14・悩む草歩。詰皇棋の根本問題!
草歩がお爺さんに近づこうとすると、グイッと目の前にチェスナが立ちはだかる。
「なっ」
その大きな体と迫力に思わずたじろぐ草歩。
すると、チェスナはまるで庭の置物か何かのホコリを落とすように草歩の体をホウキで手荒らにはたいて汚れをおとしだした。
舞い上がった土煙が口に入った草歩が、ペッペとたまらず口から出そうと苦心しているのもかまわず、掃除だけが自分の仕事だとでもいうように、草歩の体から地面に落ちたゴミをかき集めると別のところへ行ってしまった。
お爺さんも変だけど、チェスナもよっぽどおかしな人だ、と見送って草歩は思う。
改めてお爺さんのいるテーブルに近づく。
お爺さんを見ると、皇棋盤に向かってクイッと顎をしゃくる。なんだろう?
はっと思いついて、草歩は朝見た、あの『詰皇棋』の盤面を並べ始めた。地面に一度書いたし、あれだけじっくり見ていたのだから割合簡単だ。
並べ終えた草歩に向かって老人は初めて相手を人として言葉を発した。
「まあ、確かにゴミじゃねえらしいや。見たもんを覚えるくれぇの知能はあるらしい。で?」
と言って老人は酒飲み草歩にむかってニヤリと笑みを浮かべる。
「覚えるだけなら猿にもできらぁな。で?」
そう言われたが、草歩は動けなかった。
確かに盤面を覚えるだけなら、『皇棋』のルールを知らない人だってできるだろう。でも、この問題を草歩はいまだに解けていない。
拳を握って、心の中で、
(僕は猿とは違う!)
と叫びながらも、それを言葉にはだせなかった。くそう。
悔しいけれど、解けなかった。
「かっかっかっか。なんだ、威勢のいいガキだとおもっていたが、見た目通りの素人さんかい」
老人はさも呆れたというように首をふる。
そして盤面をガチャガチャと手早く動かして言った。
「これでどうだ?けつの青い赤ん坊にゃあ、これでもむりか?かっかっか」
老人の並べた配置を見て、草歩はショックを受けた。挑発されているのは間違いない。なにしろ、無茶苦茶な問題だ。
盤上にあるのはたった2つのコマ。
一つは守り方、一番上のラインの中央に王、「5一玉」。
もう一枚は攻め側、その二つ先に歩、「5三歩」。
もちろん持ち駒はない。
こんなの無理に決まってる。王手したって絶対に取られてしまうじゃないか。
怒りと同時に焦りを草歩は感じていた。
このお爺さんがなにも意味なくこんな問題をだすとはおもえない。きっと何か意味がある。あの落とした杯のように、『皇棋』に関するなにか根元的な問いがここにある。
「はあ。坊主、これがわからねえようじゃ、けえったほうがいいな」
老人は酒を飲むと、ふうと息をはいて立ち上がった。
せっかくチャンスをもらったのに。草歩が自分がなさけなかった。確かに自分には、このお爺さんに教わる資格がないのかもしれない。そう思い始めていた。
「将棋」は多少やっていたけど、強いと胸を張って言えるほどじゃないし、『皇棋』は全くの初心者なのだ。
異世界とはいえ、やっぱり現実は厳しいんだな。
そう思い始めた草歩の耳に、お爺さんが呟く鼻歌が聞こえた。
「おしい〜〜〜ても〜だめ〜〜〜え〜〜なら〜〜〜ひいい〜〜〜〜てえ〜〜みろ〜〜。それ〜〜〜でも、だめ〜〜〜なら、よこ〜〜うえ〜〜した〜〜か。己の手には〜〜〜なに〜〜があ〜〜〜る〜〜〜っと」
大きな樽からひょうたんで酒を掬いながら、一人ごとのように呟くような歌だけれど。
あのとき、「待った」をするか悩んでいた草歩の頭に差し込んできた一筋の光の道標のように、今も老人の言葉が草歩に閃きをもたらそうとしていた。
そうか、これは『詰皇棋』なんだ。
持ち駒はない。一枚では絶対に詰まない。だとしたら、あとは。
『能力』。
単純なことを見落としていた。おそらくある種の詰め皇棋に求められるのは、不可能状態からでも発想を飛躍させる構想力。
もちろん最初に『能力』が指定されることもあるのだろうが、全く不可能な状態から『どんな能力であれば詰ませることができるか』を逆算する力を問う問題もあるのだろう。
そこには『パズル』としてのゲーム性でなく、『論理クイズ』としてのゲーム性が存在する。
おもしろい。
そうか、未知の相手との対戦の場合、相手の指し手から『能力』を推察する『推論』の要素が要求され、そこには「将棋」には必要のない様々な要素が必要になる。
可能性のある条件付けを導き出す発想力、ありえないことを否定しない想像力、過去の経験からもたらされる推理力。
そして、そういう訓練はいざ未知の能力が判明した時に、すぐに応対できる対応力も養うことになる。
そうだったんだ。
このたった二つのコマの配置に、この世界で初めてであった『皇棋』に必要な要素が象徴されているのだ。
で、あれば。
おじさんの能力は「相手の持ち時間を減らす」こと。
ピーグイの能力は「待った」をすること。
自分の能力は「持ち駒を使う」こと。
将棋というゲームのなかで、反則や特殊将棋問わず、考えられる手は全て能力として存在しそうだ。
そして、この配置で『玉』を詰ませることのできるシンプルな手がある。
『2手指し』
実に単純だ。自分の手番を2回連続してしまえばいい。
草歩は自分のコマの歩を一手前に進め、ひっくり返して『と金』にする。そして本来であれば相手に移るはずの手番を無視してそのまま『玉』をとる。
「かっかっか。ようやくわかったか、おまえさんはぁ妙に『能力』に関して凝り固まってやがるところがあるなぁ?」
いつの間にかすぐそばに老人がいて、草歩が『詰め皇棋』を解くのを見守っていた。
「だがまあ、無茶を承知でピーグイのやろうに挑んでった心意気にゃあ、ちいったあ胸がすいたね。ああいう馬鹿、おれぁ大好きなんだ」
酒をのんで痛快そうにいう老人。
だったらなんで、最初からしゃべってくれないんだ?
