50・引き分けと孤独
「引き分けだな」
二枚の龍と王を残し、草歩の他の全てのコマを平らげた獣王は、しかしこれ以上草歩の王には迫れない。
ジューミーが草歩にそう言った。『宣誓』では初めてだが、トー伯斎師匠やチェスナと木の盤で戦った時にすでに経験している。ゲームの性質から引き分けは珍しくもない一つの結果ではある。草歩はその申し出を受け入れた。
だが、この引き分けは草歩にとっては相手のミスで助けられた形。負けていたはずだ。あの時一手緩められなければ。
「『代打ヂ』!デめえ、ゾんなガギ相手に引ギ分ゲダド!?ゾの長耳のガギド何ガ話デやガっダガ、手え抜いダんジゃねえダろうな!!」
ガラームがいらいらしたように叫び、ジューミーを睨みつける。
「『八百長』の代償バ解っデるよな。手心加えダ『代打ヂ』バ、神聖な『神前宣誓』を汚ジダ罪を、ゾの『命』デ償うゴドになる」
「ああ。わかってるさ。八百長なんかじゃねえ、ちいっと油断しただけだ。次は必ず勝つさ」
ジューミーは立ち上がり、草歩に言う。
「ちいっと小便させてくれや。戻ったら再試合だ」
そして時自分が鎖に繋がれていることなどお構いなしにすたすたと歩きだす。執事に命令された奴隷が慌てて鎖を持ってついてゆく。
草歩も立ち上がって、道の淵まで歩き穴の底を見下ろす。
本当だったらピョンに色々聞きたいのだけれど、今はそんな気分になれない。そっとしておいて欲しかったが、足音が後ろから近づいてきた。ピョンだ。
「兄貴、黙っていてごミんなさい。あの人は僕のパピーだミ」
草歩は振り返って笑顔を作る。今までピョンがしてくれたことを思えばとても責めることはできない。
「ジューミーに会いたくてここに来たんだね。会えて良かった」
「一応、そうだミ。僕は会うのは初めてだミ。本当はそんなに会いたくもないんだけど、マミーの最後の言葉だったからそれだけは伝えたかったミ」
「そっか」
草歩は言うまいと思っていたのだが、心が切な過ぎてどうしても我慢できなかった。
「ピーグイから助けたのも余計なことをしたね?あのまま奴隷だったほうがよかったんだよね、そうすればここにもいずれ来れたし」
ピョンの目がショックに見開かれる。
「え?ち、違うミ、ピーグイには騙されたんだミ。だから、兄貴に助けてもらって感謝してるミ」
「ここにチェスナがいるかもっていうのも、ここに来たかったからなんじゃないの?ここに忍び込めれば、ジューミーにあえるから」
「そんな。兄貴、関係ないミ、僕の思いつく場所でチェスナさんがいそうなのがここだけだったミ。ここなら大勢の奴隷もいるし、強い奴隷はたくさん売られてくるって聞いてたミ。僕は兄貴の役に立ちたくて」
草歩は聞けば聞くほど泣きそうになった。
なんだろう、ピョンのことだけじゃなく、自分のことが信じられない。ピョンが裏で何を思っていたかも気付けなかったし、助けたことすら自己満足の思い上がりだったんじゃないだろうか?相手の事情なんて誰にもわからないのにいい気になってたんじゃないだろうか?
今、僕はチェスナを助けたいと思っているけれど、チェスナは本当にそれを望んでいるのだろうか?
わからなくなった。何もかも。
黙り込んだ草歩をピョンが見つめている。
「兄貴を騙す形になって悪かったミ、あの人に会うのを目的にはしたくなかったミ。だから話さなかった。チェスナさんを助けることだけに集中したかったミ。僕は、兄貴に助けられて本当に」
「わかったよ、ありがとう。ピョン」
草歩は遮るように言って、ピョンを見ることもなくさっきの場所へ戻っていった。ジューミーの戻ってくる鎖の音が聞こえていた。
どうでもいい。
ピョンが本当はどう思っているかなんてどうでもいい。チェスナのこともどうでもいい。奴隷やトードさんやフロッガ、『あいつ』のことも。
僕はこのジューミーに最初に会うべきだったんじゃないだろうか。風のように自由で、周りのことに囚われず、飄々(ひょうひょう)と我一人で生きていく。
そうすれば誰が何を考えいてるかなんてどうでもいいし、誰が苦しんでいるかなんてどうでもいい。そうすれば余計なことをして後悔することもない。そうすれば。
だけど、ジューミーを見て草歩は思う。
この人は一見そうやって自由気ままに見えるけれど、結局誰よりも重く縛られている。身体的には鎖で、精神的には『真剣師』というプライドに、そして心はかつてあった出来事、ピョンが伝えた過去の何かに、きつく深く縛られてがんじがらめになっている。
自由ってなんだ?
生きるってなんだ?
草歩は腰を下ろす。ジューミーも腰を下ろした。
今はただ、『皇棋』が指したい。
世界や人生や苦痛や人助けや正義や悪やしがらみや思い込みなど全て忘れて、ただこの81マスの盤面に没頭したかった。




