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52・長耳の『獣の王』の物語

 草歩はジューミーの指し手に違和感を感じていた。


 前回と違ってガッチリ駒組みを組んで進めているけれど、どうにも覇気はきがない。自然と草歩の攻め手が決まり、盤面ばんめんを制圧してゆく。


 まるでやる気が感じられない。わざと負けようとしているのか?


 『八百長やおちょう』みたいだ。


 相撲やプロレスでよく話題にされる八百長だが、プロ同士の将棋ではないとされている。


 八百長で負けて得るものよりも、失うものの方が大きいからだ。順位戦などのタイトル予選では特に、一勝が一生を左右するのだから当然とも言える。


 将棋の場合、あるとすれば対戦相手との相談による星のやりとりではなく、目の前のひとつの勝ち星よりも優先すべき事柄を気にかけて思わず勝負に手を抜く、『人情片八百にんじょうかたやお』であろうか。


 なので熾烈しれつな降級昇級争いのある順位戦じゅんいせんC級2組では、師弟対決や同門対決は組まれることがない。これはC2在籍ざいせき棋士が多く対戦カードの幅に余裕があるからできることではあるが、例えば師匠の引退を決定づける降級点がかかった勝負を弟子に負わせて、果たして真剣勝負ができるのかという周りの疑念を払拭するための方策でもある。


 ちょうど今のジューミーとピョンのように、身内の命をかけた試合で人は冷静ではいられないだろう。しかもそれが、自らが相手の首に手を掛けるような事態であれば。


 でもさっきガラームは、八百長をした真剣師の代償だいしょうは『命』だと言っていなかったか?


 くそ。


 「ジューミー、どういうつもりだ?」


 草歩をみるジューミーの目に、あの抜けるような蒼天そうてんはない。低く分厚い雨雲が彼の心をおおっている。今にも降り出しそうな氷雨ひさめを抱えて。


 やっぱりか。何が孤高の男だ。僕のとんだ勘違いだ。


 でも彼を責める事はできない。自分の息子が奴隷にされるのに手を貸すなんて、まともな人間にはできないだろう。


 このまま倒す。他に選択肢はない。ジューミーがわざと負けようとしているとしても、僕にはどうすることもできないんだ。


 飛車を成り込み銀を進める。ジューミーは王を逃げてゆく。


 あまりにも悲しい戦いだ。せっかくピョンが命がけで会いにきて、ようやく再開できたのにお互いに敵として相手を倒さなければいけない立場だなんて。ジューミーが勝ったらピョンは奴隷になってしまう。手を抜いたジューミーを僕が倒したら、八百長という事で命を取られるのだろうか?


 なんて運命だ。くそ、本当にこのままでいいのか?


 しばしの間。


 模索の中、訪れたひらめきにまかせ、草歩は覚悟を決めると言った。


 「ピョン、君の父さんはカッコ悪いね」


 草歩の思わぬ言葉にピョンは傷ついた。


 「あ、兄貴あみき?何を言うんですミ?ミーの事は何を言ってもいいですミ、でもパピーの事は悪く言わないで欲しいミ」


 「そう?だってこんな悪者のために、自分の息子を奴隷にするような戦いをしてさ。かっこ悪いよ」


 ピョンは目の前で座っている草歩の背中を睨みつける。


 兄貴あみきミーが自分をだましたと思って怒っているんだ、だからこんな悪口をいう。でも、だったらミーに言えばいいのに、パピーの事をいうなんて。 


 「何にも知らないくせミ!いくら兄貴あみきでもそれは許せないミ!本気で怒りミすよ!!」


 「怒ってもいいさ。だって本当のことだもの。どうせろくでもないことをしてこんな所にいるんだろう?こんな腰抜けの指し方、そうに違いないよ」


 「ふざけるなミ!!」

 ピョンが草歩に近づき、襟元を掴んで詰め寄る。


 「おい!何ジデやガる!仲間割れガ?ガららあああ!!」

 ガラームがその様子を見て馬鹿にしたように笑う。


 「ガららああ!!自分の立場を賭ゲるのガ今ザら怖グなっダガ?友情ゴっゴの綺麗事も、いザドなるド脆いもんダなあ!!」


 勘違いしているが、それは都合がいい。僕とピョンが喧嘩をしていると思ってくれれば、言い合いをしても不思議に思わないだろう。


 ピョンが草歩を睨んでいる。今まで見せたことのない怒りに満ちた目で。


 「ふざけるなミ、何にもしらないくせミ。パピーは、パピーは正しいことをしようとした結果ここにいるんだミ。いいか、聞くんだミ。パピーは、『皇棋指南役』になったばかりのあいつが、他の国を皇棋で支配して、『砂鼠ヶ原』の国にもやってきた時、正しいことをしようとして止められたんだミ」