やっぱりこの人は偏屈爺さんだ、と心で文句をいいながら、草歩は聞く。
「そういえばあの時、僕がどういう理由で悩んでるかわかってたんですか?」
「ん?ああ、おまえさんみてえな押したら青汁垂れるような生意気なガキが悩むことなんてわっかりきってるからな。
『能力』にずりいもずるないもねーってのに、あのピーグイは己で己を否定しくさって、ほんとに救えねえなあ?」
「じゃあ、ピーグイの能力を知ってたんですね?」
「もちろんじゃねえか、ばっかいうな。あいつぁおれのこたぁきづかなかったみてえだがな、6年前の指導対局で、まだもっとギラギラした、棋士としてまっとうに強くなりてえってころのあいつとやったのよ。
そういやそん頃からなやんでたっけなあ、自分の能力がいやだとかなんとか。もちろん俺が68手で快勝したがね、見込みのねえやつじゃなかったんだが」
「6年前の対局でもはっきり覚えてるんですね」
「はっ、おれぁよ、人生で1万近く対局してるが、その全てそらで言えるぜ」
すごい。やっぱり『皇棋』でも棋士の人はすごい。
「将棋」でもプロの人は、自分の指した対局だったら全部覚えているという。
渡辺明名人などは、漫画の表紙に自分の戦った将棋の一配置が再現されていたのを、それを見ただけで何月何日の対局ですね、とすぐに指摘するくらいで、局面の本当にこまかい違いまで、当然なのかもしれないけれど覚えている。
それだけ記憶力があるから強くなれるのだとも言える。
前に指した手を忘れてしまっては、同じ間違いも当然繰り返すことになる。それではなかなか成長できない。
草歩もなかなか自分の指し手が覚えられないので、同じうっかりをしてしまうのだ。
「よし、とりあえずここにきて根性見せたおまえさんに敬意をひょうして」
と、お爺さんは酒をテーブルに置き居住まいを正した。
表情がふやけた酔っ払いから静謐さをたたえた、森の中の深い湖のような底知れぬ神秘を隠した沈静なものに変わる。
立ち居振る舞いも神事に向かうかのごとき厳かで、ある種の芸の型を極めたような無駄のない美しさを含み、一点の揺らぎもない凪いだ湖面、天と地と見る相手を映し出す冷徹な洞察力を持った鏡のよう。
草歩の目には、烏帽子を被り金糸の細密な柄の入った絹の紫衣をはおり、ふくらんだ裾をもつ絹はかまに漆の木靴を履いた、白粉に紫をさした老人の姿がはっきりと見えた。
ほんの一瞬の変化、初めて見る仕草と表情、しかしそれが千年も永劫と続く神に対する崇敬をあわらす祀りごとの一部としてあるのだと、草歩にもはっきりとわかる。
この『皇棋』の神の国で、本来持つ神への祈り、祝い、敬意、畏れ、そういった意味をこめた神聖で崇高な行事として存在する『皇棋』。
たしかにそれが草歩には感じられた。
この老人は一体どういう人物なのか。今は想像するしかない。
しかしこのたった一動作によって作り出した気配は場を満たし、異世界からの住人である草歩の心にまで神に対して額ずく気持ちを呼び起こす。
間違いなく、神に近いところで長年勤めた人物に違いない。
昔はきっと「将棋」も神聖なものであったのだろう。老人を見て草歩はそう思いを馳る。
老人は背筋を伸ばし、膝を軽く曲げ顎をひき、半目に草歩を見つめる。
まるで自分が背中にひきずるような裾の長い着物を着ているかのように、確かにそこにあるはずの裾を両の手でぱっと跳ね上げて整える。
手の指先を伸ばし外に軽く曲げてももにそえ、心持ちためるようにしてゆっくりと頭を下げてゆき、40度ほどに折り曲げて草歩に礼をした老人が、節づいた、和歌を読み上げるような独特の雅言葉で言った。
「一局お相手ぇ〜〜〜、つかまつるぅとぉ〜いたそう」
ぞくり、と美しい芸に触れた時のような感動が草歩の背に走った。




