(2)猛獣と呼ばれた男
(2)猛獣と呼ばれた男
トリポリ恒星系の第3惑星トリポリⅢは、直径6000kmの中規模の地球型惑星である。北半球に2、南半球に1つ、計3つの大陸と大小さまざまな島嶼群からなる。およそ300年前にテラフォーミング化された開拓惑星だが、資源に乏しく、辺境艦隊が駐留地とした30年前以前は、ほとんど人は住んでいなかった。
現在の総人口は12億6千万人。うち軍関係者は2億人で、軍関係者の大半は衛星軌道上の軍事衛星に駐留している。
また軍人以外の民間人の約30%は軍事産業に従事している。
衛星軌道には、3つの軍港衛星と4つの軍民共用港衛星があり、24個艦隊が駐留している。また、常時遠征艦隊が数個艦隊滞在しており、惑星周辺は言うに及ばず、多数の艦影が見られる、一大軍事拠点恒星系となっている。
その一方で、民間の星間貿易業も盛んで、商用の大小さまざまな船の数は軍艦のそれを上回るともいわれており、非常に混雑した宙域である。
星都は北半球の大陸、東ベントレーにあり、恒星系の名前と同じトリポリ市。
人口1600万の大都市で民間人の割合は70%である。
トリポリ市の中央港には辺境星系最大の宙軍工廠が隣接しており、戦闘艇から宇宙空母までの様々な艦艇用部品及び、装備品が製造されている。また各種戦闘機や小型の艦艇など、重力圏離脱・降下可能な装備については、完成体までの一貫した製造を行っている。
また、第5軍管区辺境艦隊幕僚本部総司令部、総務部、渉外部、惑星気象隊、憲兵隊、第811輸送艦隊分艦隊が、トリポリ市に隣接するレスコ市駐屯地内に置かれており、戦闘集団は存在しない。
例外として、惑星地表にあって唯一、戦闘力を有するのが、統合宇宙艦隊 航空宇宙教育集団 第4教育団 第五軍管区分駐 第7訓練隊 であった。通称「47訓練戦隊」と呼ばれるこの部隊は、最前線を担う第5軍管区にあって、海兵隊や特殊作戦隊などの精鋭部隊の教育を担っていた。また地上唯一の高度汎用装備器材の運用部隊であり、自然災害や治安維持にも、命令あれば現地の警察・自衛軍に協力し、その機動戦力を活用することとされていた。有事には戦闘もこなす訓練隊と言う、特殊な性格を持つ本部隊は、時には「鬼の47戦」とも呼ばれ、その屈強な戦士達と強力な装備は、軍の内外に尊敬と畏怖を持って、その名を轟かせていた。
その47訓練戦隊長のローゼンバウアー大佐は、司令部から送られてきた個人情報ファイルの内容に、戸惑っていた。
元ラヴァーズの女性士官に戦闘訓練なんか必要が無いだろうと、断るつもりでいたが、艦政本部からの指示とあっては、そうもいかなかった。
“面倒事はいつも俺のところに回ってきやがる”と大佐は副隊長に愚痴をこぼしていた。
だが、事前に送られてきたフランチェスカの軍歴に、興味を抱いたことも確かだった。
大佐は隊長室の端で、事務の手伝いをしていた大男に声をかけた。
「おい、アルフォンソ曹長!」
「はい、隊長。お呼びでしょうか?」
曹長はその巨体を揺らしながら、ローゼンバウワー大佐の執務机の前に立った。
「明日、我が隊に1名転属してくる。訓練生としてな」
「こんな時期にですか? それにたった1名? それで?」
「お前が面倒を見てやれ」
「それはかまいませんが、どんな奴です? ウチの部隊に付いてこれそうなんですか?」
大佐はファイルを放るようにして、曹長に渡した。
「フランチェスカ・ジナステラ……? お、女じゃないですか!」
「ラヴァーズだったそうだから、元は男だ」
「そりゃそうかもしれませんが、自分には無理です! というか、なんで女がここに?」
元男性だったとはいえ、ラヴァーズは肉体的には女性そのものである。航宙軍では、女性は地上職以外には就けないこととされており、その例外がラヴァーズではあったが、もちろん彼女らは戦闘などしない。したがって、ローゼンバウワー大佐率いる47訓練戦隊に大尉とはいえ、女性が転属してくることなど、ありえないことだった。
「上からの命令でな。1ヶ月でそこそこ動けるように、訓練しろとさ」
「たった1ヶ月で? 女を? ウチの部隊で?」
「1ヶ月で、大尉を、ウチの部隊で、だ!」
大佐とて軍人である。上級司令部の指示には従わなければならない。
とはいえ、面倒事には違いなく、そんな鬱憤めいたものからついつい口調も投げやりなものとなる。
「隊長の奥方ならまだしも、無理に決まってるじゃないですか」
ローゼンバウワー大佐の妻は、元ラヴァーズであったが、性転換前はそれなりの戦士であり、実力のある戦闘艇パイロットでもあった。それゆえに似た軍歴と言えないこともないフランチェスカ大尉に、大佐が少なからず興味を持ったことも確かだった。
「やるんだよ! 一ヶ月後にはまた前線へ転属だそうだ。その後のことは知るか! せいぜいお客さんとして、かわいがってやってくれ」
