63・地の底に降り立つ悪魔
「言いてえことはそれだけか?」
トー伯斎はジュキの言葉をバッサリと切った。
「言い訳はそれだけか?人を傷つける行為にどんな理由をつけたってそれは勝手な詭弁でしかねえってことに気づいてねえのか?平等に苦痛を与える?おめでてえ野郎だ。どうせやるなら平等に幸せにしてみやがれ。てめえは今まで、たった一人でも誰かを幸せにしたことがあるのか?不平不満があるのはわからあ、世界の仕組みには必ず不備がある。
だがな、それを理由に誰かを傷つけていいなんてのはありえねえ。人を救うことのできねえ人に興味すらねえ孤高気取りが、その実母親のおっぱいが欲しくて駄々こねてるのと変わらねえ。てめえが誰かを救ってみろよ。てめえが人を幸せにしてみろよ。たった一人でも。
人間てのはそうやって、目の前の苦しむ誰かを救うことができたらそれが最上なんじゃねえのか?」
と言ってトー伯斎は草歩へ顎をしゃくって見せる。
「このガキンチョみてえによ。
屁理屈並べて世の中ぶっ壊して、人を苦しめることに正義を語るなんざ、下の下。おいらが正しいとは言わねえ。おいらは間違っていた。だが力が強え人間が力を振るうその先は、てめえのためであっちゃならねえってことは教えてきたつもりなんだがな。その力は思い切り『皇棋』の盤上に振るえばいいってことをよ」
ジュキが冷めた目でトー伯斎を見下ろしている。
草歩は思う。
チートの力があったら、『皇棋』の盤上に己の力を見出すことはできないだろう。いくらやっても必ず勝つのだから。
そうか、それであいつは圧倒的に退屈してるんだ。どういう過去かしらないが、元の世界ではきっと将棋も指していたんだろう。それでこの異世界に転生して、望んだ最強の力、『神』に一手を聞く能力を手にいれた。最初は楽しかったはずだ。欲かった無敵の力で敵を尽くなぎ倒し、やりたかったように自分の力を示すことができる。
だが頂点に立ってしまえばそれで終わりだ。好きだったはずの将棋、『皇棋』の中に自分はいない。『皇棋』の盤上に全てを忘れて没頭し勝敗関係なくのめり込むような爽快感はない。本当の自分の力で得たのでない称号を振りかざすことしか、どこまでも消えない虚しさを埋められない。
ほんの束の間、草歩はジュキに対して哀れみを感じた。一歩間違えば自分も簡単に落ち込む可能性のあった、そんな存在として。
『師匠。これ以上愚にもつかないお説教はたくさんです。俺はそこのコドモに用がありましてね。せっかくご登場いただいて申し訳ないが、そいつとはもう『宣誓』の確認が取れている。お年寄りの出る幕じゃあないんですよ』
ジュキはドラゴンの上で立ち上がると、扇子を草歩に向かって示し、それから足元にへたり込むように座っているチェスナの頭に乗せる。
『さあ、やろうじゃないか。この赤猫を賭けて。助けたいんだろう?』
ねっとりと笑ったジュキは、一度大きく腕を広げて着物の袖を外へはたき、そのまま流れるようにかがみ込んで腕をチェスナの腿と背に滑り込ませ、軽々と抱え上げた。飼育員に抱かれるライオンのように無防備に身を預けるチェスナ。
そのままスキップでもするかのような身軽さで跳躍したジュキは、動きからは考えられぬほど不自然ともいえる高さにふわり浮き上がり、空中をゆっくりと穴底へむかって飛んできた。
着物をはためかせ髪をなびかせ、空の上を散歩でもするように、白いドレスの赤毛の女と銀の髪を持った精悍な白拍子が星空を飛ぶ様は芝居の一幕のように美しく、音もなくトー伯斎の前に二人が降り立つまで草歩はただ見つめていた。
