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65・混乱

 ジューミーがピョンと草歩を投げ飛ばした軌道は、最初に草歩が崖上に投げられた時に描いた高い放物線とは異なり、穴底から縁をかすめるくらいの低さだった。


 その軌道の低さのため、延々と投げ飛ばされた二人は高所から地面に落下した、というよりは、森の木立に横から当たる結果になった。


 木のこずえに引っかかりながら速度を弱め、枝や先端の幹のしなりに推進力を削られて、地面に斜めに落ちた時にはさすがに衝撃はあったけれども、そのまま水切りの石のように威力を横に逃してゴロゴロと転がることができたために、あれだけ勢いよく投げ飛ばされながらもほとんど怪我がなかった。


 着地点が森で、地面が落ち葉に覆われていたのも大きい。


 ピョンの背中に大きなあざができたのと、枝や葉に当たった毛皮の下に細かい切り傷ができたけれども、それ以外に骨折や出血もなかった。


 草歩に至っては無傷だった。

 ピョンが気絶した草歩を体で覆って庇ってくれたからだ。


 こういうことは、ずいぶんあとからピョンに聞いてわかったことだ。飛んでいる間もかなりの衝撃を伴う着地の時も、草歩は意識がなかった。


 トー伯斎に優しく落とされてから、夢も気絶したという感覚すらもなく時間が飛んだようにして次に目にしたのは、自分を覗き込むピョンの顔だった。


 「え?」


 映画を見ていてシーンが不自然なぶつ切りで飛んだ時に、内容の理解よりも機械の故障を疑うように、草歩も状況の理解の前に己の正気を疑った。


 さっきまで、穴底で必死にトー伯斎に訴えていたはずなのに。そして酒臭い師匠に優しく抱きしめられて。


 「よかった、気がついたミ。兄貴あみき、どこか痛いとかないですかミ?」


 ピョンがほっとした顔をして聞いてくるが、意味がわからない草歩は体を起こし、草歩にとってはつい今さっきまでの恐怖と興奮のおさまらぬ様子で辺りを見回す。


 高い木に囲まれたみしらぬ森の中。僕は寝ていたのか?一体?

 「ピョン、ここは?それに、師匠はどうなったの?もしかしてジュキがやったの?」


 掴みかからんばかりにして、青ざめたひどく混乱した顔で迫る草歩に、ピョンは辛そうな、しかし落ち着いた様子で、草歩の背に手を当ててゆっくりとさすりながら答えた。


 「兄貴あみき、これはジュハク様がなさったことですミ。ジュハク様は兄貴あみきを『あいつ』から逃す

ために気絶させ、ミーに後を託しましたミ。そして『あいつ』との試合が始まった隙をついて、パピーに兄貴あみきミーを遠くに投げ飛ばさせたんですミ。『あいつ』の手の届かぬところに」


