73・対立
男は思う。
私が病の身でなければ、こんな無礼で傲慢な人のものを権利の名の下に強奪する野蛮人どもなど一蹴してやるのだが。力づくでねじ伏せて晒し者にしてやるか、殊勝な態度で命乞いをするならば奴隷にしてやってもよい。
だが歳と病気には勝てん。今では立ち上がることさえも命をすり減らすような重労働だ。もしあいつが、ヨフカがいてくれたら。
男は牛頭の獣人を見据えたまま思う。せめて私が生きている間だけは、エリヤとモモナが露頭に迷う姿は見たくない。たとえ何があったとしても、こいつらに我が家の財産を奪わせはしないと誓おう。草木一本、奴隷一人たりとも。
だがこんな時に思うのが、ヨフカのことだとは。あの少年が来てからというもの、妙にヨフカのことが思い出される。
男はそれを己の弱さからと判断し、ふっと短く息を吐いて追い払う。
「解放だと?略奪の間違いだろう?さっさと立ち去るんだな。ここにはお前たちが思うような解放をのぞむものは誰もいない。奴隷から解放されてこの土地で放り出されても野垂れ死ぬだけだ。我々は厳しい冬を生き抜く一個の家族、それだけだ」
男のセリフにボロ布の集団から嘲笑が起こる。馬鹿にしたようなニヤニヤした笑いだ。それはとても奴隷解放という理念を旨とした集団とは思えぬ下品さだった。
牛頭が鼻息を上げながら笑う。
「ブフー、そりゃああんたにとってはそうだろうさ。奴隷なんて自分たち女王アリのために餌を運び続ける働きアリの群れ。自分がいなきゃなにもできないボンクラにしか思ってねえんだろうが、心配ご無用よ。何もお前さんがたから解放しようってのは奴隷だけじゃあねえんだ。奴隷たちが必死に汗水流して稼いだ取り分もよ、解放してもらおうじゃあねえか。え?貴族さんよ。
人の人生をモノみてえに扱って、てめえの好きなように搾り取りやがって。それでその上に胡座あかいて、いいもん食ってでけえ家に住んで、くその役にもたたねえピカピカした服や飾りもんなんかに変えやがってよ。
てめえは人の命すするヒルよ。でっぷりふとった醜い吸血鬼。そのはらわたあかっさばいて細切れにしてみんなに分けたっててめえの罪が許されるわけじゃあねえが、それでも少しや人様のやくに立てるんだ」
牛頭は半歩前に踏み出して見得を切る。
「わかったらとっとと明け渡しねえ、それが今までの悪行に対する、あ、当然の報いってもんよ。なあ、おまえら!」
旗を持ったカメレオンを中心に、ボロ布集団がおおおーー!!!と雄叫びをあげる。腕を突き上げ、手に持った武器を振りかざす。今にも爆発しそうな抑えきれない興奮に包まれて。
その声、正義の名の下の喜びに包まれた、暴力の予感を孕んだ怒号は草歩たちのいる部屋にまで届いてきた。
「ああああっ」
エリヤさんは耳を押さえて叫び、モモナと草歩を両腕に抱き抱えるとその場にうずくまった。ほとんと頭をくっつけるようにして、鳥が羽のしたに子を隠すように。エリヤさんはモモナの頭を頬に押し付けているが、その目から流れる涙が額を濡らし、モモナは怯えたように母の顔を伺った。
二人を抱く腕が震え続けている。
「コンコンコン」
と、突然ドアがノックされ、エリヤさんの体が冷たく強張る。ただでさえ白かった顔が蒼にまで沈んで突然力が抜けると二人に覆いかぶさるようにだらりとつぶれた。
「ママ!!ママ!!」
モモナが母の突然の変化にしがみついて叫ぶ。草歩は慌てて自分の方に腕をまわし寄りかかるように崩れたエリヤさんの姿勢を戻し様子を伺う。
長い髪がほつれて顔にかかっているのを手で払う。目は半分開かれ、うつろだが意識はあるうようだ。呼吸が糸のように細く、半開きの口元には力がない。極度の緊張による貧血だろうか?
