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29・挑み続けるということ

 落ち着いた草歩はピョンを探すと、お風呂を一緒に沸かそうと持ちかけた。


 ピョンと二人で薪をひろい、池から水をはこんで風呂釜を満たす。ピョンは仕事があるのが嬉しいみたいで、夢中になって薪を割ってかまどに入れて、一生懸命竹筒で吹いて火を起こしている。


 だいぶいい具合になってきたな。

 湯加減を見た草歩はピョンの肩を叩き、ちょっと、といって引っ張っていった。


 まだお風呂に入っていないので不思議そうな顔をしながらもついてきたピョンを、草歩は湖のそばの花が咲いているところに連れてゆく。そして花をんで、今日はこれをお風呂に入れて良い匂いにしよう、と提案した。


 「いいアイデアですミ!」

 ピョンは笑顔でそう言って、水辺の花を摘み始めた。


 摘んでは時々ヒクヒク鼻を動かして香りを楽しむ。さすが兄貴あみきミーが気持ちを紛らわせられるように考えてくれて。ピョンはちょっと泣きそうなくらいうれしかった。


 いっぱい摘んでたくさんいれて、気持ちがいいお風呂にしよう。兄貴あみきのために!と張り切って摘むピョンだった。


 そうして二人で十分な量を摘み終わってかごに入れる。


 「たのしみですミ!」


 気をつかってくれた草歩にピョンは頑張って笑顔を作る。でも心の奥にはどうしようもない穴がポッカリ空いている。


 「そうだね、ありがとうピョン!」

 そう言って草歩はピョンの肩を掴むと、いきなり揺さぶって、そのまま投げ飛ばした。


 「えええっ!?」


 ザブーーーーンッとピョンは湖の中に突き落とされていた。


 「冷たい冷たい!な、何するミ!!」


 慌てて顔を出してバチャバチャ犬かきで泳くピョンを、お腹を抱えて笑っている草歩。ピョンはさすがに文句を言った。「いくら兄貴あみきとはいえひどいですミ!」


 草歩はあやまりもせず、満面の笑顔で今度は自分も湖にむかって飛び込んできた。


 ザッバーーーンッ。

 「うはっ」 


 水しぶきが顔にかかってピョンがたじろぐ。草歩はバシャッと水面に顔を出すと、さらにピョンに向かって水をかけてくる。


 「もう!やミて!許さないミよ!」


 しつこい草歩にピョンはとうとう腹をたて、自分も水をかけ返すと、逃げる草歩を追いかけて泳ぎ出す。


 「逃げるなミ!この!」


 追いかけて、息継ぎをしている草歩に向かって力の強い後ろ足でバチャバチャと、大きな飛沫しぶきの津波を浴びせるピョン。


 「くはあっ、なんのこれしき!」

 草歩は今度は自分のばんとばかりに、水に潜ってピョンに迫ってくる。


 「わわあ、やめてミ!」


 泳ぎの得意でないピョンは焦って手足を動かし必死に水をかくが、その体を掴んで草歩はピョンを投げ飛ばした。水の中でグルグル回って上下もわからなくなる。


 「ぶくぶくぶく」

 溺れかかって必死に顔を出したピョン。


 「くそーーーー!」


 二人は追いかけ合い、水を掛け合い、投げ合い、引っ張り合い、頭をしずめたり水中でおしりペンペンをして挑発したり、逃げてはつかまって、また追いかけて、次第にわけがわからないかけ声をあげたりしながら、延々(えんえん)と争った。


