37・不安と疑念と『皇棋』
蒼兄と鎌之助は草歩にチェスナの行方の調査を約束した。
彼らは勝手に動くことはできないが、トード親分の一家の仲間は鉱山中に散らばっていて、食事や運搬などで顔を合わせることもあって連絡は普段からとっているので、もし見かけていたらすぐにわかるとのことだった。
「そんな情報網があるのにトード親分の居場所がわからないの?」
草歩は疑問を口にする。
「だいたいはわかってるシー」
鎌之助が答えた。ちょっと気分を害したようだ。
「まあそう怒るな鎌之助。兄らもできる限りのことはしちゃあいたからな、いきなり新入りにそう言われちゃ腹も立つケーン。トードの親分は他の奴隷が普段絶対に近づかないような場所で働いているに違いないケーン。なにしろ大きな体の親分だケーンから、いたらいやでも目に付くはずケーン」
「あ」
と、草歩はフロッガのセリフを思い出す。
『トード兄さんは鉱山の奥の方、もしかしたら毒ガスの出ているところで働いているかも』
そうだ、カエル族は毒につよい、とも言っていたっけ。
「あのさ、この鉱山で毒ガスが出ているような場所はない?奥の方で」
「ん?よく知っているケーンな。オリハルコンが一番取れるらしいこの鉱山の最奥部が毒ガスに包まれた場所になっているケーン。普通の人間じゃ近づけもしねえから、溶岩人とかゴーレムとかの無機物系か、腐ったしたいやゾンビなんかの毒持ち系がはたらいているケーンが」
あっと蒼兄と鎌之助が顔を見合わせる。
「そうか!あいつらトードの親分をそこに閉じ込めてやがったケーンか!」
「そうにちがいないシー。どうりでどこ探してもいないはずだシー」
「よし、そうと決まりゃ決行だケーン」
蒼兄と鎌之助の表情が喜びと同時になにか企んでいるようにも見えてちょっと違和感を覚える。
「でも僕たちはどうすればいいミ?トード親分を見つけても、連れ出すことは難しいとおもうミよ?」
「ああ、そうだケーンな」
ピョンの持ち出した疑問で、草歩の違和感は消えてしまった。
「トードの親分の移動できる範囲と兄らの行動できる場所の、どこかに接点があるといいんだケーンが。もし、その毒ガスの奥にいるとするなら…」
蒼兄と鎌之助が相談し草歩たちに頼んだのは、トード親分を毒ガスの外の横穴に連れ出すことだった。
そこなら蒼兄たちもギリギリ行ける範囲で、トード親分と話すことができる。
やることは決まった。
あとは毒ガスをどうするかを考えなければいけないが。
夜もだいぶ更けてきた。本当はなるべく早く行動して作戦を進めたいが、昼間の疲れで頭が働かない。
蒼兄たちも明日の仕事もあるので今日のところは眠ることにして、草歩は蒼兄たちから少し離れたところに敷かれたゴザに横になった。
横にはなったものの身体中が痛くてたまらない。明日はひどい筋肉痛になりそうだ。早く眠りたいけれど疲れすぎて逆に難しい。
ぼうっとしているはずなのに頭の中で考えが止まらない。
チクチクとしたゴザの下に岩肌の冷たさを感じる。すえたような、かびのような粉っぽい香りが鼻につく。ふう。
チェスナは本当にここにいるんだろうか。
もしいてくれたら、なんとしても救い出してトー伯斎師匠のところに連れ帰るんだ。
『あいつ』は倒せないから『宣誓』の効果は消せないけど、それでも身を隠して遠ざかって命令が届かないところまで逃げれば、きっと普通に生活できるだろう。
そうしたらまたみんなで。
……みんなで?あいつを倒せないのに?
いや、今は考えちゃだめだ。草歩はすぐに嫌な方に流れ出す思考を追い払おうと姿勢を変えた。
隣のピョンは眠っただろうか?
