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67・繭の中

 「どうしたの?お水欲しいの?」


 起こした体を再び布団に潜り込ませた草歩の様子を見ていた赤毛の子供が、心配そうに部屋の中に入ってきた。


 クルクルの柔らかそうな赤い髪を大きなおさげに編んでいて、赤いワンピースをきているからきっと女の子だろう。後ろで手を組んでちょっと前屈みになりながらヒョコヒョコとニワトリみたいに小さな体を揺らして草歩に近づく。


 小学校前くらいだろうか?興味とお世話をしたいという気持ちの混じったようなキラキラした表情で、おしゃまな子というのがぴったりだ。


 自分の身長ほどもあるサイドテーブルの、上に置かれた水差しとグラスと、草歩を見比べていたがやがて手を伸ばして水差しを持ち上げた。


 両手で抱えるようにして重そうに、少しグラグラしながらグラスに水を入れる様子は見ていてハラハラさせられるが、眉を寄せて集中している彼女の邪魔をするのも悪い気がして草歩はそれを見守った。ゆっくりとなんとかこぼさずに注ぎきり水差しを戻す。その置き方が半分ほどテーブルから飛び出していてどうにも不安定だ。


 女の子はグラスを草歩に差し出してきたのだが、案の定バランスを崩した水差しが倒れかかる。


 「!」


 予想していた草歩は手を伸ばしてそれを抑える。


 女の子はいきなり素早く動いた草歩にびっくりした様子だったが、自分を助けてくれたことに気づくとはにかんだ笑顔を見せた。


 笑顔の女の子からグラスを受けとったけれど、急に動いたせいかめまいがし頭が痛んで草歩はそのまま顔を覆って体を丸める。


 女の子はそれを見て慌てた様子でバタバタと部屋を飛び出していった。

 「おかあさーん!!!」


 そのまま動けないでいた草歩のもとに、しばらくして女の子が駆け戻ってきた。

 「ほら、目を覚ましたよ!!」


 「モモナ、大きな声をださないの。びっくりさせちゃうでしょ?」


 おっとりとした声と共に姿を見せたのは、モモナと呼ばれた女の子とおんなじ赤い髪をした大人の女性だった。


 そばかすこそ消えて透き通るような白い肌をしているが他はモモナそっくりで、彼女をそのまま大人にしたらこうなるのだろう。背が高く体も大きい。でも、がっしりした印象はまったくなくて、全身がふっくらと柔らかそうだ。丸い顔には柔和な笑顔をうかべ、赤い髪を長く伸ばしたクルクルとしたカールの房が肩に広がっている。きっと見開いたら大きいだろう目は優しく細められていて、ほっぺたは笑顔で丸く盛り上がっている。


 大きな胸、大きな腰とお尻。それを覆うゆったりとした細かい花の柄の入ったドレス。首元と腰は繊細で、まるで人形のようだ。


 額を抑える草歩に近づくと、優しく草歩の手をどかして、自分のてのひらをおしあてた。

 柔らかくしっとりと冷たい手。キメの細かいすべるような肌触り。


 夢の中とおんなじだ。

 ああ。この人だったんだ。夢のなかで、僕の看病をしてくれていたのは。


 母さんじゃなくてちょっぴりがっかりしたけれど、それもすぐに消えた。


 青く透き通った目に、繊細なまつげをした眼差しで草歩を見つめてくるこの女性には、母さんとは違う安らぎがある。それに彼女を見ているとなんだか甘酸っぱいような感覚が胸に湧く。


 「あら、まだ熱があるみたいね」


 そう言って少し眉をひそめた彼女は、草歩の体を支えて小さな子供にするようにベッドに寝かしつける。枕の位置を調整し体の位置を整えて、腕も体の脇に揃えると、掛け布団を草歩の顎の下まできっちりと覆った。


