18・伝説の『詰皇棋』本!もしかしたら弟子になれる?
「これは?」
「なんだミ?」
草歩とピョンはしげしげとその二冊の本を眺めた。
異界の文字ではあるけれど非常に達筆だということがわかる筆で、何やらタイトルと作者名が書いてあるらしいが、達筆すぎて読めない。
「『皇戯作物』別名『皇棋無双』指定詰皇棋百番。『皇棋百番奇巧図式』別名『皇棋図巧』不能詰皇棋百番」
老人はなにやら得意そうな声で髭をしごきながらいう。
「トー・イ・ジュソウ、ジュカン兄弟の合作にして、献上図式の世に二つという最高傑作よ。
『無双』は能力指定ありの超絶技巧作が100作、『図巧』は不能図式からの、局面を打開しうる唯一の能力を推察する極限論理作が100作。
ま、控えめに言って奇跡の本だわな」
そして酒を煽って、ふっと寂しげな顔をした。
「おいらの師匠たちの作だ。
いつかはおいらもこれを超える図式をだしてえと願ってやまねえんだが。何しろ山がデカすぎらあ。天つくどころか、宙に浮いてるってなほどありえねえ究極の完成度でな」
「す、すごい本なんですね」
草歩はそれを恐る恐る手にとりながら思い出す。
そう言えば、将棋の世界にも同じように伝説的な詰将棋の本があった。
江戸時代の名人、三代伊藤宗看作の『将棋無双』、その弟で養子の伊藤看寿作の『将棋図巧』だ。
攻め手のコマが盤上にない「無仕掛」、ジグザグにコマを動かす趣向の馬鋸や飛車鋸、盤面に玉が一枚しかない「裸玉」。
逆に盤面に全てのコマを配置して、最後には詰ませるために必要な2枚と玉の合わせて3枚しか残らないという「煙詰」。
そういう詰将棋の様々な手法が初出として盛り込まれている。
そして611手という超手数の「寿」。
一体どういう頭をしていたらこんな作品が作れるのかという奇跡の作品集で、「神局」とも言われる。
当時7つだったタイトルのうち四冠王になったこともある米長邦雄永世棋聖は、
「無双、図巧の200題を全問解ければ四段になれる」
と言っていたくらいだ。
実際プロになった多くの棋士、永世名人資格保持者の森内九段や羽生九段も、長い時間をかけて無双、図巧を解くことで将棋を考える根気と自信を得た、と語っている。
そういう本が『皇棋』にもあったのか。
「これを、僕に貸してもらえるんですか?」
老人は笑っていう。
「借りるたあ殊勝だねえ、そうさな、貸してやらあな。でえじに使えよ」
そして草歩が聞き逃しそうな小声でぽつりと言った。
「これが全部とけたら、そんときゃあ弟子にしてやろうじゃねえか。そしたら返してもらうからよ」
「えっ」
今、弟子にしてくれるって言わなかったか?
「あ、あの、今なんて?」
老人はうるさそうに手を振って立ち上がる。そしてそのままザブザブと川に入っていく。
「とけ〜〜〜る〜〜〜〜もんな〜〜〜ら〜〜〜〜〜〜といて〜〜〜〜〜み〜〜や〜〜〜がれってんだ〜〜〜〜〜〜」
酒を飲みながら服がずぶ濡れになるのもかまわず、そのまま池を横切って滝の下に立つ。
そして酒の入っていた瓢箪を捨てると手を胸の前に合わせ、目を閉じて滝行を始めてしまった。
草歩は手に持った『皇棋無双』の本をじっと見る。
ピョンは『皇棋図巧』をパラパラやって、頭が痛くなったみたいにおでこを抑えている。
これが僕に解けるだろうか。
詰将棋も苦手な僕が、こんなに難しい『詰皇棋』を。
でも、やるしかない。それにこの世界では僕は他にやりたいこともないんだ。
学校に行かなくてもいいし、テレビも漫画もインターネットもない。
もし万が一この異世界から現実にもどってしまったら、二度とこの皇棋という面白いゲームはできないかもしれないんだ。
やってやる。
草歩は滝に打たれて瞑想している老人に、聞こえるようにおおきな声でお礼をいう。
「お爺さん!!ありがとうございます!!僕、どれだけかかっても必ずこの本を解いてみせまs」
ゴッヂイイイイイイイン!!!!!
