(25)代身
ちょっと時間が遅くなってしまいましたが、本年最初の更新です。
今年もよろしくお願いいたします。
リッカルドは、フランツが再び医療ポッドに入るとの報告を、ブルーノ医務中佐から直接受けていた。
「そうですか……。それでも体は、あまり成長しないと?」
「特殊な薬液、成長促進剤、ナノマシンを使って、本来であれば何年もかかる体の成長を促進させておるのじゃ。一度ポッドを出てしまったら、2度目は使えない。今回彼、いや彼女に施すのは、元の体の感覚を今の体格に合わせるのが、主な目的じゃ。成長を促進させるためのものではない」
「そうですか……」
リッカルドはそう説明を受けたものの、フランツの望みを自分が潰してしまった形になってしまった事を、後悔していた。
「彼女には謝罪したのかね?」
「もちろん。でも、受け入れてもらえたとは、とても……」
「まぁ、そうじゃろうな。今すぐには無理かもしれん」
「医務中佐は、フランツがどうしてラヴァーズになることを受け入れたのか、ご存知でしたか?」
「一応は聞いている。戦闘艇パイロットに復帰したかったのじゃろう? たとえ女性の身になったとしても」
「自分もそう聞きました。航空宇宙軍に今はいませんが、前例がないわけではないと」
「まぁ、全くいないわけではないがの。大概は地上勤務で指導教官としてシミュレータや訓練機に同乗する程度らしい」
それを聞いたリッカルドは、さらに困惑した。
それなら折角ラヴァーズになったとしても、フランツが望むような戦闘艇パイロットに復帰することは出来ないのではないだろうかと。
押し黙ったまま考え込んでしまったリッカルドに、ブルーノ医務中佐は質問した。
「彼……、あ、いや彼女の戦闘副官と言う立場は、一時的なものなのかね?」
「正規の役職ではありませんので、トリポリに帰還したら、解除されることになるでしょう」
「艦隊司令には、任務を迅速かつ速やかに実行するために、適した職責を与えるための、特別な役職を任命することが出来るのでは、なかったのかね?」
「そうです。ですから自分は、フランツに戦闘副官として任命を……」
リッカルドははたと気づいた。無事トリポリに帰還できれば、自分はその功績をもって昇進することが出来るかもしれない。いや、第4次ジュトランド会戦の戦闘詳報を提出すれば、全滅を回避した功績を評価してくれるに違いないと思った。そして敗残艦隊とはいえ艦隊総司令代理として、残存艦隊を率いて無事帰還が成れば、昇任は確実なものとなる。
リッカルドは現在大佐であるから次は准将になる。そうなればごく小規模の偵察艦隊、または更なる功績を上げることを前提とした、遊撃艦隊ぐらいは率いることが出来るかもしれない。
艦隊司令の幕僚人事は、ある程度は艦隊司令官の希望が通る。フランツの軍籍が解かれなければ、自分の艦隊幕僚に任命することが可能だろう。
「どうやらいろいろと思いついたようじゃが、彼女自身の機嫌を取り戻す方法は、思いついたのかの?」
「うっ……」
ブルーノ医務中佐の指摘に、リッカルドは思わず思考停止した。
フランツを自分が持てるかもしれない艦隊幕僚にできたからと言って、それがフランツ自身の望みと成り得るかは微妙だった。戦闘副官の任務は自分が決められるとしても、戦闘艇パイロットに復帰するためには、新しい体で訓練を受けなければ、戦闘艇には乗れない。戦闘艇パイロット徽章を得るには、いくつものハードルがある。
そもそもフランツを自分の側に置きたいと言うのは、リッカルド自身の都合だった。
「まぁなんにしても、きっちりと謝罪をして、仲直りはしておいた方が良いぞ。付き合いの長い、友人でもあるのじゃろう?」
「それは、もちろんです」
「では、儂はこれで失礼する。っとそうじゃった。これが彼女の新しいIDの申請書じゃ。儂のサインも入っとる。速やかに処置しておいてほしい。但し、全ての権限の復旧は儂の許可が必要になっておる」
「先生の許可……ですか?」
「リハビリも終えていない患者を、職務復帰させるわけにはいかんという事じゃ」
「それはそうですが、彼……あ、いや彼女には」
「医者の儂の許可なくしては医療区画から出すこともまかりならん。物理的にも情報的にもな。ではな」
「……はい、先生に従います。ありがとうございました」
ブルーノ医務中佐はメモリーカードをリッカルドに渡して、退室していった。
リッカルドは自分の執務室に戻ると、デスクの端末を操作し、人事関連の処理にアクセスした。
幕僚のID申請は艦隊司令の人事管轄だから、リッカルドが処理するのは当然だった。
メモリーカードを端末に挿入して申請書を読み込んだ。
「フランチェスカ・リニエール・ジナステラ……」
表示された新しい登録名をみて、リッカルドはつぶやいた。
『“フランチェスカ”って呼びたいんじゃないの? いいよ、そう名乗ってあげる』
怒りに満ちた表情で、そう叫ばれたのを思い出す。
「……お前は誰の代わりでもない。誰も、誰かの代わりになどなれる筈がないんだ……」
リッカルドは、そうつぶやいた。
★ミ
フランツは自室で空間戦術理論のレポートをまとめていた。明後日が提出期限であり、戦闘艇パイロット課程では必須科目の為、この単位を落とすわけにはいかなかったのだった。
目の前の作業に集中しなければならない筈なのに、不思議なことに現実感が全くなかった。
コンコンというのノックの音がして、部屋の扉が開いた。
『お兄様、お願いがあるのです』
「フランじゃないか、どうしたんだい? 急ぎの用事でなければ後にしてほしいのだが?」
口ではそう言ったものの、入院していてベッドから起き上がれない筈の妹が、どうしてここにいるのか、なぜか不思議に感じなかった。
妹は頬を赤く染めて、はにかんだように言った。
『お兄様、あのね……私、リッカルド様と正式におつきあいしたいの』
「ええっ? 先輩と!? いつの間に?!」
フランツの妹、フランチェスカは、10年前自分がまだ士官学校生だった時に、病気で亡くなった筈だった。それなのに今、目の前にいるのは誰なのだろう?
記憶と現実の境目が、あいまいになっているにもかかわらず、それをごく自然に死んだはずの妹であることを受け入れていた。
「でも、フランはその……」
“死んでしまったのに"と言う言葉が出かかって口を閉じてしまった。
もしそう言ってしまったら、妹は自分の中から本当にいなくなってしまうような気がしたのだった。
『そうね。悲しいけれど、それはかなわなかったわ。でもね……』
妹は嬉しいような悲しい様な、そんな笑みを浮かべて言った。
『今は、お兄様が“フランチェスカ”でしょう?』
「え?」
フランツの意識は、深い海の底に沈む様に薄れていった。