 そしてベッド脇にあった椅子を近寄せて枕元に座ると、草歩の髪を優しく撫でながら、反対の手で胸の辺りを軽くポンポンと叩く。


 モモナもお母さんの隣に近寄って、真似をして草歩の掛け布団をポンポン叩く。

 二人の笑顔が眩しいくらいだ。


 気分は悪いけれど、幸せで全身に鳥肌が立つ。モモナのお母さんが静かに子守唄のようなものを歌い始め、目が自然に閉じてゆく。


 まるで幼稚園の頃に戻った見たいだ。病気をすると当時仕事をしていた母さんは会社を休んで一日中、布団のそばにいてくれた。いつ目を覚しても必ずそこに母さんがいる、気分が悪く眠れずにいるとそれを見て絵本を読んだり歌を歌ったりしてくれる。そして今みたいに、布団をポンポン叩いてくれた。思えばすごく贅沢で満ち足りた時間だった。


 今でも風邪をひいたら気にしてはくれるけれど、さすがにずっとそばにいてくれることはない。今は草歩には自分の部屋もあるし、母さんも買い物やいろいろやることがある。


 モモナがまだ小さいから、この人はこうするのが当たり前なんだろう。懐かしくて、安心する。


 心の奥でずっと引っかかっている何かがスーッと溶けていくようだ。

 そうして草歩はまた眠った。


 なんの不安もない、優しい繭に包まれた小さなサナギのように。


 

 次に目を覚ましたのは鼻をくすぐるいい匂いのせいだった。


 まどろみの中、肌を包む枕と毛布の柔らかさに心地よく身を埋めていると、甘いような香ばしいような、なんともいえない蒸気が部屋まで漂ってきて草歩は目を覚ました。


 「グーーーーーーーーーーッ」

 とお腹がそれに応えて大きな音を立てる。


 うわ、ヤバイ。どうやら 僕はものすごくお腹がペコペコらしいぞ。久しぶりに感じる体の訴えに草歩はたまらず体を起こす。


 自分ではあんまりわからないというけれど、額に手を当ててももうあまり熱くない気がする。眠る前に感じていた気分の悪さもほとんどなくなった。


 それにしてもいい匂いだ。どうしようか。


 草歩はベッドの上で思案する。部屋の窓からは日差しが差し込んでキラキラと輝いている。かすかに小鳥の鳴き声も聞こえて、どうやら朝のようだ。朝ごはんの時間なのかな?


 ペコペコのお腹を押さえながら、部屋からでていいのかな、と思案していると、笑い声がこちらに近づいてくる。


 なんとなく草歩は再びベッドに潜り込んだ。


 ノックのあとドアが開く。自分でもどうしてだかわからないが、草歩は毛布をかぶって目を閉じている。なんでだろう?なんで僕は寝たふりをしているんだ?


 「まだ寝てるね」

 モモナが声を潜めている。


 「そうね。具合はどうかしら」

 モモナのお母さんの優しい声もする。それを聞くとなにかくすぐったい気持ちになる。


 顔を覆った毛布がそっとまくられて、額にしっとり冷たい感触が触れる。思わず笑顔が漏れる。

 「あら?」


 それを見て、モモナのお母さんは笑い声になった。草歩は目を開く。笑顔の彼女と目があって見つめ合う。胸がドキドキする。


 「もう大丈夫みたいね」

 優しく草歩の頬を撫でて彼女はきいた。


 「お腹すいてるでしょう?」

 草歩はうなづく。「よかった」と彼女は言って、モモナに声をかけた。


 モモナがパタパタと出てゆくと、モモナのお母さんはまた、草歩に小さな子供にするように体を抱え、枕を整えて作った背もたれにもたれさせるように草歩の体を起こす。掛け布団を膝にかかるように整えて、草歩の手を座った膝の上の、掛け布団のしたにもぐるように置く。


 そうして青い目を真っ直ぐに向けながら、草歩の髪を手櫛で整える。その目を見ているとすごく照れ臭いのだけれど、草歩は目を離せない。自分を見て世話をしてくれる彼女の優しさを少しでも味わいたくて目をパチパチさせながらじっとその瞳と見つめ合った。

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