、結社の人間の間で『共有』することです」