 くたびれ果ててうごけなくなり、体が冷え切ってガタガタと震え出してようやく二人は水からあがった。


 花の入った籠を持って風呂に行き、それをお湯に入れる。 


 そうしてびちょびちょな服を肌から引き剥がすようにして脱ぎ捨てると、二人でお湯に入った。


 「「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」」


 心の底からため息がでた。

 花のいい香りと冷えた体を包む熱いお湯。くたびれ果てて頭が空っぽだ。


 いつの間にか夜になっている。草歩はたちのぼる湯気に合わせて視線を上げ、星を見上げる。

 異世界でも紺碧こんぺきの夜空にきらめ星屑ほしくずは美しい。


 人の目には光っている星しか見えないけれど、宇宙全体にはいろんな星があってそれぞれのあり方で存在している。


 負けるからやめるのはやめたほうがいい。

 父さんの言葉が頭に浮かぶ。


 プロ棋士は強いからすごいけれど、それよりも将棋を続けることがすごいのだと思う。負けても彼らはあきらめない。


 奨励会を勝ち抜くことは地獄を生き抜くことに似ている、という。


 年齢制限ねんれいせいげんに追われながら、自分の勝ち負けばかりでなくライバルの星一つに振り回され天国と地獄を見る。


 制限年齢は26歳だが、規程によって三段リーグを勝ち越せば26歳を超えていても残り続けられる。


 宮本広志みやもとひろし五段は28歳でプロ棋士になった。最終局を勝てばプロになれるという成績を2期連続しながらいずれも落とし、その次の期では負ければ退会という危機を迎える。そしてその最後の相手は同じく負ければ退会の鈴木肇すずきはじめ三段。


 その殺し合いの死闘を勝ち抜いて、ようやくその先にプロになれたのだ。

 負けた人たちも決して弱かったわけではない。


 瀬川晶司せがわしょうじ七段やアゲアゲさん(折田翔吾四段)のように奨励会退会後も将棋を続け強くなってプロになった人たちもいる。


 宮本五段に負けた鈴木肇さんはその後アマ名人になり、そして今は将棋教室や動画サイトで将棋の普及に努めている。


 中村太地なかむらたいち七段と一緒にやっているチャンネルを始め、プロと変わらない棋力を持つ鈴木さんは他のプロ棋士のチャンネルでも大活躍だ。


 プロ同士の対局は勝手にネットにあげられないため、試合を見せるのに鈴木さんのような存在はとても大きい。

 今では鈴木さんは誰よりも輝いていると言ってもいい。


 そうやって、負けたからといって彼らは将棋を決してやめたりしない。


 それに、と草歩は思う。


 プロは絶対に勝てないと思ってしまう相手にでも、何度でも諦めずに立ち向かうのだ。


 伊藤沙恵いとうさえ女流三段は、今までタイトル戦を八度闘いながら一度も戴冠たいかんできたことのない女流棋士だ。


 ものすごく強い女流棋士で、2017年は当時6つだった女流タイトル戦のうち4つに登場し、優秀女流棋士賞も受賞した。


 でも超えられない壁がある。

 それが里美香奈さとみかな女流五冠だ。


 女流の永世称号であるクイーンを五つ持つ最強の女流棋士。


 2017年に三つのタイトルで里美女流に挑み全て敗れたとき、伊藤女流は将棋のことを考えたくなくなりそうだった、と言っている。あまりにも高い壁。


 でも今年、伊藤女流は再び里美女流名人に「女流名人戦」で挑む。

 そして今は、タイトル戦で里美女流名人に挑むのが楽しみでたまらない、と語っているのだ。


 将棋は外から見たら勝ち負けしか残らないかも知れない。

 そして勝者の放つ光しか、普通の人の目には映らないかもしれない。


 でも、それだけじゃない。絶対に。


 草歩はお湯で顔を拭う。


 負けることを恐れて何もしないことが一番バカげてる、きっと父さんはそう言いたかったんだろう。


 結果を求めすぎて今の状況が手につかなくなったり投げてしまうくらいなら、負けることは忘れて目の前のことを楽しむのが一番だ。


 そうだ。

 この世界に来たのは何か意味があるはずだ。


 自分のできることをひとつづつやって、いつか必ず。


 草歩は自分の心に火が戻ってくるのを感じる。チェスナの苦しみも、今は辛さだけじゃなく、戦い続けて己の恐怖に打ち勝った立派な戦士の姿として受け入れられる。


 どうなったとしても、このまま『あいつ』にビクビクして生きるよりはマシだ。

 よし。


 「わあああああああっ!!!!!」


 草歩は大きな声で叫んだ。

 隣ではピョンがびっくりして草歩を見ている。草歩はピョンにニコッとわらう。


 ピョンはその草歩の顔を見て、きっと今までと違う何かを感じたんだろう。きっと自分を助けてくれた時の草歩が帰ってきたのを感じたんだろう。


 無理して作っていたはずの笑顔が、自然に顔いっぱいに溢れ出して、そして今度は自然に涙が溢れてきたので、お湯を顔にバチャバチャかけてごまかして、草歩に向かって大きな笑顔で笑い返した。

伊藤女流は、2022年度女流名人戦で里美女流に3勝1敗で勝利し、見事女流名人を獲得しました。

本当におめでとうございます!


すずきはじめさんと中村太地七段のユーチューブも応援しています!



このあとプロットの甘さで対局シーンがしばらく出てきません、難しい。

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