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23・『あいつ』

 青紫あおむらさきの絹の薄羽織うすばおりに、薄青うすあおに金とこん唐草からくさがらの入ったのかさね、襟元えりもとには臙脂えんじひとえが差し色に覗き、同じ生地のはかまに艶々(つやつや)と光る漆塗りの木靴。


 髪は白髪はくはつというよりも、美しく輝く銀髪ぎんぱつ。金のかんざしに繊細な房飾ふさかざりを垂らし、後ろでゆるくたばねた髪、額に2、3筋悩ましげにほつれ髪を垂らして、目尻に紫、唇に深い藍をさしている。


 肌の白さと体つきの線の細さからまるで女性のようにも見えるが、全体が醸し出すオーラが、身体的にも只者でないことを伺わせる。


 名人の腕で鍛え抜かれた日本刀に、最高の飾り柄と蒔絵まきえの鞘を与え芸術的な柔らかさで目隠ししても、本質が『人斬り』であることに変わりがないように。


 一眼見ただけで、その男がこの世で一番危険な存在であることがわかる。


 『あいつ』だ。


 「くっくっくっく」

 黒檀こくだんに紫で柄の入った扇を開いた『あいつ』は気取って隠した口元でねっとりと笑う。


 「赤毛の獣人。『朱の森』王族の末娘か。家族の命がけの乞いで取り逃がしてやったが故に、そのまま平穏に暮らすこともできたろうにな。一人欠けて面白くないと感じていた。おまえもコレクションに加えてやるか」


 チェスナの顔が怒りでどず黒い紅に染まる。血管が浮き出て弾けそうだ。

 「コレクションなどと、我が一族を愚弄ぐろうするな!!」


 「ふっ」

 鼻で笑い、スッと閉じた扇の先をチェスナに向けた『あいつ』が言う。


 「そう噛みつくな。望み通り『宣誓オース』してやろうというのだ」


 まずい。草歩は必死に足を動かすが、まるで砂漠でオアシスを追うかのようにいっこうに広場が近づかない。なんだってこんなに高い階段なんだ。


 「お前の望みは家族とのことだが、んん?その『果たし』に見合うものをもっておるのか?」


 「ミャー自身を賭ける!!」

 チェスナは胸をはり、わずかの躊躇ためらいもなく宣言した。


 「お前自身ねえ。それでは奴隷一人分にしかならぬな」

 「ぐぐ、では父さまを…」


 「いや、それでは面白くない。よかろう、お前の二兄と二親、全てをかけてやる」

 「本当か!」


 「だがその代わり、お前は己の全てを我に差し出せ」

 その言葉にチェスナが戸惑とまどったように答える。


 「最初から賭けると言っている!」


 「奴隷としてではない。奴隷であればさすがに命までは取れんが、お前は命も含めて全てを賭けるのだ。それでどうだ?」


 『あいつ』の目が足元で大きな口を開ける底無し沼のように黒く光る。


 試しているんだ、と草歩は思う。

 そして面白がっている。


 他人のために命を投げだす覚悟があるか問い、そこに相手がわずかでも悩みためらい、己の身と家族を比較して苦しむのを。


 そうやって考えることは己の身を投げ打つことを決意した人間の勢いを挫き、底にある保身、自分の身を可愛がる本心を暴き出す。


 悩むこと自体がある種の恥に繋がる問いだ。


 本来比較できないものを比べさせ突きつけることで綺麗事きれいごとをせせら笑うかのような非情な行為。


 しかしチェスナの決意と献身けんしん高潔こうけつさに微塵みじんのゆらぎもない。

 「賭けよう」


 『あいつ』が口の端を歪めてチェスナを見、突きつけた扇の先を動かしながらいたぶるように確かめる。


 「お前はその身を奴隷としてではなく、一個の物。いや、己の意思と肉体の全てを俺に捧げる「供物くもつ」としてその身の毛先から内腑、指先一つの動きから叫び声一つ、呼吸や瞬き、魂に至るまでの全てを俺に賭ける、と言うことでいいのだな?」


 「いい」


 めちゃくちゃな賭けだ。ありえない。絶対に、絶対にこんなこと許されてはならない。


 「チェスナ!」

 しかし草歩の言葉が届くことはなかった。


 「よかろう、受けよう『宣誓』を」

 『あいつ』のその言葉を持って、『宣誓』契約は成立した。


 扇の合図によってゆっくりと輿こしが下され、木靴の底が石畳を打ち軽快な音を立てた。


 降り立った『あいつ』に奴隷や兵士全てが膝をつき頭を垂れる。今まで椅子に座っていた龍人もすでに席をたちあがり、同じようにひざまづいている。


 あの男がどれだけの権力を持ち、人に恐れられているかが初めて会った草歩にも痛いほどにわかった。


 こいつは許してはならない存在だ。

 近衛兵に椅子を引かれ『あいつ』が腰を下ろす。


 チェスナも向いの椅子に座り、怒りを隠して静かに相手を見据える。

 持ち時間が最初30分、切れてからは一手1分と決まった。


 「「『神前宣誓ゴッズオース』」」


 二人が静かに宣誓を唱え、ついに『宣誓決闘オースデュエル』が始まってしまった。


 間に合わなかった。


 はあはあと息を切らせ、なんとか入り口前にたどり着いた草歩は、無念の思いで対局に向かうチェスナの後ろ姿を見た。


 なんて馬鹿なことを。

 チェスナもトー伯斎師匠から、『あいつ』の能力は聞いていただろうに!


 『宣誓決闘』は他人には見えないので、草歩は想像するしかない。


 遅れてやってきたピョンと一緒に、二人の顔が見えるところまでこそこそと移動したが、みんな二人の迫力や異常な賭けに飲まれているのか気にされることはなかった。


 皇棋学校の生徒や先生に紛れて目立たないようにしながら、それでもよく見たいので少しづつ押しのけて、なんとか一番前に出ることができた。


 隣の男の子がけげんそうな顔をしたけれど、草歩は真顔でうなづき返して誤魔化ごまかす。


 勝負はどうなる?

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