69・コケモモのパイ
モモナのお母さんに連れられて廊下を歩いてリビングに向かう。
廊下は広くて、高級そうな絨毯や絵が飾られていた。それに建物に使われている木の色が深い赤みを帯びた茶色で、磨かれてピカピカ光りとても綺麗だ。
リビングの大きな一枚板を使った両開きのドアから中に入ると、あまりの立派さに圧倒されそうになった。ここが家だろうか?教会や学校と言われてもおかしくない。一番近いのは結婚式なんかで使う披露宴会場だろうか。見上げるほど高い天井の中央から立派なシャンデリアが下がっていけれど、多分その高さだけでも草歩の身長くらいはあるだろう。
奥に暖炉が燃えている。石造りの煙突を持った巨大な暖炉だ。その上には狩りの獲物の首がいくつかかかっていて、いかにも金持ちという雰囲気だ。鹿や熊などに混じって、猪みたいなゴリラみたいな醜い獣がいるのが目についた。他の動物と違ってその顔は恐怖が焼き付いているように見える。
部屋の片側は20人も座れそうなほどの長さのテーブルがあった。木の椅子は背もたれの上が尖っていて、複雑な柄が掘り込んである。見るからに高そうなそんな椅子がテーブルを囲むようにずらっ並ぶ。
反対のほうにはソファとローテーブル、本棚やお酒のグラスが並んだ棚があって、寛げるようになっていた。
「わあ、王子様見たいだね!」
モモナが駆け寄ってくる。今日は大きなブルーのリボンに空色のワンピースで草歩とお揃いの色だ。草歩はちょっと恥ずかしかったが、モモナが草歩の手をとって嬉しそうに飛び跳ねるので笑顔で返した。
「さあ、食事にしましょうか」
モモナのお母さんがそう言って草歩をテーブルのほうに案内する。そして暖炉の近くの窓に向かった、テーブルの長い側の一番端の椅子を引く。草歩はとまどいながらもその椅子に腰を下ろした。
目の前には真っ白で縁にデザインの入ったお皿と、その両脇にスプーンやフォーク、ナイフなんかがいくつも並んでいる。これって、レストランのコースの時のじゃないのかな?
お腹は空いているしいい匂いもして食事を楽しみにしていたけれど、急に緊張してきてしまった。
草歩の向かい側、窓を背にして、端から一つ開けてモモナを座らせたお母さんは草歩の真向かいに座った。
モモナは草歩をニコニコ見ている。
「お客さんと食べるなんてふさしぶりね」
モモナを見ていたお母さんがモモナにいう。「うん!」とうなづくモモナ。
こんな長いテーブルなのに、三人で食べるのだろうか?と草歩が思っていると、正面のモモナのお母さんが視線を草歩の後ろのほうに向けた。
振り返ってみると、入り口からフーコーが入ってくるのが見えた。
彼は車椅子を押している。その上に座っているのはがっしりとした顎をして灰色の髪をきちんとなでつけた男の人だ。肩幅が広く手も大きくて、きっと以前は堂々とした体格のたくましい人だったんだろう。頬の肉がすっかり落ちて、暖かそうな服の襟元から見える首筋も頭を支えるのが大変そうなくらいに痩せている。
外がいい天気で日差しも入ってきているので暖炉で火が焚かれていると暑いくらいなので不思議だったのだが、きっとこの人のためなんだ。
膝に毛布をかけた車椅子が草歩とモモナのお母さんの横、長テーブルの主賓席に収まる。フーコーは彼を残して部屋を出ていった。
思わず草歩は背筋を伸ばした。
彼がやってくるとこの場が高貴な晩餐会にふさわしいものに思える。モモナのお母さんの振る舞いも、場を和らげつつ品を損なわない可憐さがあることに気づいた。一つ一つの笑顔や表情がきちんと相手を見ているのだ。モモナでさえも自分より圧倒的に空気に馴染んでいる。無垢な純粋さが彼と釣り合っている。
自分が場違いな感じがいたたまれなくなって、すっかり萎縮してしまった草歩を男が彫りの深い鋭い目で見る。無言のうちにここにいることを責められるような感覚に、冷や汗をかきながら草歩は男に向かってお辞儀をした。
「君か。フーコーが拾ってきたという子供は」
草歩はうなづく。
「病は癒えたようだな。名はなんという?」
草歩は答えない。男は鋭い視線のまま片まゆを上げた。
「しゃべれないのか?それとも答えたくないか?」
