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61・トー・イ・ジュキ

 「し、師匠?」


 突然現れたトー伯斎師匠の顔を草歩は呆然と見つめる。

 「一体どうしてここに?」


 髭をしごきながら目を細めて草歩を見ていたトー伯斎は腰に下げていた瓢箪の中身を一口飲むと、ふーと息を吐いた。


 「ふーーーー。よく頑張ってるな、草歩。まさかこの獣の王に勝っちまうとは」

 「え?どうやって知ったんです?」


 草歩の疑問には答えず、トー伯斎は『あいつ』の方を振り返った。

 「てめえ、相も変わらずかい。民の声を聞きながらそこになんの責任も感じねえか」


 『あいつ』が竜の上で身を乗り出し、目を輝かせてトー伯斎を見る。誰だという驚きというよりは、現れたことに対して興奮を感じているようだ。


 知り合いなのか?


 『ああ、師匠!まさか姿をお見せくださるとは。俺があなたを『皇棋御前試合』で負かして以来ですかね?』


 「え?」


 今、なんて言った?『あいつ』が、トー伯斎師匠のことを、『師匠』と呼ばなかったか?それに、『皇棋御前試合』で負かしたって。


 ジューミーが草歩の疑問に対して答えるように言った。


 「このお方は、せんの『皇棋指南役』であられたお方。トー・イ・ジュハク様だ。坊や、まさかご存知なかったのか?さっき『師匠』と呼んでいたが」


 「うん。初めて聞いた」


 トー伯斎の後ろ姿を見ながら草歩は思う。

 だから、この人はあんなに皇棋が強いのか。


 『あいつ』もその声が聞こえたのか、扇子をひらめかせさも面白そうにわらいながらその先をトー伯斎に向ける。


 『クックック。面白い。まさか師匠がそのコドモまで弟子にとっておられたとは。教えてやろう、コドモ。そのお方は『皇棋指南役』を六度、通算三十二期お勤めになられた伝説の皇棋名人、トー・イ家の五代家元にして双皇聖そうこうせいトー・イ・ジュソウ、トー・イ・ジュカン直系の愛弟子、『白髭仙人』トー・イ・ジュハク様その人よ。5年前ならお前のような奴が御目通りなど逆立ちしても叶わぬ天上の偉人であらせられるぞ』


 『あいつ』はねっとりと冷たい笑みを浮かべる。


 『そして、この俺のお師匠さまでもいらっしゃる。本当にお久しぶりでございます、ジュハク様』


 頭を下げる『あいつ』に向かってトー伯斎は深いため息をつく。

 「ジュキよ。てめえを弟子にし、養子にまでして貴族の身分を与えたのはおいらの人生最大の過ちよ」


 トー伯斎は苦痛に満ちた、しかしどこか寂しげな顔で言う。


 「てめえの天稟てんぴんにおいらは惚れちまった。今まで見たこともねえ皇棋の力。皇棋が強え人間は正しく評価されるべきだと今でも思っちゃあいるが、その心の奥に潜んでいた闇を見通せなかったのは、『皇棋』の強さが全てだと思っていた未熟なおいらの盲目ゆえ」


 声を震わし、『あいつ』に問いかけるような視線を向ける。


 「今でも信じられねえんだがな、ジュキ。てめえがこんなことをしでかしているってのは。あの一緒に過ごした一年、てめえに感じたこの世界を変えてくれるって新鮮な希望が、まさかこんな最悪な形で結実するとは。つくづく人の心を踏みにじるのがうまいやろうだよ、てめえは」


 そうか。


 草歩は気づく。きっと『あいつ』、『ジュキ』はこの世界にやってきてからまだ力の弱いうちは猫をかぶっていたんだ。そしてその『皇棋』の力でトー伯斎師匠に見出され、期待を一身に受けて養子にまでしてもらった。


 自分の目的が果たされるまでは、そのために周りの期待に答えるのもジュキにとってはゲームみたいなものだったのだろうか?


 トー伯斎師匠はきっと自分の後継になれる才能を感じて、僕やチェスナに対して接してくれたような独特だけど人一倍率直で思いやりを持ってジュキのことを考え、普通だったらありえない『貴族』の身分まで与えたんだ。


 それに対して何も感じないのだろうか?


