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30・草歩とトー伯斎

 トー伯斎はくさいは竹林を歩いていた。

 手にした瓢箪ひょうたんの中身をグビリと飲む。


 だが、飲めども飲めども酔いが廻らず、むしろ頭が冴えていくようだ。


 チェの字のやろう。


 おいらは間違っていたのか?絶望していたあいつに『皇棋』を教えることで救うことができているつもりだったが、結果はどうだ?もっとひでえ状況に追い詰めてしまった。


 くそ。トー伯斎はくるりと回転し、足先を伸ばして周囲の竹を蹴る。


 伸ばした爪先に触れた竹はまるで刀で切ったかのように見事な断面で切断され、切られたことも気づかずに立ちつくしている。


 上空で風が吹き竹の葉が揺れる。

 そしてぐらり、と思い出したかのように倒れ始める。


 あいつにはおいらはどうすべきなんだ?

 と草歩の顔を思い出すトー伯斎。


 飛び上がって倒れる竹に蹴りを放ち、二咫ふたあたほどに断ちわけていく。

 固定もされていない竹が、ちくわでも切るように達人の蹴りによってスパスパと切断されてゆく。


 あいつに『皇棋』を教えることが、果たして不幸をよびよせやしないか?


 空中でバラバラにされた竹筒の中央に着地したトー伯斎は、足を広げ腰溜めにし、右拳を引き左拳をゆるく突き出した構えを取る。

 そして落ちてくる切断された竹に向かって、中高一本に握った拳で目にも止まらぬ速さの突きを繰り出す。


 「カッ」


 と突きが竹筒の中央に当たり、その衝撃を受けた円柱状の竹が一瞬ボールのように丸く膨らむ。その後遅れて、


 「パアンッ!」


 まるで風船が弾けるように竹筒が弾け、一寸いっすんほどの幅をもった竹冊に綺麗に割れる。


 「パパパパパアアンッ」


 次々を突きを繰り出すトー伯斎の周りで竹が面白いように炸裂してゆく。割れた細長い竹冊が雨のように降り注ぎ足元を埋め尽くす。


 おいらがあいつに出来ることはなんだ?あの頑固な野郎に。そしておいらよりも勇気を持っているやろうに。

 積もった竹を見るトー伯斎。


 おいらは二度と、あんな思いはしない。チェスナをおいらはいかせちまった。そしてこうしてにもつかねえ後悔をしている。


 おいらの最後の弟子に、してやれることはなんだ?


 トー伯斎は自らの長い白髭に指先を走らせ一房刈りとる。

 そしてその髭を器用により合わせて、長い長い縄をい始めた。


 縄を綯いながらトー伯斎は、いつしか自分があの日以来初めての鼻歌を歌っていることに気づいた。



 「なんだと!?チェスナを助けに行くだあ?」

 戻ってきたトー伯斎は、草歩が言った言葉に思わず声がキツくなる。


 草歩の真っ直ぐな目を見て、改めてこいつは大馬鹿やろうの頑固者だと思い知らされる。


 そしてどこまでも優しい。苦しむ人が目の前にいたら、手を差し伸べずにいられない底抜けのお人好し。


 だが、人間は本来こうあるべきなんじゃねえのか?一体いつから、困っている人を助けるよりも優先することがあるなんておかしな価値観が出来ちまった?


 くそ。

 だから叱れねえし止められねえ。


 いくら馬鹿でも、世界の救世主はいつだって本当の大馬鹿だからだ。


 「師匠の言いつけは守ります、『あいつ』とは戦いません」

 「どういうこった?説明しろや」


 トー伯斎はハナから草歩を止めることは諦めて、せめて話を聞くことにする。


 草歩はピョンを見てうなづき合う。そういやこいつら、何か妙な動きをしてやがるなとは思っていたが。


 「ピョンに聞いたんです。ピーグイと一緒にいた時に、奴隷が売られてゆく鉱山があるって聞いたって。そこはオリハルコンって貴重な金属の鉱山なんですけど、すごく環境が悪くて力がいる場所だからいつでも奴隷が不足してるらしいんです。ピーグイはピョンも大きくなったらそこに売るつもりだったみたいで。


 それで、街でピーグイを探して話を聞いてきました。あいつ僕が頼んだら、そこに連れて行くことは協力してくれるといってました。


 師匠。きっとチェスナは力がつよいから、そういうところにいるんじゃないかなと思うんです。だから、そこでチェスナを見つけて、なんとか助けたいんです。『あいつ』とは戦いません!絶対に。だから」


 「なんでえ、そんな話か」

 トー伯斎はため息をつく。


 必死に話す草歩はまるで自分にいい聞かせているようだが、自分でもわかっているはずだ。


 「おまえさん、本当にそこにいると思ってんのか?チェの字は『あいつ』の奴隷になったんだぜ。あの蛇みてえな獲物をいたぶるやつがよ、そんなところに自分の持ち物を売ると思うか?売って得られるかねだって『あいつ』にとっちゃ意味のねえカス見たいなもんなんだぜ?」