チラリと顔をみると目を開けてじっと天井を見つめている。なんだかいつもと様子が違う。そういえばさっきもこんな真剣な顔をしていたな。
「ピョン?大丈夫?」
草歩は小さく声をかけた。ピョンは答えず、ゴロリとむこうを向いて背中を見せる。
「兄貴も疲れたでしょうミから、早くねてくださいミ」
その言い方は、草歩のこれ以上の問いかけを拒絶していた。
いつもは自分の感情をわかりやすく表にだしているし、僕がきいたら全部話してくれるのに。
どうしたんだろう。
草歩の頭にまたしても余計な疑念が湧いてくる。
ピョンはここに、何かチェスナを探すのとは別の目的があったんだろうか?
ここにいるかもしれないと教えてくれたのはピョンだ。もしかして、なにか他に考えがあって。
いや。そんな訳ない。
ピョンを疑うようなことは考えたくないのに、この場所があまりにも不安すぎて何も信じられない気分だ。
蒼兄たちの考えもよくわからない。
トード親分と話をして何がかわるというのだろう?奴隷は主人には逆らえない、と散々自分たちで言っておいて。
ああ、なんだろう。僕は何をしているんだろう。
草歩はピョンに背中をむけ、頭の下に腕を置いて身を丸める。思わずため息が出る。
最近『皇棋』も指していない。
『あいつ』に勝つには皇棋を鍛えるしかないのに。
草歩は目をつぶると、『詰皇棋』の問題を頭に思い浮かべた。
こういう時は余計なことを考えるのはやめて、皇棋の盤面のことだけ考えよう。この問題を考え続けてもう3日になる。きっと手数がかなり長いんだろう、草歩の今の実力では変化が多すぎて読みきれない。
でも、それでもこうして一つの問題を考えていると心が休まる。
「将棋」は楽しくてやっていただけだったし、「詰将棋」は時間がかかって嫌いだったけど。
人生が大変なときでも楽しめるだけの魅力が『皇棋』をはじめとするゲームにはある。
「将棋」にも本当に大変な時期があった。
1945年と46年は、将棋の名人戦は開催されていない。
戦争があったからだ。
将棋の大名人、史上最強の棋士と言われる大山康晴十五世名人と、その兄弟子である升田幸三実力制代4代名人の二人も徴兵されている。
他にも日本将棋連盟の会長を務めた、丸田祐三9段や原田泰夫9段も徴兵され戦争を生き抜いている。
すごいのは彼らがその人生の苦難を乗りこえるどころか、戦後輝きを放ち「将棋界」にとってなくてはならぬ存在になってゆくことだ。
羽生さんが変革する前の将棋界は「盤外戦術」の話題の尽きぬ世界だった。
大山ー升田の高野山の決戦をはじめとした大山康晴の数々の傍若無人なエピソード。
加藤一二三の賛美歌やひふみんアイ、米長邦夫の放言、脱衣も将棋そのものとは違うところで相手にプレッシャーを与える天才たちの個性の発露だ。(敬称略)
彼らにとっては生きてゆくこと自体が戦いだった。
だから「将棋盤」の外だろうがなんだろうが自分が勝つために遠慮はしなかった。
戦争を乗り越えた男たちが作り上げたのは、人間同士の生身の戦いの世界だった。
きっとそうやってぶつかり合うことが「将棋」を心から楽しむために必要だったのだろう。これはゲームですから、と一歩引いて自分を隠すような戦いでは生きている証にはならないと。
草歩にとって「将棋」は負けると悔しい、勝つと嬉しいゲームだ。
でも『皇棋』は次第に人生そのものになりつつある。
どんな方法を使ってもそこに勝たなければいけない。勝つ方法を見つけなければいけない。
そしてそういう感情を全部捨て去って、シンプルに局面の美しさに集中しなければいけない。
頭の中でコマを動かしながら草歩は思う。
いくらこの世界が辛くても、『皇棋』にはそれを超える楽しさがある。
だからもっと強くなってもっと強い相手と戦いたい。
それがきっと自分の進むべき道だ。




