46・真剣師
「持ち時間はどうしようかねえ」
ジューミーが鎖を解かれた右手を懐に入れてゴソゴソやりながら、部屋に招いた相手に好みの酒肴を聞くかのような気軽さでいう。
しまった、忘れていた。ここで不利にさせられるわけにはいかないぞ。
草歩の緊張を感じたらしいジューミーは片目をつむって笑いかける。
「心配性だねえ、坊やは。言ったろう?このジューミーは手を抜くことはしない。相手の望む条件で倒してこその『真剣師』よ。時も場所も選ばねえ。坊やの好きなようにきめたらいいや」
これは余裕か?いや、自分への絶対的な自信なのだろう。戦国時代の剣豪がいつ何時敵に襲われても構わないという極限の精神に生きているようなものか。日常を戦地にすることで戦地を日常と化す逆転の修練法。
「ああ、だがよ、あんまり長いのはお互い望まねえだろ?情けない話だが、最近ションベンも近くなっていけねえ。その辺適当にたのむぜ」
すまなそうな顔を作って見せて、肩をすくめる姿には愛嬌がただよう。
本当にどういう人なんだこの人は。もしトー伯斎師匠にあっていなかったら、この人に教わりたいと願っていたかもしれない、そんな底知れぬ魅力がある。
草歩が提案した持ち時間20分、切れたら1分という提案をジューミーは受け入れた。
この時間設定だと大体1時間くらいで決着がつくはずだ。
気がつけば草歩とジューミーの周りは大勢の人間が取り囲み見守っている。
ピョンは草歩の後ろにいて、トードの親分、蒼兄、鎌之助、ベロンが草歩の横、側道の辺りに固まっている。シルバーが連れてきた子分たち二十数名はピョンのさらに後ろに、山椒魚に乗ったガラームとフロッガたちはジューミーの後ろに控えている。
それに他の奴隷たち。いつの間に顔を覗かせたのか、食事を終えた奴隷たちが螺旋道路から顔をのぞかせ、まるでコロッセオの観客のように下で行われている戦いの様子を覗き込んでいる。ぐるぐると続く長い道路を埋め尽くすように、それこそここにいる全ての奴隷が見にきているのかも知れない。
「じゃあ、はじめるかい?」
「ああ、やろう!」
インターフェイスの文字が光り持ち時間が決定する。
そしてルーレットが回り、ジューミーの先手で決闘が始まった。
さあ、どんな能力なんだ?
トードの親分にきけばよかったかなとちょっと後悔したけれど、能力をしらないのはお互い同じだ。対等なんだから不満を言ってもしかたない。
意気込んでいる草歩をよそに、ジューミーはすぐには指さなかった。
ゴソゴソやっていた懐から、長いキセルとタバコ入れを取り出すと、それをあぐらに座ったはかまの上に乗せる。そして片手でタバコ入れに巻かれた紐をはずし、キセルの中に器用に詰めている。
吸口をくわえると火皿のタバコに右手を近づける。
「バギン!!」
まるで岩が火のなかで爆ぜたかのような炸裂音がジューミーの右手から鳴った。なんだ?指パッチンをしただけのようなのに、信じられない音量だ。そして気づけばキセルからは細い煙が一筋上がっていた。
今ので火をつけたのか?
ジューミーはゆっくりと煙をくゆらせる。いかにもうまそうに、『煙草を呑む』という言葉がよく似合う仕草。
草歩はその間にジューミーの戦績を確認した。
レベル83
2905勝1543敗
勝率6割6分か。すごい。年齢的にトー伯斎師匠よりもだいぶ若く見えるから、これだけ戦っているということは日々凄い数の『宣誓』をこなしてきたってことだろう。
『真剣師』か。
この世界にもいたのか、こういう人が。
草歩にとっては漫画やドラマの世界の人たち。将棋漫画の『ハチワンダイバー』にも出てきてたよな。
真剣師とは将棋にかぎらず、チェスや麻雀、囲碁などのボードゲームで、賭けによって生計を立てている人たちを指す言葉だ。
彼らは言ってみれば、プロという制度が未熟だった時代や制度的に受け皿の少ない種目において、そのゲームで生きてゆくために賭けという道を選んだ人たち。
今ではプロ選手権やスポンサー付きの大会が多く行われるようになった麻雀の経緯がわかりやすいが、戦後かなりの長い期間プロが存在せず、強い人は皆真剣師だったといえる。
最初個人のお金でかけて勝ち続け稼ぐうちに、その強さを見出したタニマチというスポンサーがバックにつき、タニマチの持つ大きなお金をかけて戦うようになる。
それが『代打ち』だ。
真剣師として強ければ強いほど条件のいいタニマチがあつまり、代打ちとして大きな戦いに挑むことになる。
それが真剣師のステータスでもある。
将棋にも戦後混乱期にそうした真剣師のもてはやされた時代があった。
もともと江戸時代はプロという制度がなく、家元を継ぐ権利を持った『将棋三家』を除いては将棋はいわば嗜みに過ぎず将棋だけで飯を食う手段はなかった。
だが賭け将棋は非常に盛んで、縁日や街の賑わう場所、旅籠で連れあった旅人と、など様々な場所で気軽におこなわれていたのだ。その名残が今は大道将棋として残っている。
そしてプロができてからもその制度の途上においては、プロになるよりも金が稼げるとして各地の将棋クラブや教室を回り、賭けをもちかけ代打ちを行い、己の腕一つで生きる人たちがいた。
特に戦後頂点を極めたのは、高度経済成長によってタニマチが潤沢な資金をもち、それを賭けるギャンブルの対象として強い代打ちを求めたこと、またプロ棋戦の充実にともない将棋ブームが到来、アマチュアの大会の開催が盛んになることで、その大会賞金を目当てにプロ制度に弾かれた強豪アマチュアの将棋熱が頂点に達したことによる。
戦後の真剣師と呼ばれる人の多くは、将棋連盟の定めた奨励会制度に合致しない高年齢であるというのが主な理由で、高い棋力を持ちながらプロとして認められなかった人間たちの集まりだ。
いわば「弾かれた」人間。
花村元司九段は元真剣師でプロになった稀有な例だ。その特例試験は1944年に行われた。
そしてその後、2005年に瀬川晶司六段の編入試験が行われるまで、実に60年以上、ただの一度も実施されてこなかった。
最も有名なのは「新宿の殺し屋」とよばれた小池重明だろう。圧倒的な強さや晩年を作家の団鬼六が取り上げたことで有名で、素行の悪さで身を破滅させる無頼さが人気だ。
彼はプロ入りを切望していたが、編入試験の話が持ち上がると同時に脚光をあびることとなった過去のトラブルや酒癖の悪さによって、そのチャンスを失った。
試験に挑むことすらできずに。
『皇棋』の真剣師か。一体どういう男なんだろう。




