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27・『宣誓』の末路

 草歩は必死に自分を抑える。このまま叫んであいつに戦いをいどんでも絶対に勝てない。それに師匠との約束を破ることになる。


 『あいつ』は閉じた扇の先でチェスナの頭をポンポンと叩き馬鹿にしたように見つめていたが、やがてそれにも飽きたように立ち上がると言った。


 「帰るぞ」


 頭を下げていた奴隷たちがおろしていた輿こしを担ごうと動き出したとき、『あいつ』が不意に思いついたように言った。


 「おまえたちは下がれ」


 一瞬たじろいだように見えたが、こういう急な命令には慣れているようで奴隷たちは一斉に輿こしから離れ距離をとってひざまづく。


 皆が『あいつ』の気ままな思いつきの被害に遭わぬよう縮こまっていると、振り返った『あいつ』はチェスナに向かって嬉しそうに声をかけた。


 「せっかくだ、帰りはおまえに働いてもらおうか。赤猫、かつげ」


 周りから動揺どうようの声が上がる。奴隷や近衛兵も驚いているようだ。


 今、なんて言った?

 草歩もその状況が理解できず成り行きを見守る。


 やがてチェスナが立ち上がり、輿に向かって進み出したとき、やっと意味がわかった。信じられなくて頭が拒絶していた。


 奴隷が10人以上で担いでいた大きな輿こし。肩に担ぐ棒は建物の柱に使うような立派な材木の漆塗りで、それが幾本も組み合わせれている。それだけでもかなりの重量があるだろう。


 さらにその上にある屋根のついた座席部分は金や銀で豪華な装飾がなされ、ゴテゴテと飾り細工に取り囲まれた一つの部屋と言ってもいい大きさで、その重さはとても一人で担げるものではない。 


 それをチェスナ一人に背負わせる気か?

 無理だ!


 思わず草歩が我を忘れて飛び出そうとしかかったとき、別の声がそれに先んじた。


 「無茶だ!私も手伝う!」


 ナチータだった。


 彼の『果たし』の内容は草歩は知らないが、きっと彼もまた『皇棋』に負け奴隷の身分になったのだろう。同じ立場としてチェスナに声をかけてくれたのだ。


 ありがとう、と思わず草歩はナチータに感謝する。


 しかし『あいつ』はナチータの方を見向きもせず、肩越しに扇をさっとふった。


 すぐさまあの立派な鎧をつけた竜人が、『あいつ』に一礼したあとナチータに近づき、手にしていた刀のさやで殴りつけた。

 ぐっと倒れたナチータに、


 「愚かもの!身分もわきまえずしょうに逆らうとは捨ておけぬ。貴様の狼藉ろうぜきは主人である我の落ち度、ええい、この不埒ふらちものめ!!」


 といいながら、さらにバシバシと殴り続ける龍人。

 そうか、ナチータはこいつに負けたからこいつの奴隷か。


 「猿の世話はきちんとしておけよ、ジーフィダーケ。いや、蛇か。くくく」


 と『あいつ』が龍人に言う。


 「は」

 とジーフィダーケと呼ばれた龍人はナチータを立たせると、その目を見据える。


 だが、草歩には違和感があった。


 あれだけ力一杯叩いていたようなのに、ナチータの体にほとんど痕がなく、またナチータをみる目も責めるというより理解をうながすような感じだ。


 そのあとナチータの髪を掴み乱暴に膝をつかせ、頭を伏せさせる。


 そんなやりとりをしているうちに、チェスナは輿こしを手にし、それを持ち上げようとし出していた。


 いくら獣人が力が強く、チェスナが屈強だと言ってもこんなのむちゃくちゃだ。できるはずがない!


 棒を掴み持ち上げるチェスナの腕の筋肉が山のように盛り上がる。そしてとても上がると思えないその一端を、全身の力を込めて持ち上げてゆく。


 脹脛ふくらはぎ太腿ふともも臀部でんぶ、腰、背中、肩。毛皮の下ですべての筋肉がくっきりと浮き出て、そこに走る血管すら見えるようだ。そして赤い毛よりも真っ赤に紅潮した顔には、太い青筋がつたのように首筋から覆う。奥歯を噛みしめ眉をきつくよせ、目を充血させてまさに渾身こんしんの力を振り絞っている。


 次第、次第に輿こしが上がってゆく。 


 見ている皆が思わずため息を漏らす。ありえない。こんなこと。

 草歩も呆気にとられ、その人間を超えるかのごとき怪力ぶりを見つめる。


 一人、『あいつ』だけが無邪気に、愉快でたまらないといったようすでそれを見てケタケタ笑っている。


 「くくくくっ。いい、いいぞ。さすがは朱の王族。これだけしても壊れないとは。おお。本当に『宣誓オース』とは恐ろしいものよのう。おまえはその命が尽きようと、肉体が壊れようと、一度命じられたことには従うしかないのだからな。くくくく。がんばれ、がんばれ」


 そうか。チェスナは今、体の限界を超えて力を出しているんだ。いや、出しているんじゃない、出させられている。


 『宣誓』は神命によって必ず『果たされる』。


 チェスナは『あいつ』に『奴隷以上』に全てを投げ出たことで、『あいつ』の口からでた命令には自分の意思や肉体の悲鳴など関係なく従うしかないのだろう。


 端の持ち上がった輿のしたに入り込み、台座を背に負ってそのすべてを身に乗せ、浮かせようとチェスナが満身の力を振り絞る。


 骨がきしみ、筋肉が張り裂ける音が聞こえてきそうだ。


 限界を超える力を出し続けているせいか、チェスナの全身がブルブルとふるえ続けている。顔は赤を越えてドス黒く染まり、食いしばった歯で噛みしめた唇からは血が流れている。こめかみに浮かぶ静脈じょうみゃくは芋虫ほどの太さに膨れドクドクと脈打っているのがわかる。


 しかしそれでも、それだけ苦しい思いをしているのに、チェスナの高潔さは一切の汚れを知らぬように、堂々と自分の負けを受け入れている。


 草歩は泣きそうな思いでそれを見ていたが、ついにたまらなくなって目を逸らした。


 ピョンが草歩の肩に手をかける。

 そして涙を浮かべた目で、草歩を真っ直ぐに見る。


 これを、このくやしさを忘れないようにしましょう、絶対にいつか、『あいつ』を倒しましょう

 そう言っているような強い目だった。


 草歩はうなづき、涙をふくと、再びチェスナを見た。


 兄弟子が死ぬ気でがんばって、今の状況を必死で戦っているんだ。見守って、応援して、最後まで信じよう。

 『あいつ』を乗せた重い輿こしを背負って、長い階段をチェスナは降りていった。


 そして草歩の視界から消えるまで、一度も膝をついたり立ち止まったりすることはなかった。

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