70・搾取と安寧
食後、少しモモナと遊んだ草歩は、すっかり眠くなったモモナを抱え上げてエリヤさんが出ていったあと、リビングに残された。
草歩は遊んでいたソファーから振り返り、暖炉のそばでパイプを吹かしている男を見る。骨張った手を時々すり合わせながら、炎をぼんやりと見つめている。
視線に気づいた男のか、男が草歩をちらりと見て目があう。慌てて逸らす草歩。軽い咳払いの音がしたあと、男がいった。
「君。少し庭へ出たいんだがね、押してくれないか?」
言葉はお願いに聞こえるが、その声には人にものを命令し慣れている有無をいわさぬ圧力がある。
それに草歩はご馳走になったり看病してもらってばかりで、ここにきて何かを頼まれたのは初めてだったので、少しでも役にたてればと喜んでそれに従った。
男の後ろに回って車椅子のハンドルを持って転がす。とても精巧にできているようで草歩の力でも楽に押すことができた。
「入り口からでて、そう。左へ曲がってくれたまえ」
男に言われてリビングを出て廊下を進んでゆくと、ガラス窓のついた大きな扉があった。窓の外はすでに日が落ちている。真っ暗とまではいかないが、見える空には宵の入り口の藍色が広がる。
扉を開けると柵に囲まれた広いテラスがあった。家は森の中のなだらかな丘の上に建っているようで、テラスからは周囲の景色がよく見える。男をテラスの柵の近くまで連れてゆくと、そこからは家の正面の様子も見えた。
正面からひろい庭を抜けて道を降った先は、大きな農場になっているようだった。
日が暮れて、その農場にはところどころ松明による明かりが灯されている。そして灯りに照らされた区画の中に、大勢の人間が働いているのが見えた。
もうすっかり日暮れだというのに。
水を運び、土を耕し、草をむしり、苗をうえ、黙々と働く人々のすがた。
奴隷に違いない。胸が締めつけられる思いで草歩はそれを見た。
男は草歩に柵に寄るようにいう。そして自分の隣に立った草歩を伺うように話し始めた。
「今は冬に備えての収穫と雪越しの作物の植え付けで忙しくてね。だが、奴隷たちはこうして文句も言わずきっちりと仕事をこなしてくれる。私はこの光景を見るのが好きなんだ。余計なことを考えずとも、命令して最低限の衣食住さえあてがっておけば計算どうりに物事が進んでいく様子がね。
この制度が廃止される前、私の祖父の時代になるが、ちょうどこんな感じだったのだろう。
この家も財産の基礎も、その時代に築きあげたものだ。奴隷制度が廃止されてからは、父は稼ぐのには苦労したよ。慣れない労働者との交渉や競争相手との価格戦争。こちらが仕事を与え土地を貸しているというのに、より有利な条件を引出そうと徒党を組む奴らもいてね。そして父が持つ財産は人々に公平に分け与えられるべきだと言い始め、自分たちの物でもない富にまで権利を主張し奪い取ろうとする集団まで現れたんだ。
子供の私には恐怖でしかなかったよ。使用人も信用できず、いつ家族が襲われるかわからないと父はいつでも武装をしていた。恐ろしいものだよな、『権利』というのは。現実を歪める力を持っている。本当は自分とは縁のないものまで自分のために使われるべきだと、あの時の奴らは本気で考えているようだった。他人の富を奪って貧しい存在に配ることが正義だとね。
最終的には脅迫や殺人までして逆らう声を黙らせて父は自分の立場を維持したものだ。立派だったと思う。あの恐怖と暴力に屈しなかったんだから。それをもみ消すために大量に金が必要で結局いくら働いても儲けにはならなかったがね。かく言う私も、ここをついだ時に父と同じように彼らに苦しめられてきたがね。思えば私は甘かった。『権利』を信じてさえもいたんだ。労働者とうまくやれるかもしれないとまでね。だがそのために必要のない犠牲まで払ってしまった」
男は一瞬顔をしかめた。草歩が見たのに気づくと何事もなかったかのように庭を見下ろしたまま言葉を続ける。
「5年前に奴隷制度が復活して、私は幸運だった。今は幸せだよ。きっと彼らにとってもね。争いあう必要もないし、対立する意見を巡って神経をすり減らす必要もない。稼いだらそれを奴隷たちに少しは還元してやることもできるだろう。これでまたこの家を維持できる。モモナには苦労をさせずにすみそうだ」
草歩は農場を見下ろしながら、柵に載せた手を握りしめる。一体この人はどうしてこんな話を自分にするのだろうか?