「だって女ですよ? ウチの隊は特殊部隊や海兵の連中のための訓練部隊でしょう? それに男女別の設備なんてありませんよ?」
「元ラヴァーズだそうだから、気にせんでいいだろう」
「そんなわけに行きませんよ! 大体ウチの連中がちょっかい出し始めたら、どうするんです?」
「だからお前さんに頼むんじゃないか。ウチの隊じゃ、格闘戦で俺とまともにやりあえるのは、お前だけだからな」
アルフォンソ曹長はトリポリ駐屯地で一番の大男で、身長は2mを優に超え、体重も150kgを軽く超えていた。体の大きさを比較するものがなければ、ごく普通の筋肉質の男ではあったが、その大きな体躯から繰り出される体術は、隊長であるローゼンバウアー大佐を含め、誰一人としてかなう者はいなかった。武器を使わない体術では、おそらく宇宙艦隊一の強さとも言われているほどの、屈強な大男だった。
「俺は隊長としての仕事があって忙しいから、お前以外にいないんだよ」
「お姫様の護衛をやれってんですかい?」
「一応は大尉殿だからな。失礼が無いように、気を付けろよ」
「はぁ……。命令とあればやりますけどね。しかしどうなっても責任持てませんよ?」
「明日の午前には着任だ。装備を揃えておいてやってくれ」
「へいへい……。って、こんな小さいサイズ、あるかなぁ?」
曹長はファイルに書かれている、フランチェスカの身体データを見ながら頭を掻いた。
「あ、そうだ。もうひとつ、気になる事がありました」
「なんだ?」
「宿泊先はどうするんです? まさか自分たちと同じ宿舎じゃないでしょうね?」
「まずいのか?」
「まずいに決まってます! 自分だって24時間見張っているわけには行きませんからね。夜這いかける奴が絶対いますよ。一ヶ月の間、毎日!」
「うむむ……」
これには大佐も困り果てた。隊の宿舎で元ラヴァーズとはいえ、女性士官とのスキャンダルなんて破目になったら、上層部からの目が厳しくなる上に、世間体という物もある。
しばらく考え込んでいた二人であったが、やがて曹長はいいアイデアが浮かんだとばかり、大佐に言った。
「そうだ! 隊長の官舎なんかどうですか?」
「俺の?」
「そうです。どこか違う宿舎なり民間のホテルなりに大尉を住まわせたとしても、ウチのは血の気の多い連中ですからね。物ともせずに襲撃するでしょう。しかしその点、隊長の官舎なら奥方もいらっしゃることですし、ウチの連中もまさか隊長の官舎を襲撃したりはしないでしょう。どうです?」
「うむむ……」
大佐は苦虫を潰したような表情になった。
その反対に曹長の方は“どうせ貧乏くじ引くなら、受け入れを決めた隊長にも責任がある”とばかりに、にやけた表情で見つめた。
しばらく考え込んでいた大佐だったが、他に考え付くような案は無かった。
思考は妻になんと説明するかに、シフトしていた。
「仕方が無い、夜は俺のところで面倒見ることにする。それでいいか?」
「了解しました! では、受け入れ準備がありますので、自分はこれで」
曹長は敬礼し退出すると、してやったりとくすくすとしのび笑いをしたが、良く考えたら昼間の間は、自分が面倒を見なければならないことには、変わりが無いことを思い出し、ため息をついた。
「……と言うわけでな。すまんが明日から一人、ウチで面倒を見ることになる」
ローゼンバウアー大佐は勤務を終えて帰宅すると、妻のシルヴィア夫人に昼間の経緯を話した。
「まぁ、うれしい! 妹ができるのね!」
「いや、そう言うのとは、ちょっと違うと思うのだが……」
「元ラヴァーズなのでしょう? それならば私と同じ。だから妹だわ」
「そういうものなのか?」
大佐の妻――シルヴィア・ローゼンバウアー夫人は、元ラヴァーズだった。
ラヴァーズだった若い頃のシルヴィアに大佐は求婚し、紆余曲折の末に結婚にこぎつけたのだった。
大佐がフランチェスカの軍歴に興味を持ったのも、それがシルヴィアのそれとよく似ていたからでもあった。
「楽しみだわぁ、一緒におしゃべりしたり、ショッピングに行ったり、ケーキ焼いたり。私ずっと妹が欲しかったんです」
「ひと月しかいないんだぞ? 訓練だってあるし、遊んでなんかいられない」
「まぁあなた。ひと月もの間、休暇も与えないで24時間訓練させるつもりなんですか?」
今の様にテンションが高くなっている妻に反論することは、装備無しでテロリストに立ち向かうよりも危険であることを知り尽くしている大佐は、ここは逆らうべきではないと判断した。
「いや、そんな事はないが……」
「早速お部屋を用意しなくちゃ。ね、あなた。明日は私、朝から買い物に行ってきますから、お昼はBX(基地の購買部。食堂も併設されている)でお願いしますね」
予想外の妻の盛り上がりに疑問を感じつつも、大佐は答えざるを得なかった。
「ああ、判ったよ」
大佐の官舎は、部隊庁舎に隣接する地区にあったため、昼食は愛妻の顔を眺めながら自宅で摂っていたが、明日はそうも行かないようだった。
次の投稿は週末の予定です。