下ろされたチェスナは、虚な顔で再び人形のように座り込む。ジーフィダーケと呼ばれた龍人もその後ろに降りてきた。
「仕方がないから降りてきてやったよ。さあ、やろうか」
草歩に近づこうとするジュキを、トー伯斎がさえぎる。
「いいや、てめえの相手はこいつじゃねえ。おいらがやってやる」
立ち止まったジュキはけげんそうな、面倒そうな顔をする。
「いい加減わきまえろ、じじい。今は俺が『皇棋指南役』だ。その俺に逆らう気か?それにどうやって俺とコドモの『宣誓』を止める気だ?さっき言ったろう?俺とこいつは『宣誓』条件の確認が取れている。今更割り込むことはできねえよ。力づくでどうにかしてみるか?白髭仙人の足技で?」
一見無関心ではあるが、ジュキの目に刃のような鋭さが光る。
「知ってるさな。だから出てきたんだ。『見識』でこいつのことはずっと見張ってた。バカをやらかさねえようにな」
そういって、苦悩に満ちた顔でチェスナを見るトー伯斎。
「チェの字の時はおいらは引いちまった。自由にさせたといやあ聞こえはいいがその実、弟子を見放しちまった。みすみすてめえの慰みもんに貶めちまった。だから二度とそんなことがねえようにな」
そうか、と草歩は気づく。ずいぶんタイミングがいいと思っていたけれど、『見識』という能力で僕のことを見ていてくれたんだ。師匠は『皇棋指南役』をやっていたからその能力を身につけていたのか。
でも。
「トー伯斎師匠!ジュキと約束をしたのは僕なんです。師匠に迷惑をかけたくない、だから、僕にやらせてください!」
「だめだ」
トー伯斎と草歩のやりとりを見ているジュキが笑う。
「ボケ老人め。そのコドモの言う通り、俺とすでに『宣誓』の果たし決めまで終わってるんだよ。そこを退け。死にたくなければな」
言葉と共にジュキの体から神経を逆立てるような不快なオーラが発せられ、周りにいたものたちは思わず身構えた。
耳を伏せるピョンや半身に及び腰になっている蒼兄はいうに及ばず、普段周りに恐れられている側のジューミーでさえ、筋肉を硬らせて拳を握っている。
トー伯斎はその迫力に真っ向から立ち向かう。
ゆるりとした好々爺の姿から、爪先を半歩前に出して背筋を凛と伸ばす。それだけで厳かな気配が空気を清める。三番叟鈴の音が草歩の耳にたしかに聞こえた。
場数の違いか心根の差か。トー・イ・ジュハクの織りなす無駄のない、皇棋の神に仕えるものの折り目正しい流麗粛々(りゅうれいしゅくしゅく)たる所作は、たちまちのうちにジュキのメッキをはがす。
「ふん、せいぜい伝統を誇ればいい。飽きたな、もう殺すか?」
上部の威厳も簡単に脱ぎすてたジュキは、着物をきているとはおもえないかったるそうな態度に変わると、ズイズイとガサツにトー伯斎に近づき、鷹揚に身を翻した。
「バっバッババっバ」
次の瞬間、二人の姿は残像の中に消えた。わずかに地面につけた足元だけが視認できるが、あまりの速度に一切の動作が、激しく渦を巻き流れる線と化す。
着物の裾がはためき鞭のように時々、空気を「パアン」と叩く音が響く。
と、トー伯斎の首元に高下駄の履いた足を伸ばしたジュキと、それを身をそらしてかわすトー伯斎が不意に像を結んだ。
足を戻したジュキがニヤリと笑う。
トー伯斎は息をやや荒げ姿勢を戻す。その頬から血が滲み、左腕の袖は大きく裂けている。
「あー、面倒だな、面倒。倒すのにやたら時間のかかる裏ボス見たいに面倒だなあ」
そういいながらもジュキは楽しそうだ。