束の間、重苦しい沈黙が落ちた。草歩は目をそらさず、男の心を射抜くような視線を受け止める。言葉を発したのはモモナのお母さんだった。
「パパ、やめてください。この子はまだ治ったばかりでひどく混乱してるんです。話せなくったって無理ないわ」
そして草歩に向かって笑いかける。
「それにお客様がきてくれてモモナもよろこんでるわ」
「そうか?モモナ、彼がいてうれしいか?」
男はさっきまでの顔と人が違うような緩んだ笑みを浮かべて、自分の孫であろうモモナに声をかける。
「もちろん!みんなでご飯を食べたほうがたのしいもの!」
「そうかそうか」
嬉しそうなモモナを見てニコニコと笑った男は、草歩に鋭い目をちらりと向けて、
「まあいい。せっかくだ、モモナの相手でもしてやってくれ」
というと手元のベルをチリンとならした。
入り口から質素なメイドのような服を着て首輪をした二人の女性がトレイを手に持ち入ってきて、各自の前にお皿を置いてゆく。
草歩の前にも置かれたスープ皿にはクリーム色の濃厚で複雑ないい香りのする美味しそうなスープが入っている。思わずよだれが垂れそうになって慌てて飲み込む。お腹もペコペコだしすぐに食べたいのだけれど。
ちらりと周りの様子を伺う草歩。モモナのお母さんと男はスプーンを使って音も立てず器用に、優雅ともいえる自然さでスープを口に運んでいる。使うのはどれだろう?手に取るところも見ていればよかった。と、モモナが小さく手を振っている。草歩が目を向けたのを確認すると。スプーンのある場所を指でさして教えてくれた。
ありがとう!
草歩は笑顔でペコっと頭を下げてスプーンを持つ。モモナはその持ち方も見せてくれた。なるほど。右手で鉛筆を持つ感じでスプーンを持つ。そしてまたモモナを見る。スプーンを横にして、手前から奥に掬うんだな。そうして少し先端の方を口に向けて流し込む。
「ずるっ」
と思わず音が出てしまった。慌てて口を押さえてみんなを見る。男は気にもしていないし、モモナのお母さんもそんなことは構わないというように、
「どう?おいしい?」
と聞いてきた。
草歩はほっとしてうなづくと、前よりもちょっと気楽になって食べ始めた。
豪華で美味しい料理が続いた。野菜を煮てゼリーみたいにしたやつとか、肉のスライスに不思議なソースがはさんであるものとか、魚の切り身なんだけど味付けがとんでもなく美味しいものとか。
モモナは使う道具と切り方をおしえてくれ、草歩が料理に目を見張るたびにクスクスと楽しそうにわらった。次第に男も草歩のいる食卓にリラックスしてきたようすで、モモナのお母さん(エリヤという名前だ)と冗談を言ったりして笑い合っていた。
草歩も最後の方にはマナーに気を使いすぎることもなく、料理に舌鼓を打っていた。
「デザートはいががなさいます?パパ」
「いや。私はもうやめておこう」
「私は食べる!あなたもいただくわよね?」
モモナに言われて草歩は大きくうなづいた。どんなデザートか楽しみでしょうがない。そのワクワクした様子に男とエリヤさんは笑っていた。
メイドがデザートを持ってきて草歩の前に置いた。
早速食べてほっぺを抑えているモモナを見て、草歩も期待に舌舐めずりをしてフォークを手にそのパイを一口かじった。
甘酸っぱい、木の実の味。
コケモモのパイだった。
目の前に、レストランで一緒にパイを食べたピョンのほっぺたを膨らませた幸せそうな笑顔が浮かぶ。
『兄貴、最後にこんな美味しいものが食べられてよかったですミ!』
口元に赤いソースをつけて笑っている。
涙はでなかった。胸は痛んだが、きっと酸っぱさに胸焼けしたせいだ。
自分でもよくわからない感情で、草歩は一口、また一口とパイを飲み込んでいく。その度に少しずつ胸の痛みが取れてゆく。
「おいしい?」
モモナが満面の笑顔で尋ねる。エリヤさんも暖かく草歩を見守っている。
草歩の顔には自然に微笑みがうかび、二人にむかってうなづいてみせた。そして甘酸っぱい、美味しいパイをぱくついた。
もうこのパイでレストランを思い出さないように。モモナとエリヤさんの笑顔で上書きするように。お腹はいっぱ
いだったけれど必死に詰め込む。
胸の痛みはわずかな酸っぱさをのこしてすっかり消えた。
そんな草歩を、男が伺うような鋭い目で見ていた。




