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72・奴隷解放戦線

 数週間の時が流れて、草歩はこの生活に慣れていった。


 毎日やることがたくさんあるし、モモナやエリヤさん、男やフーコー、農場の奴隷やメイドたちなどと付き合うことで気も紛れた。


 眠れぬ夜にふとおもいだす、胸に魚の小骨のように引っかかった鈍い痛みも、日を重ねるうちに自然と消えていった。


 自分がどうしたいかも考えなかった。ともかく、日々を安全に、人に迷惑をかけず過ごせればそれでよかった。


 目の前にいる誰かが、自分がいることで少しでも喜んでくれることで草歩は満足していたのだ。


 

 だが、いくら偽りの安寧に身を隠しても、世界は動き続けている。


 草歩が自分でもたらした、ジュキを頂点とした『負』に安定した社会構造に打ち込まれた『正』の電荷は、確実に構成要素たる人の意識に変化を与えていた。


 小さいけれども改革の波は着実に動き出していたのだ。


 知らせを持って慌てて駆け込んできたのはフーコーだった。食事中の草歩たち四人に近づき、男の耳元に何かを告げる。


 顔を曇らせた男はすぐに車椅子を動かし席をはずそうとした。


 「何があったんです?」


 エリヤさんが部屋を出ようとする男に尋ねる。男は止まって振り返ると、

 「心配せんでいい。お前たちは部屋に居なさい。外にでるんじゃないぞ」


 とだけいい入り口へ急ぐ。だがエリヤさんは納得せず、男の後をいうフーコーに向かって強く尋ねた。 

「何があったの、フーコー。答えなさい、命令です」


 立ち止まったフーコーはエリヤさんを見て、戸惑ったように男を見る。やはりフーコーの直接の主人は男のようだ。エリヤさんの命令に従うべきか男に尋ねているようにみえる。険しい顔のエリヤさんを見て、男はため息をつくと指で手招きした。


 エリヤさんが素早く近づいて神妙に何かを聞いていたが、小さく叫び声を上げると石のように固まった。今まで見たこともない青ざめた表情だ。男はエリヤさんの腕に手をあて、宥めるようにさする。


 男とフーコーが立ち去ったあともエリヤさんはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて能面のような顔で戻ってくると椅子に座り直した。


 「ママ、どうしたの?」

 モモナが戸惑ったようにたずねる。聞こえたのか聞こえないのか、怖いくらいに目の前の一点を見つめていたが、やがて作った笑みをモモナに向けて、


 「さあ、早くたべちゃいなさい。ね」

 と言って草歩にもそのぎこちない笑顔を向けた。


 食事がおわるとエリヤさんは屋敷の二階に二人を連れていった。ただ連れてゆくのではなく、腕を掴んで引っ張っていった。一人のメイドがその後ろに付き従い、階段の下でまるでそこを防衛するかのように身構えて待機する。


 階段を上り切った先の二階の廊下の窓から、家の正面の様子がちらりと見えた。男とフーコーが庭の入り口に向かっている。その道を降った先から、ボロ布をマントのように纏った薄汚い集団が丘の上に向かってくるのが見える。


 一人が長い棒につけられた布をのぼりのようにして掲げている。

 その布に、マークが書いてあった。


 「早く!」


 立ち止まる草歩の腕をぐいと引いてエリヤさんが部屋へと押し込める。そこは今まで入ったことのなかった部屋だが、作りからしてモモナの子供部屋のようだ。そのピンクを基調とした可愛らしい部屋に二人と入ったエリヤさんは、ドアを閉めるとそのままその場にへたり込んだ。


 「ママ、どうしたの?ねえ。さっきから大丈夫?」


 モモナがエリヤさんに寄り添い心配そうに声をかける。草歩も彼女があまりに辛そうで、隣に膝をつき腕を撫でた。


 肌に鳥肌がたち、微かに震えている。やがてエリヤさんは二人に腕を回して強く抱きしめるといった。


 「大丈夫。パパがなんとかしてくれるから。ここにいれば大丈夫」


 草歩はさっき窓から見たのぼりのマークを思い出す。

 非常にシンプルだった。上下の潰れた横長の平たい円に、大きくバッテンが描かれている。ただそれだけだ。


 だが、この世界でその意味は明白だった。


 円が象徴するものは『奴隷の首輪』。奴隷解放運動が、ここまでやってきたのだ。


 草歩は本能的に、自分がいかなければ何か間違いが起こるかもしれないと思った。きっと良くないことが。


 抱きしめるエリヤさんの腕をほどくと、ドアを塞ぐ形になっている彼女に向かって外に行きたいと身振りで示す。


 それを見て目を見開いた顔には恐怖が浮かんでいる。エリヤさんは強く首を振った。

 「だめよ。危険なの、あそびじゃないのよ。絶対に行かせない」


 草歩はじっと彼女の目を見つめる。自分を守ってくれ、今も必死に守ろうとしてくれているエリヤさんの青い瞳を。


 「そんなふうに見ないで。あなたががんこなのは知ってるわ。でも今日だけはだめ。言ったでしょ?私は私のためにあなたを助けたの。あなたのためじゃない。あなたのような男の子、奴隷でも貴族でもない男の子が、この世界と関係ないように見えるかわいい男の子がモモナと一緒にいてくれたらどんなにいいか。そう思ったから。だから行かせないわ」


 エリヤさんが草歩の手を掴んでいる。痛いくらいに握り締めて。


 「そうよ、あなたが私が思うよりずっと強くていい子なのは知ってる。でも、あんな人たちのために命をなげだすような馬鹿なことは絶対に許さない。パパに任せておけばいいの、フーコーに任せておけばいいの。あんな、奴隷なんかに、心を許したらだめ。裏切られて最後には」


 エリヤさんは言葉をつまらせ、喉を鳴らす。いつの間にか目頭に溜まっていた涙が、


 「あの人みたいに」

 という言葉と共にはらりと落ちた。

 


 フーコーは目の前に迫るボロ布の集団を見つめた。


 ざっと戦力を計算しても、自分たちと五分といったところだろう。もともと俺たちは外部の勢力との対決を想定していない。あくまで労働者の抑制や脅迫、場合によっては暗殺が任務だ。戦争向きじゃない。メイドのユンカがエリヤさんたちを守らねばならないのも辛い。彼女は自分に次ぐ戦力だ。


 奴隷制が復活してからは農場仕事を主としていたので腕がなまっているのもあるだろう。自分の後ろにはメイドのアーキーと五人の手下のみ。


 相手が力を誇示してくるなら、戦力順に叩く必要がある。

 一番は先頭にいる牛男か。


 やがて集団は庭と道を仕切る門の手前で立ち止まった。男と牛男が、木の柵越しに睨み合う。


 「ブフー、お前がここの奴隷管理人か」

 牛男が赤ら顔から大きな鼻息を吐いて低く唸った。


 「ああ。私がこの農場主だ。何用だ?」


 男は車椅子の上で背すじをのばし、堂々とした冷たい眼光と飛ばす。病でやつれているとは思えない迫力が身から醸し出される。


 「ここの奴隷を解放しにきた」


 牛男がそういうと、その後ろで旗を持っていたカメレオンが威勢よくそれを地面に突き立てた。首輪を否定するシンボルの描かれた旗が、丘をふく冷たい風にはためいた。

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