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74・ヨフカ

 草歩にしがみついたまま、エリヤさんは眠るように意識を失った。モモナが心配そうに伺うのを、ユンカが笑顔で大丈夫です、と落ち着かせる。


 横になったエリヤさんをモモナが見ている。

 草歩がドアの外に出るとユンカが後ろからついてきた。廊下にでて扉を閉め、ユンカは口を開いた。


 「どこへ行かれるのですか?私はエリヤ様よりあなたの安全を命令されています。部屋に戻っていただけませんか?」


 そして草歩の腕に手をかけて寂しげに見る。

 「できれば無理強いはしたくありません」


 力づくでも行かせないということだろうか?草歩も、自分が行ったところでどうにかなると本気で思っているわけではない。でもなにもせずにはいられないというだけだ。


 引っ張ってでも閉じ込められるなら、その方が気が楽かもしれない。守られるただの子供として。


 と、家の外で怒号が上がる。悲鳴や掛け声、打撃音、金属音。

 何かが始まってしまった。


 家を揺らすような地響きも断続的起こる。ユンカは草歩の腕を掴む手に力を込める。

 「ああああああっ」


 扉の奥からエリヤさんの悲鳴が上がった。苦痛に満ちた顔を見せたユンカは草歩の腕を離した。

 「あなたがどういう意図なのかは知りません。でもあなたを信じます。できることなら、エリヤ様とモモナ様をお守りください」


 草歩に向かって深く頭を下げると、ユンカは部屋の中へ戻っていった。

 草歩は階段を駆け下りる。



 男に向かって振り下ろされた牛頭の六角棍を男の後ろに立っていたフーコーが手刀で叩き軌道を逸らす。


 「ドズウウウン」


 地鳴りをあげ男の車椅子のわずか30センチのところに叩き付けられた。乾いた地面からはもうもうと土煙がまい、フーコーと牛頭は相手の目をその煙の中で見据える。


 牛頭が体勢を整える前にフーコーが男越しに飛び上がって蹴りを放ち、胸に受けた牛男はのけぞり追撃をくらって後退した。フーコーはそのまま牛頭を近づかせないように蹴りを放ちながら追い込んでゆく。


 フーコーからは離れた男を守るようにメイドのアーキーがすかさず近寄る。牛頭の脇を抜けて両側から迫ってきていた二人の解放軍の槍、それを上げた片足でまとめてからめて受け止め、横なぎに払いバランスを崩させた。


 だが土煙の向こうからさらに男に向い、大柄な岩の体をした岩人が迫る。「ゴオおあ!!」


 アーキーは男の車いすの持ち手をつかみ、

 「失礼いたします」


 と男に詫びを入れた後、車椅子をくるりと回転させてその場にふりおろされた槌の一撃をかわした。割れそうなほどに地面が揺れ炸裂した砂塵をエプロンで庇いながら男とアーキーは優雅に舞うように主戦場を避ける。


 フーコーの手下達も男を守るため他の解放軍と戦っている。フーコーが牛頭を抑えるのに必死な以上、アーキーが男のケアに回らねばならぬ以上、手下の働きがこの場を制するだろう。


 だが多勢に無勢だ。奴隷たちに命令して戦わせることもできるが、それをしたくはなかった。彼らは労働力で、戦士ではないからだ。奴隷たちは命を日々、労働において張ってくれている。いざというときに守るのは上に立つものの仕事だ。


 アーキーに身をまもられながら男は己の身の無力さに奥歯を噛み締める。

 この輩ども。愚劣で蒙昧、人生の不満を全て他人のせいにして自由の責を介せぬ野蛮人。奪うこと汚すこと貶めることだけを喜びとして生きる獣以下の悪辣なる徒。


 己らに自由など必要ない。

 ああ、俺の体が自由であったなら。あの時のように。


 四肢を引き裂きはらわたを引き摺り出し脳髄を叩き潰して存在をこの世から消しさってやるのだが。

 ヨフカを奪ったあいつらのように。


 そう、ヨフカと最後に交わしたのはどんな会話だったか。



 「負けました。さすがお強い」

 屈託のない笑顔で盤の向こうのヨフカが敗北を告げる。栗色の短い髪に手をやって撫で付けている。


 いい男だが、勝負事に頓着がない。人に勝つことにハングリーに慣れず、相手の立場を考える男だった。私はそんな彼が不満だったが、心から信頼していた。今なら強く言えるのだが。