と草歩の目から稲光が飛び出た。
頭のてっぺんにものすごい衝撃が走った。ボーリングの玉でも落ちてきたのかっていうくらい痛い。
レストランのおばさんのゲンコツなんて全然比較にならない。
めっちゃくちゃ痛くて、言葉も出せず、草歩は頭を抑えてその場にうずくまった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
「あ、兄貴、大丈夫、じゃないですよミ」
ピョンが手を口元にやって心配そうに草歩を見る。そして目線を上にやり怯えたような伺う表情をしている。
「な、なんだ!?」
ようやく動けるようになった草歩は顔を上げた。
手で抑えている頭のてっぺんは、次第に大きく膨らんでみごとなタンコブになっていた。
見えてきたのはまず大きな赤いけむくじゃらの足。それから皮の脛当て、太い腿、腰当て。さらに目線を上げてゆくと、腕組みをして仁王立ちしているチェスナが、草歩を睨むように見下ろしていた。
「どういうつもりだよっ、いきなりゲンコツくれてきて!みろ、こんなでっかいタンコブになったじゃないか!!」
と立ち上がって詰め寄る草歩の襟元を掴み、チェスナは逆に顔をぐいと寄せ怒ったように見据えてくる。
すごい迫力だ。思わず冷や汗が出る。
「お爺さんだ?それが仮にも相手に師匠になっていただきたいと、弟子を志す人間がかけていい言葉かい!!あのお方への失礼は、俺が今後一切許しはしない。今まではあの方がお前を無視なさっておいでだったから、俺も見過ごしてやっていた。それこそお前がどんなに失礼な言葉や態度をしていてもな」
さらにグイッと、鼻先がくっつきそうなほどの距離に草歩を引き寄せて、目をギラギラさせたチェスナが怒鳴るように続ける。
「だが!あのお方がお前にその本を渡し、ほんの100万分の1でもお前があのお方の弟子、のようなものになった以上、言葉と態度には気を付けるんだね!!わかったかいこのチビ!お前が外国から来たかしれないが、ここではここの礼儀にしたがってもらうからね!」
言っていることは真っ当なのだが、何しろ怖い。
震え上がる草歩にさらにチェスナはいう。
「返事!」
「う、うん、わかったよ」
「返事は『はい』!俺はお前の兄弟子だろ!そんなこともわからないかい!?」
「はっはい!!」
ようやく草歩を離したチェスナは、腰に手をやって草歩を見下ろしている。
(この獣人、喋れたんだ)と草歩は思う。
お爺さんにも返事しないし、ずっと黙ってるから喋れないかと思ってたよ。
それにミャー?
言葉遣いは怖いのに、そこだけが妙に可愛くて笑いそうになってしまう。
ピョンは「ミー」だし、チェスナは「ミャー」で、ピーグイは「ヴォれ」だったっけ?
獣人たちのルールなのかな?変なの。
と草歩は襟を掴まれて苦しかった首元を緩めて、けほけほと咳をしながら考えた。
「そ、それじゃおじ、いや、あの御老人のことは、なんて呼べばいいの、いいのですさ?」
言葉を間違えそうになるたびにチェスナにじろりと睨まれて、言い直しながら草歩はきいた。
「ふむ。本来は俺が教えることではないが、今あのお方は滝行の最中。ああなってしまうといつ終わるかわからん。いいだろう、教えてやろう」
チェスナはいかにもこの名前が大層なものだというような勿体をつけて、ちょっと咳払いをしたり首を捻ったり声の調子を整えてから、思いの込もった低く柔らかい響きで言った。
「あのお方の名はな。『トー伯斎』様だ」