「最近、鉱山からたくさんの奴隷たちが逃げ出したという話を耳にしてね。ここからはずいぶん離れているから気にしてもいなかったんだが、聞けばここからそう遠くないところでも、逃げた奴隷たちの一団が目撃されたというじゃないか」
そうか、あの鉱山の話は周りにも広がっているんだ。あれだけの事件だったら当然か。だが考えると自然にトー伯斎師匠のことが浮かんでしまう。草歩はそれを追い出すように頭を振った。
男が草歩をじっと見ている。
「君は一体どこからきたんだ?」
男が聞く。
「ただの子供じゃなさそうだ。それに、逃げてきた奴隷って雰囲気でもないしな。こっちを見なさい」
男に言われ、草歩は相手を見つめ返した。落ち窪んだ眼窩に光る双眸が、全てを見透かそうと草歩を貫いている。
「逃げた彼らは、奴隷の解放運動とやらも始めたそうだよ。迷惑な話だ。奴隷の『権利』を守ると言いながら、雇い主の『権利』はどうでもいいらしい。とんだ詭弁だ」
そうか、きっとトードの親分たちだ。うまく逃げれたんだ。ほっとする気持ちと、いいようのない後悔に胸を引き裂かれるようで草歩の瞳は揺らぐ。草歩の反応を見逃すまいと射竦める男の視線に耐えられない。
男が核心をついた。
「君は何かしらないか?それを聞いて何か思わないか?」
思わず拳に力が入る。掌の汗を隠すように。喉が無性に乾いて、唾を飲むと痛みが走った。
草歩は首を振った。僕は、もう。僕は違う。
その仕草を見て、男は気を抜いたように息を吐く。
「ふん、私の見間違いだったか?これでも相手の値踏みにかけては自信があるんだがな。まあいい」
男は自分で車椅子を動かして向きを変え建物に戻ってゆく。
「少し、冷えてきたな。戻ろう」
男に続いて草歩は廊下にもどり、そこに待っていた男の車椅子の背もたれの持ち手を自然にもって押し始めた。
「モモナも君のことを気に入っているようだしな。私もエリヤも刺激がなくて退屈していたところだ。君さえよければすきなだけここにいるといい」
草歩に向かって、背中越しに男はそう言った。
よく朝、早く起きた草歩は白い息を吐きながら庭にでた。
毎朝布団の中でまどろみながら小さく聞こえていた音が、庭にでると気持ちよく当たりに響いている。草歩は音のする方に向かって近づいてゆく。
そこにはフーコーが、体から湯気を立てながら斧を振るう姿があった。山のように積まれた丸太を割って薪にしているのだ。大きな暖炉を燃やしているので、毎日かなりの量の薪割りが必要なようだった。
草歩はフーコーに近づく。
気づいたフーコーが手を止めて笑顔で言った。
「やあ、おはよう。起こしてしまったかな?危ないから近寄らないでくれな」
だが草歩はツカツカとフーコーに近寄ると、両手を差し出した。けげんそうに見ていたフーコーだが、あ、と気づいた。
「もしかして、これやりたいの?」
草歩はうなづく。「遊びじゃないんだけどな」と困っていたフーコーだったが、草歩の真剣な顔を見て斧を渡してきた。
「じゃあ、続きをやってくれ」
フーコーが言葉遣いを変えて草歩にいう。草歩は重い斧を握りしめると、少しよろつきながら振り上げて木に向かって振り下ろす。斧は当たりもせずにヘナチョコな軌道で台を叩いた。
フーコーは腕組みをして見つめている。草歩は再び斧を振り上げ、振り下ろす。今度は当たったが、木のてっぺんにちょっと刺さっただけで割れなかった。その後も何度も何度も草歩は繰り返した。なかなか木は割れないが、フーコーはじっと見つめている。
息を荒げ額からは汗がしたたり始めた。久しぶりに体を動かしたせいで全身がもうだるい。それに斧の柄を握る手の皮がすりむけそうに痛い。
草歩はもう一度、今までの動きを思い出して一番うまくいきそうだった角度に斧を振り上げる。
そして目の前の木に向かって思い切り振り下ろした。
「バカン」
とあまりいい音ではなかったけれど、丸太が割れた。フーコーが作っていたような三角形の立派な薪ではなくて、端っこの方が割れて細くて斜めになっていたけれど。
「よし、次」
草歩がやりだして初めてフーコーが声をあげると、草歩に近づき後ろから肩越しに斧を掴んだ。草歩に持ち方を説明しながら、手伝いながら薪を割ってゆく。
息をはあはあ上げながら、湯気を体からたてながら、草歩はただ、前にある木に向かって全身で思い切り斧をふりおろし続けた。
モヤモヤが完全に吹き飛んで、頭が真っ白になるまで。




