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64・最後の親子喧嘩

 「師匠!」


 草歩は思わず駆け寄る。

 「やめてください。僕が戦いますから。これ以上、誰かが傷つくのは見たくない!」


 トー伯斎がちらりと草歩を見る。

 「そいつはおいらのセリフだなあ。これ以上弟子を見捨てちゃ、人としておいらは失格よ」


 「いいえ!僕があいつと『宣誓』の約束をしたんです。だから!」

 「勝てるのか?」


 不意に本音を聞かれて草歩は答えに詰まる。

 「ぐ。か、勝てます」


 「嘘はいけねえなあ、嘘は。おまえさんらしくもねえ」

 トー伯斎は草歩の頭にポンと手をおき、今まで見せたことのない柔らかい笑みを浮かべる。


 「草歩、おいらはおまえさんに感謝してるんだ。おめさんのおかげで、おいらは人としても、皇棋指しとしても生き返れた。逃げるのを止めることができた。ありがとうよ」

 「師匠」


 トー伯斎はジュキに向き直る。


 「ジュキ!正々堂々、おいらと『宣誓』しろや。おいらが代わりに『果たし』をうける。チェスナをかけて、この身をてめえに賭けようじゃねえか!」


 何かを言おうとするジュキを制してトー伯斎は言った。


 「おいらはこのガキンチョに、『宣誓』で勝って果たしを得ている。だからこいつがてめえとした『宣誓』の約束に割り込むことができる。『果たし』のほうが、これからの『宣誓』より優先するのはわかってるだろう?」


 「ほう?」

 ジュキは興味深かそうに話を聞いている。


 トー伯斎は草歩に言った。

 「草歩、お前さんにはひとつ、『果たし』の貸しがあったな?おいらと最初に『宣誓』したときの約束がよ」


 「あっ」

 草歩はおもいだし、思わず声を上げた。


 「なんでも一つ、言うことを聞いてもらう。今使わせてもらおうじゃねえか。お前さんが約束したジュキとの『宣誓』を、おいらに譲れ」


 「そんな、でも!」

 叫ぶ草歩。


 しかし草歩の意思とは裏腹に、草歩とジュキとの間の『宣誓』条件は、トー伯斎とジュキに移った。


 「ほおお。くくっく。まさか、まさか師匠が俺と『宣誓』してくれるなんてねえ。それもその御身をかけて。くくくくくく。えびを釣ろうとしたら鯛がつれましたよ。あなたは殺すしかないと思っていたのに。なんとこの俺の奴隷にできるなんて。くくくっくっくくきききくくくきいいっっっっきっっっきき」


 条件を確認したジュキが身をのけぞらせては丸まり込みながら、狂ったように笑いだした。息をつまらせて咳き込みながらも喜びを爆発させている。


 「師匠、やめてください。これ以上、これ以上は。僕は」

 草歩はトー伯斎にしがみつく。


 「もう、これ以上仲間が、家族が苦しむのは。もう」


 服がちぎれそうなほどに握りしめ目を見開いて死んだ人を見るような顔をして迫る草歩を、トー伯斎はそっと抱きしめた。


 「草歩、しっかりやれや。おまえさんなら、いつか必ずあいつに勝てる」

 そして首に回した親指を軽く頸動脈に押し付ける。


 「ししょ」


 ガックリと胸に倒れた草歩。トー伯斎の目配せで近づいてきたピョンが気絶した草歩を受け取って抱き抱える。ピョンとトー伯斎の交わす視線には、お互いへの信頼があった。ピョンはトー伯斎の覚悟に涙を流しながら、その行為を誰よりも理解していた。


 トー伯斎は胸の合わせに手を入れると、取り出した何かの束をピョンにわたし、いくつか言葉をかけた。


 そしてトー伯斎はジューミーを見る。


 「獣の王よ、すまなかったな。お主の強さを知りながら、おいらは国を変えられなかった。この通りだ」


 深く頭を下げるトー伯斎に、ジューミーは花を散らす初夏の風のようなため息をつく。

 「過ぎたことさ。落ち葉は雨を呪わねえ。この世界にこうして生まれた運命だったのさ」


 二人は思いを短い言葉に託した。


 ピョンがジューミーに近づく。ジューミーは自分の息子を見てうなづいた。


 「くくっっく。いいでしょう、師匠。やりましょうか」

 ようやく爆発的な笑いの波がおさまったジュキが涙を拭きながらいう。


 「ああ」

 トー伯斎は腰の瓢箪ひょうたんをとり、そして投げ捨てた。


 「簡単に勝てると思うなよ。トー・イ家五代家元として、ジュキ、最後に稽古をつけてやる」


 「ありがたいお言葉」

 そう言ってジュキは扇子で口を覆って笑いを漏らす。


 二人が『神前宣誓ゴッズ・オース』に入ろうとする瞬間。ジュキの周りへの注意が削がれた隙を見計らい、ジューミーはピョンと草歩を担ぎ上げた。

 

 「ピョン、立派になったな。ミーは『あいつ』の命令でここからうごけない。お前が草歩を守ってやれ。ミーもジュハク様と同じように、この子には希望を感じている。きっと、ジュハク様でさえなし得なかったこと、ミーのような貴族以外の人にも光を示す道を、この子は成し遂げてくれるとおもう」


 ピョンが強くうなづく。

 「うん。兄貴あみきミーがまもるミ」


 ジューミーは強くなった自分の息子の姿に涙を浮かべ、唾をのんだ。こんな瞬間が訪れようとは夢にもおもっていなかった。 


 「ピョン、愛してる」

 「パピー、ミーも愛してるミ」


 ジューミーは刹那せつなの動作で先ほどよりも力一杯、渾身こんしんの力を込めて振りかぶると、


 「あああああっ」 

 気合を込めて二人を投げ飛ばした。


 ジュキはハッと顔を上げジューミーに、「這え!獣!」と命を発したがすでに二人は炭鉱の穴を超え空の彼方へと消えていった。


 トー伯斎は不意をつかれたジュキの顔を見て愉快そうに笑う。

 「さあ、邪魔者も消えた。久しぶりに親子水入らずで指そうじゃねえか。なあ、ジュキ」


 屈託くったくのない笑顔に、一抹の寂しさを感じる。

 子に裏切られた親と、相手を親とも思わぬ子供の、悲しい『皇棋』が始まった。



 だがこの対局について草歩は何もしらない。

 のちに聞いた噂から想像するのみである。

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