 だが、ジュキのしてきたことや今の態度を見ればそれは一目瞭然だ。あいつはこの世界を自分のおもちゃとしか思っていない。自分が絶対に勝つけれど、時々は予想外のことがおこってほしいゲームとしか。


 『なにをおっしゃいます、お師匠さま。俺は皇棋の神にしたがっているだけです。皇棋とはなんですか?『王』のために他のすべてが優先されるべきという教えを持った競技です。そして対戦相手を倒すためであればどんな手段も許される。


 どんなに卑怯な能力でも使え、どんな宣誓でも果たしの対象になる。俺はそれを、民衆に教えているだけです。甘えのないヒリヒリとした世界こそが、王の気まぐれでいつでも首が飛ぶ世界こそが真に皇棋の神を身近に感じれるでしょう?違いますか?』


 「てめえのために皇棋をねじ曲げやがって」

 ジュキの言葉にトー伯斎は憐憫のこもった唸りをこぼす。


 「王のきまぐれだあ?てめえは王じゃねえじゃねえか。ただの『指南役』にすぎねえ。偉大なる先王が民の意思を反映させるためにお作りになった崇高な仕組みを利用して、てめえの欲望のために平然とことわりを歪めるだけの腐った一つのコマに過ぎねえ。自分がやっていることをルールのせいにしてその責任とも向かい合えねえ卑怯もんよ」


 ジュキの表情が、心なしか強張った。トー伯斎師匠の言葉には本質があり、それがジュキのプライドに触れたようだった。


 『卑怯、ねえ』

 その傷を相手に返すようにジュキがいう。


 『俺がこうしている間、姿を隠し逃げ惑い、なんの反論もなさらなかった師匠の言葉とは思えませんなあ。指南役の『隠密』の能力で身をお隠しになられたのは、俺を恐れていたからでしょう?俺には勝てないとよくご存知だったから、そんなことを思いながら戦いを挑もうとはなされなかった。尻尾を巻いて隠れ回った。んん?どちらが卑怯でしょうかねえ?』


 「そうさな、おいらは逃げた。おいらがてめえを育てちまった責任からな。てめえがいつか、民の声を聞く意味を知るんじゃねえかってありえねえ期待にな。そうして臆病に隠れて酒を飲んで、現実から目を背けて生きていたのさ。この」


 と言って、トー伯斎は振り返り、肩越しに草歩を見た。

 「真っ直ぐなガキンチョに出会うまではな」


 ジュキが訝しげな顔を草歩に向ける。

 『師匠。えらくそのコドモをお気に入りのようだ。あなたが弟子に取るとはよほど皇棋が強いと見える』


 「いんや、こいつはまだまだ皇棋はクソ弱え」

 『はあ?』


 ジュキは肩透かしを食らったような間抜けな声を上げ、草歩もガックリとつんのめりそうになる。弱いって、今言わなくたって。


 トー伯斎は草歩に向かってニヤリと笑う。言葉とは裏腹の、揺らぐことのない信頼がそこにはある。


 「このガキンチョは、皇棋は弱えが、それを補ってあまりある人としての輝きがある。まっすぐで弱者に優しく、己をかえりみず正義をつらぬき、そしてそれを蛮勇ばんゆうで終わらせねえ底力を持っている」


 そしてトー伯斎はジュキを見た。真っ直ぐな目で。


 「てめえにはひとっかけらもねえ能力だ。そしてそれが一番大切だとおいらは気づいた。いや、教えてもらった。今のこいつはてめえにゃ皇棋じゃ勝てねえだろう。喧嘩でも屁理屈でも勝てやしねえ。だがな、そんなことはどうだっていいってことが、この年になってようやく分かった。


 皇棋が強えから偉い?力が強えからすごい?バカじゃねえか。人を思いやる以上の能力なんてねえんだよ。だからおいらはこいつを弟子にした。皇棋の基礎も分かっちゃいねえ、純粋でまっすぐなガキンチョをな」


 トー伯斎の言葉は草歩にいつも光を与えてくれる。


 今も、ジュキの悪の前に挫けそうになっていた草歩の心に、己のしてきたことを迷う深みに沈んだ心に、雲をはらし迷いから抜ける一筋の道を示してくれた。


 誰かのためにまっすぐに進むことは、間違っていない、と。

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