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62・思いやりのない世界

 思いやり。


 将棋には初めて指す子供達に必ず教えることがある。挨拶だ。  


 指す前には「よろしくお願いします」、終わったら「ありがとうございました」。必ず頭を下げて、口先だけではなく相手に敬意をしめす。


 日本発祥の武道では必ず教えられていることではある。しかし将棋の場合は、より相手と自分の関係性を配慮する意識が強い。


 なぜならば、『負けを自ら宣言する』という特殊な慣習があるからだ。

 『負けました』という言葉には、それだけの重みがある。


 最後の詰みまで相手に指させるのは高段者になればなるほど失礼とされているし、負けそうだからと時間を切らせて『負け宣言』を回避するのは最低のマナーだ。相手がこの先間違えないだろう、という信頼のもと、自らの負けを自分で告げる。


 悔しさや後悔を飲み込んで、自分で『負け』を相手に告げる。


 勝ちよりも負けに価値があるというのは、実績や結果といった目先の単純な利益でなく、人間的成長に重きを置いた言葉だ。負けることで、自分が勝った時の敗者の気持ちを理解できる。負けることで、なぜ将棋でガッツポーズや勝者インタビューでの自己アピールがないのかもわかる。


 勝者の後ろには必ず、負けた人間がいるからだ。


 そして、自分がその立場にいることもあり得るからこそ、勝ちに慢心せず、敗者をいたわる。火花を散らす真剣勝負のすぐ後に、感想戦を行いお互いの太刀筋を認め合う。


 羽生善治九段の、将棋は一人ではさせない、対戦相手と一緒に一局を作り上げる芸術作品だ、だから相手が間違えなければ間違えないほど、複雑な局面なら複雑な局面ほど楽しいし、自分もその中に没頭できる。という意味の言葉がある。


 対戦相手は敵ではなく、むしろ将棋を極めるという同じ目的を持った仲間である。


 この考え方をもった羽生善治さんが棋界の頂点に立ってその求道者的な態度に周りを巻き込んだことで、今の将棋界があるといえるだろう。


 年長者への敬意やタイトルホルダーへの尊敬は確かに必要だが、過剰にそれを重んじて強い相手の全てを認めなければならないわけではない。対戦相手はあくまで一人の将棋指しで、『権威けんい』ではない。


 藤井聡太さんも、その頭のよさもあるが、決して人を傷つけたりバカにするような発言はしない。自らの力を言葉や態度でひけらかすことも、理解できない人間を見下すようなこともしない。


 圧倒的な自制が彼の周りの雑音を消し、その結果彼はより将棋に集中している。

 彼は強いから偉いのではない。人として尊敬すべき克己こっきの精神を持っているからこそ皆尊敬する。


 敗者を思いやれない人間に将棋を指す資格はないし、人を思いやれない人間に国を動かす資格はない。国どころか、他人と関わる資格すらない。


 だが。


 ジュキはそんなことなど一笑にふすだろう。


 むしろ、それを負け犬の傷の舐め合いとして軽蔑し、最も忌むべき強制力として破壊しようとするかもしれない。それとも全く相手にもせず、人がアリの群れを気にも止めないように気づかず土足で踏みにじるか。


 決して負けないのだったら、敗者の気持ちを知る必要などないから。


 目的が『皇棋』の追求でないのだったら、対戦相手を仲間と思うはずはないから。


 チートに手を出した人間にそのゲームの本質は理解できない。ただ『勝つ』ことが目的であり、相手を蹂躙することが目的であり、自分の力を示し優越感に浸ることが目的だからだ。


 トー伯斎の言葉を聞いたジュキは、文字通り吹き出した。


 『くっくっくっっくくくくっくく。師匠、笑わせないでください。『人を思いやること』以上の能力なんてない、ですか。くくくっくききき。それは『人』を否定していますよ?引退した年寄りが手慰みに始めた詩画に書きそうな文句ではありますがねえ。きっくくくく。それとも早く結婚して価値観カッチカチに固めながら時代の表現者ぶってるラッパーかなあ、くくっくっく』