 「なんだって?じゃあ、師匠はジュキと『宣誓』しちゃったの?なんで止めなかったんだよ!」


 ピョンに苛立ちをぶつけるよう叫んだ草歩は勢いよく立ち上がると一、二歩踏み出し、ハッと立ち止まって戸惑ったようにキョロキョロと周りを見る。


 「どうしたんですミ?」

 刺激しないように自分もゆっくり立ち上がって草歩の方に歩みよりながらピョンが尋ねる。


 「どっち?僕らはどっちから来たの?すぐに戻らないと。勝負を止めないと!!」


 握り締めた拳を震わせて、焦りに顔を強張らせて、せかせかとその場で向きを変えながら草歩は大声で聞く。


 「兄貴あみき、落ち着いてくださいミ」


 近づいたピョンの手を振り払って草歩はさらに声を強める。


 「どっち!?早く戻らないと!早く師匠を止めないと!!」

 「わかりませんミ。それに、もう」


 ピョンの言葉を遮って、その胸元を掴んだ草歩は充血した目を見開いてピョンに向かって叫んだ。


 「戻って師匠を止めないといけないんだ!!どっちだよ!!ピョン!!早く教えろ!!!」


 受け入れがたい現実を必死に拒もうとあがく悲痛の眼差しを真っ直ぐに受け止めて、ピョンは落ち着いたたじろがぬ強さを持った声で答えた。


 「もう間に合いませんミ。あれからずいぶん時間が経ちミした。勝負は終わっているでしょうミ」

 「なんで止めなかったんだよ!!なんで!!」


 草歩はピョンにそう叫んだあとガックリと膝から崩れた。


 「なんで。くそ。そんな」

 草歩は地面を拳で叩く。


 「そんな。僕の代わりに。僕のせいで。師匠が」


 思い切り殴りつけていた力が次第に弱まって、顔を覆って体を丸めると呟くような、絞り出すようなか細い声で言った。


 「僕のせいだ。僕が余計なことをしなければ。師匠を、僕が。ああ」


 手の間から、涙が伝って落ちた。

 「身代わりにしてしまった」


 あとは声にならない息を漏らしながら、草歩は身を震わせて泣いた。


 いくら泣いても胸の奥に突き刺さった冷たいナイフは消えることはなかった。塞がらぬ穴が空き、傷は出血を続ける。後悔が痛みを伴って自分を責め続ける。


 自分が師匠をジュキと戦わせてしまった、という事実。


 余計なことをせず師匠の元で暮らしていれば、少なくともトー伯斎師匠がジュキと戦うことはなかった。今でもお酒を飲んで自由に歌を歌っていた。


 僕がチェスナを救うなどという我を通したために、そしてあいつにそれを利用されて戦う約束をしてしまったがために、師匠は僕をかばって出て行かざるを得なくなった。


 挙げ句の果て、チェスナも救えず、それどころか僕のために苦しませ、そうしてトー伯斎師匠まであいつと戦わせて。


 泣いても自分の責任が消えないのが辛い。


 誰かの命を、家族に等しい身近な存在の命を自分のせいで、自分が我がままを通したばかりに最悪の状況に突き落としてしまった。自分のことだったらまだしも、人にかばってもらって地獄に落としてしまうなんて。最低だ。僕は最低だ。


 自分の気を晴らすためだけに他人を巻き込み責任も取れず、泣いて後悔して自分を哀れんでいる最低の男だ。


 誰かのために命をかけるなら簡単なのに、自分のために、自分の考えの足りない行動のために誰かの命を犠牲にするなんて。


 草歩には耐えられなかった。

 自分のせいで身近な人が傷つくなんて耐えられなかった。


 強く肩を揺さぶられて草歩は顔をあげる。


 溢れ続ける涙の先に、歪んだピョンが映っている。隣にしゃがみ込み草歩の両肩を抑え、赤い目をキッと草歩に向けている。


 「兄貴あみき、しっかりしてくださいミ。ジュハク様が笑いミすよ」


 ピョンは笑顔になると、指でそっと草歩の涙をぬぐう。

 「さあ、もう泣くのはやミましょう。ミーたちにはやることがあるでしょう?」


 草歩は暖かく優しいピョンの手を荒っぽく掴み、涙をふくのをやめさせる。

 「もう、終わりだよ、ピョン」


 「え?」

 「僕はもう、余計なことはしないし、君とも一緒にいられない」


 睨みつける草歩の目から次から次へと涙が溢れ、顎からしずくが垂れる。


 「何を言っているんですミ?」


 「もうこれ以上、誰かを苦しめたくない。僕が何かをすれば、ジュキは喜んでチェスナや師匠を苦しめるだろう。それに、君といたら、僕はいつだって君を危険に追い込んでしまう。利用してしまう」


 草歩はゴクリと涙を飲んで必死に話しつづける。ピョンの姿はぐちゃぐちゃでよく見えない。いくら堪えても鼻の奥が熱く、顔が自然に苦痛に歪む。

 

「だからもう。もう、自分のせいで、だ、誰かが。誰かが苦しむのは。もう。嫌なんだ!!」

 そこまで言い切って、草歩はピョンの手を振り払うと思い切り走り出した。


 闇の森。

 歪んだ視界と勝手にしゃくりあげる胸。


 頭が真っ赤な火に包まれ燃えていた。喉の奥から自然に唸りが漏れた。

 涙で体が枯れ果てて、死んでしまえばいいと思った。

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