「エリヤ様、どうされました?声が聞こえたのでお伺いしたのですが。大丈夫ですか?モモナ様?」
扉の向こうにはメイドが来ていたようだ。
「ユンカ!!ママが!たすけて!!」
モモナがメイドのユンカに向かって叫ぶ。ガチャガチャとドアノブを動かす音が聞こえるが、エリヤさんが寄りかかっているので扉は開かない。
「開けてください。エリヤ様、エリヤ様!」
中の様子がわからないユンカも必死なようだ。草歩は母にしがみついて離れないモモナの頭を撫でる。顔を上げたモモナに安心させるように力強くうなづくと、身振りでエリヤさんをドアから動かすように示した。モモナの協力を得て、なんとかエリヤさんをドアから少し離すことができた。
草歩はモモナのベッドから毛布と枕を持ってくると、エリヤさんをその上に横たえた。開いたドアの隙間からユンカが顔をのぞかせ、慌てて部屋に入ってくる。
「エリヤ様!エリヤ様!」
ユンカがエリヤさんの様子を確認し、脈や息を確かめたあとほっとしたような顔でモモナに、
「モモナ様、大丈夫です。ショックで意識が朦朧としたみたいですが、脈や呼吸に異常はありません。おやすみになれば、回復されますよ」
といって微笑んだ。モモナもそれを聞いてうなづいている。胸の前で手を握り締めている。
ユンカがエリヤさんをベッドへ運び、毛布をかけた。
草歩はそれを見守ってから、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。その時。
「ダメよ!!行ってはダメ!!!!」
今まで虚空を見つめていたはずのエリヤさんが機械のスイッチを入れたかのように突然身を起こし草歩にしがみつこうとせんばかりに腕を伸ばしベッドから落ちそうになって叫んだ。
ユンカが慌てて抱きとめるが、ものすごい力で草歩に向かって腕を突き出す。
「行かないで!!!」
青ざめた顔に目だけが赤く充血している。普段の温厚な様子からは考えられないほどの取り乱しぶりに草歩は慌てて彼女の下に戻った。
エリヤさんは草歩の体を鷲掴みにして引き寄せ痛いほどに抱きしめる。草歩の顔に頬擦りをしながら何かを呟いている。
「ヨフカ、ヨフカ。ああ、行っちゃダメ。あんな人たちのところに行かせないわ。ヨフカ、ああ。愛しいあなた」
やがて涙が彼女の頬を伝わり、言葉は意味をなくしてゆく。草歩はそのやけどするほどに熱い涙を肌で感じながら、細い指が自分に食い込むようにしがみつくのを感じながら、エリヤさんが思う誰かのことを考えた。
そしてこんなにも愛されているその誰かが羨ましいと思った。
男は下びた畜生どもに向かっていう。
「帰れ、正義なき蛮族どものおどしに屈するような私だと思うか。何かが欲しくば、相応の見返りとともに『皇棋』で宣誓決闘しようではないか。その勇気もないか!」
体が動かなくとも、皇棋ならば対等に戦える。今でも頭だけはしっかりとしている。
「ブフフー、皇棋ねえ」
牛頭がめんどうくさそうに顎をかく。
「『宣誓』して奴隷を解放するにゃあ、人数に等しい『果たし』を賭けにゃあならんからなあ。それに、うちの親分が昔、奴隷商人に情けをかけて『神前宣誓』したばっかりに、まんまと奴隷の身に落とされて痛い目をみてるんでねえ、ブフフー」
そしてマントの下に隠していた鋼鉄の六角棍を取り出した。
「どすり」
と重たい音を立てて先端を地面につく。建物の柱ほどの太さもあろうかという太さのそれは今まで吸った相手の血で所々赤黒く染まっている。
「てめえが死んで、奴隷が解放されるのが一番手っ取り早いんだよなあ」
空気が変わり、奴隷解放の集団はその本性を表した。血と復讐と略奪に飢えた無法者の集団の。