 「そうかもしれません」

 意外にも草歩はあっさりと認めた。


 「そうかもしれませんて、おまえさんよ、言ってることが無茶苦茶じゃねえか」

 「でも僕は決めたんです」


 トー伯斎は草歩を睨め付ける。

 「決めたてえ、なにをさ」


 「出来ることをやるって。そこにはいないかもしれないけど、いるかもしれない。『あいつ』に勝つことはできなくても、チェスナがそこにいるんだったらなんとか助けられるかもしれない。


 出来ないことだけを見て、出来ることまでしないのは嫌だから。だから僕はチェスナを助けるために今思いつくことをやるって決めたんです!」


 くそ。

 なんだってえ、こう『皇棋』のくそ弱えガキンチョがこうも眩しく見えやがるのか。


 「で?なんでおいらに話す。おまえさんは決めたら必ずやるってこたあ最初っからわかってる。ピーグイに挑んだ時からな。なんでわざわざおいらに話す?勝手にいきゃあいいじゃねえか」


 「いえ。師匠の許可がなかったら僕は行きません」

 トー伯斎は驚いて草歩を見た。


 「なんだって?じゃあおいらが行くなっつったら行かねえってのか?いよいよ訳わかんねえな。ビビってて後押しして欲しいんなら期待すんじゃねんぞ。そんな気持ちじゃ行くだけ無駄だ」


 草歩は悲しそうな顔で目を伏せた。


 「チェスナと師匠の、最後のやりとりを見て思ったんです。あの時チェスナは自分の意思で動いて立派だったけど、言ってることは師匠の方が正しかった。僕も自分で思ってやることは決まってます。でも、師匠が行くなというなら行きません。今は分からなくても、きっとその言葉が正しいと思うからです。だからそういうんだったら、僕は行かないと決めて、また別のできることを探します」


 「かああ〜〜〜〜〜〜〜っおまえさんはよ、クッソめんどくせえことをいうじゃねえか」


 トー伯斎はたまらず酒の樽に近寄ると、瓢箪の柄杓ひしゃくすくってがぶがぶと二杯飲んだ。


 おいらはどうしたらいい?

 この馬鹿が、芽を出したばかりの竹の子が、真っ直ぐ大きく天に届くまで育つにゃあ、一体どうさせたらいい?


 ふーっと口元を袖で拭ってため息をつく。

 ようやく酔いが回ってきやがった。己の腹が決まらなきゃ、酒も収まってくれねえってか。


 「勝手にしろ」

 「え?」


 「おまえさんのしたいようにしろ。おいらにゃ関係ない」

 「で、でも、僕は師匠の言うように」


 じろり、と赤くなった顔でトー伯斎は草歩を見る。

 「おいらはおまえさんの師匠じゃあねえ。忘れたか?」


 「あっ」

 草歩は戸惑ったように息を飲む。


 「おまえさんに『皇棋』を教えてやったりもしていたが、ありゃ暇つぶしだ。おいらが渡した二冊の書。『皇棋無双こうきむそう』に『皇棋図巧こうきずこう』。おまえさんまだ解けちゃあいねえんだろ?だからおいらはおまえさんの師匠じゃねえのさ。勝手にしたらいい」


 確かに言うとおりなんだけど。でも。

 草歩はガックリ肩を落とす。


 師匠を怒らせてしまったかな。いや、まだ師匠じゃないけど。確かに自分勝手なことばかり言ってるからな。


 でも仕方がないんだ。


 前を向いて生きていくには、僕はチェスナを忘れてここに居続けることはできない。ほんの少しでも出来ることをしていかないと、本当にダメになってしまうだろう。


 草歩の背中に、ピョンがそっと手を置く。

 そうだ、僕は一人じゃない。


 じっと草歩を見るピョンの顔は、黙っていてもわかってくれているようだった。草歩はうなづく。


 きびすを返そうとした草歩に、トー伯斎がいった。


 「おまえさんが信じた道をいけや。人に許可なんぞ取ろうとせずに。人にゆるしてもらって安心しようとぜすに。『皇棋』の盤上ではいつも一人だ。おまえさんのやりたいようにやれ」


 「師匠」

 思わず草歩は呟いた。


 「その言葉は、本が解けた時までとっとけや、それで必ず返しにこいよ。そんときゃ教えることがたくさんあるからよ」


 トー伯斎は向こうを向いたまま言って、やがてスタスタと竹林の方へ歩き出した。酒を飲み、鼻歌を歌いながら。


 草歩はその後ろ姿に頭を下げる。


 「よし。ピョン、行こう」

 「はい、兄貴あみき!」


 二人は街へ続く道を駆け出していった。

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