 ピョンの手が震えている。

 「まわりのバカたちに。命やプライドよりも伝統を守る能無しどもに」


 ピョンは歯を食いしばって、湧き出す怒りを必死に抑えている。ジューミーの持つ獣の精神は、確かにピョンにも宿っている。毛が逆立って、殺気だけで草歩を殺しそうなほどだ。


 「聞け」

 ピョンが唸るようにいう。


 「パピーは、『あいつ』を殺そうとしたんだミ。その時はまだパピーよりも弱かった『あいつ』を」


 ジューミーがピョンを見ている。


 「無人の野をゆくが如く、枯れ木をなぎたおす竜巻が如く。『砂鼠ヶ原』の獣の王は、その力で悪を罰するべく。国を訪れた『皇棋指南役』一行を襲い紙屑かみくずのように近衛兵をなぎ倒し。その牙は悪魔の首元一寸に迫った」


 ピョンの語る光景が草歩にはありありと見える。この岩の塊のような肉体で真っ直ぐに、阻む全てのものをホコリでも払うかのように跳ね飛ばして『あいつ』の乗っている輿こしに迫るジューミーの姿。


 「しかしその獣の王を止めたのは、『砂鼠ヶ原』の民であった。国の歴史でただの一度も起こったことのない最大の禁忌きんき『指南役暗殺』を犯すことをおそれ、獣の王の腹違いの弟、時の『長耳の王』は部下とともに身をていして『あいつ』をかばった。

 

身内を殺して何が正義か。獣の王は矛を納め、その身を『あいつ』に捉えられた。そして激しい責め苦と拷問を受けながらも柳のように飄々と耐え切って、しかし彼の弱点である、砂兎の女を人質に取られ、ついにその膝を『あいつ』の前に折ったのだ。


 そして永遠に穴の底に閉じ込められ、奴隷商の手先となるという恥辱ちじょくに身をやつす。それが『砂鼠ヶ原』のけものの王の物語」


 ピョンの頬に涙が伝う。


 「ミーのパピーの話だミ。あそこで『あいつ』を殺していれば。あそこで長耳の民が庇わなければ。だが人は本当には存在しもしない、『称号を犯す罪』を恐れ、現実の悪魔を助けたんだミ。そんなパピーを悪くいうことだけは、許さないミ。

 

何者をも恐れず、何者にも囚われぬ、正義を貫く勇気を持った英雄だミ。王の息子と生まれながら、身分も地位も与えられず、身をていして世界を救おうと試みながら、そのもっとも忌むべき『称号』に阻まれて、それをなしえなかった男。

 

 何が『指南役』ミ。何が『長耳の王』ミ。ミー兄貴あみきやパピーのような、権威に囚われず己自身を貫く人間だけを信じるミ」


 ピョンは草歩のえりを両手で掴み、怒りと苦しみの入り混じった悲痛な叫びで訴える。


 「だから兄貴あにみにだけは!兄貴あみきにだけはパピーの悪口は言って欲しくない!!マミーのいない今、ミーの尊敬する唯一の二人だから。そうでしょう?立派でしょう?パピーは。誰よりも立派でしょう?マミーはあの後言葉にできないようなひどい目にあったけれど、それでもパピーを誇りにして、そうして最後の言葉をどうしても伝えたいと思って、ミーに託したミ。

 

 感謝していますって。そうでしょう?本当に正しいことをやろうとしたんですミ。だからミーもマミーも、パピーに感謝こそすれ、恨みや後悔なんてないんだミ」


 ピョンはふっと草歩の襟元を持つ手を緩めると、今度はジューミーに顔を向けた。止まらぬ涙に鼻水も混じり、ぐしゃぐしゃになった、しかし美しい顔を。


 「誇りなんだミ。だからパピーには、自分の信じる道をこれからも貫いて欲しいって伝えたかったミ。ミーやマミーに囚われることはやめて、自分の生きたいように生きて欲しいミ」


 喉につまったようにジューミーが呟く。

 「ピョン」


 「それが、『砂鼠ヶ原』の英雄、獣の王だから。ね?」


 ニッコリとピョンが笑い、ジューミーは顔を歪め、うつむいて手でおおった。大きな肩を激しく震わせて。

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