 ジュキはもはやトー伯斎にわかる話をするつもりもないようだ。元の世界から来た草歩という観客を得て、その言葉はこの異世界を超えている。


 『逆でしょう?逆。人間ていうのは、人を無視するから進歩してきたんでしょう?この世界だって、貴族や王以外の民衆を排除してきたから文化が成り立ってきた。人が人を気にかけるのは、自分の遺伝子を伝えるためだけですよ。


 男が女に言いより、女が子供を気にかけるのはね。そして年寄りを敬うのは自分がいずれそうなるからそれを下に押し付けるためだし、孫を可愛がるのはそれが自分と繋がった貴重な遺伝子の鎖だからですよ。そしてその行為は『人』のものではない。ただの野蛮な獣のものです』


 笑い疲れて大きくため息をつき、扇子で紅潮した顔を仰ぎながらつづける。


 『人が人であるのはねえ、自分の興味があるものを、やりたいようにやっているときだけですよ。そこに他人や、自分すらいない。数字や原子をこねくりまわし、言葉や理論を組み上げては壊し、ありとあらゆるものにラベルを貼り分類し、不自然な『価値』を生み出して自然なコミュニティを破壊し、妄想にちかい『仮説』によって世界を変えて、非現実の世界を生み出してまで、求めているものはなんですか?


 人を思いやることなんかでは絶対にない。むしろ逆ですよ。自分の才能が発揮される世界に行くこと。自分が心から必要とされる世界に行くこと。自分が周り全てに勝てる世界に行くこと。この世ではないどこかにあると妄想する、誰よりも自分だけに価値がある世界にね。


 美しい理論も洗練された詩や物語も見事な肉体芸も、自分が独自の存在であることを認められたいと願い、あるいは自らの能力を極めたいという愉しみを追及するため『だけ』に生み出されるのです。そこに『思いやる』べき他人はいない。あくまで、自己満足の対象としての民衆がいるだけだ。あるいはその分野において評価の基準となる権力者だけ。


 そしていわば自己本意なその行為を崇高なものだと認めて作った結果が今の世界でしょう?『人を思いやること』に、お金を払う必要はないと誰もが思っている。『人を思いやること』よりも、人を押しのける才能に価値を見出している。『人を思いやること』で敗者をいたわり非情になれない優しさよりも、平気で他人を蹂躙じゅうりんできる強者に権利が与えられているんですよ』


 トー伯斎は聞いているのかいないのか、理解できているのかいないのか。ただ黙ってジュキの、不肖ふしょうの弟子を見つめている。

 『この世界も同じです。皇棋が強い人間に権利をあたえ、既得権益きとくけんえきのある王族に権利を与え、腕力が強いものに権利を与える。だから俺がそれを振るうのになんの遠慮がいりますか?この世で一番強い俺が、今まで自分を強いと思っていた奴らを、そんな奴らが作った世界を壊して這いつくばらせるのになんの躊躇ためらいがいりますか?


 師匠、そんなことをいうのだったら、あなたが『皇棋指南役』の時に全てを変えるべきだった。『思いやり』がある人に権利をあたえ、価値をあたえ、金を与えるべきだった。でも違うでしょう?あなたは俺の皇棋の才能を求めた。自分の興味のある皇棋さえ強ければいい。それが正義だと信じていた。


 できもしないで何を偉そうに。クソみたいな価値に従って偉そうに何十年も国を収めていたボケ老人よりも、俺の方がずっと考えている。


 全部壊して、全部俺の下に従えば、それこそが平等だろう?それこそがこの国の正しい仕組みだ。ある集団だけは苦痛から逃れる権利があるなんて、バカみたいな理屈を守るべき『伝統』と呼ぶ脳にうじわいたやろうども、無意識に人を虐げて平然とくらす愚か者どもは、思いやる必要なんてないでしょう?ねえ?』

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