 人を思いやることは何の力にもならない、と。もっと相手を倒すこと、自分の利益を追求することを追い求めろ、と。


 だがそんなヨフカが私は好きだったのだ。いがみ合いと闘争の現実から心を解放してくれるから。


 「次はもっと上手く手を抜くんだな」

 そう、私はそう言ったのだ。ヨフカは肩を竦めていた。


 だが次はなかった。



 エリヤの耳に破壊の衝動に囚われた男達の、背徳的な喜びに満ちた叫声が響く。つよく耳を押さえ、自分の叫びでかき消そうと必死に大声を上げて追い払っても欲望と悪意に歪んだ、ドロドロと脳に染み込んでくるように本能的に吐き気を催す声は遮ることができない。


 ユンカが自分の体をさすっているのがわかる。モモナが私に怯えているのもわかる。でも、今はそれは遠く隔たれた昔の記憶のようだ。


 それよりも目の前にありありと浮かび上がろうとしているのは。


 手に取るように、鼻腔に薫るかのように。生々しく浮かび上がるのはヨフカの顔。声。肌触り。ほんのりと粉のように香る汗の匂い。私の心をいつでも晴れやかにしてくれたからりとした笑い声。



 「今日も行くの?」

 夕食を終えたエリヤはモモナをユンカから受け取りながらヨフカに声をかけた。多分、ちょっと苛立ちが入っていたと思う。でもそれを隠す気にならない。


 「このところ毎日じゃない。そんなに大事なの?その農夫との集まりって。あなたがやることじゃないってパパも言ってるわよ」


 ヨフカはネクタイを結び直しながら困ったように笑っている。

 「はは。今は経営者も労働者の話を聞かないといけない時代なんだよ。今日の集まりは前々から決まっていてね。向こうの代表のオークスもくるんだよ。すまん」


 オークス。思い出してエリヤは身震いをする。毛むくじゃらで大柄な、牙の生えたみにくい獣人。そのくせ喋り方は横柄で、自分を偉いと思い込んでいる。それに私を見る、あの目。


 「私、あの人たちあんまり好きじゃないわ。笑い方も喋りかたも下品だし、媚びてるかのようにオドオドしてたかと思えば妙に威張り散らして話し出すし。それに汚いし」


 ヨフカがエリヤに近づき腕を肩に回す。

 「そんなことを言っちゃいけないよ。僕らと彼らは何も変わらない。もしかしたら僕が向こう側だった可能性もあるんだよ?奥さん?」


 「やめて、もう。ねえ、あの人たちみたいにならないでよ本当に」


 「彼らはずっと苦労してきたんだ。そこをわかってあげなくちゃいけない。昔から貴族が搾取してきたからね。これからは援助して学をつけてもらって、それでやる気を出してもらって、専門能力を付けてもらったり効率的な手法を覚えてもらって僕たちの仕事を手伝ってもらう、そういうやり方が必要なんだよ。


 貴族も平民も変わらないんだ。皆同じ一人の人間さ。だから表向きの見た目や態度で判断しちゃいけない。ただ恵まれていないだけなんだから」


 エリヤには難しいことはわからない。でもヨフカの熱意はわかっていた。彼は誰に対しても優しい。私にも、ユンカたちメイドにも、それに奴隷、じゃなくて労働者たちにも。


 「ねえ、今日はパパが出かけてるのしってるでしょ?早く帰ってきてね」

 不安そうなエリヤに反応するように、モモナもぐずり出した。


 「おやおや、モモナも寂しいか。うん、わかったよ。なるべく早くかえるから」

 モモナにキスをしたあと、ヨフカはエリヤにもキスをした。冷たく尖った唇の感触。


 あれが最後のキスになるのだったら、もっとちゃんとしておくんだった、とエリヤは何度となくそう思った。


 なかなか帰らないヨフカは心配だったが、モモナを寝かしつけたエリヤは部屋でうつらうつらしていたが、突然叩きつけるように激しくならされたドアの音で目をさました。


 大きな声が何かを叫んでいる。それにいやらしい笑い声。

 メイドのユンカが応対したようだった。ガヤガヤと耳障りな喧騒が家に入ってくる。何事だろう?


 目を覚ましたモモナを胸に抱いてあやしながら、不安を胸にうかがっていると、ドアがノックされユンカが呼びにきた。


 「ヨフカさまが戻られまして、エリヤ様をお呼びするように、と」


 どうしてこんなに胸騒ぎがするんだろう?それを隠すようにモモナをゆっくりとゆすりながらエリヤは答えた。

 「わかったわ、すぐ行くから」

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